夢路ー参 関係

 ※

「式でも紹介されたが──改めて。二年三組担任の、高村六道。一年間よろしく」

 あの男が、教壇に立っている。

 八郎はその顔をじっと見つめた。

 やはり、どこかで見たことがある。

 しかし喉に引っ掛かったように、八郎はあと一歩のところで思い出せないでいた。

「まずは学級委員を決める。立候補、推薦なんでもええ。だれかなんかおらんか」

 と、高村がよく通る声で呼び掛けた。

 その声を受けて、すかさず柊介が「推薦」と声をあげる。

「刑部に一票」

「えっ、おい!」

 教室がどっと笑いに包まれる。

 新クラス初日とはいえ、高校生活を一年もしていればおおよそのメンバーは顔見知りである。

 さらに言うと、柊介は取っ付きづらい雰囲気ながら、容姿端麗かつ豪胆な気質により、男女ともに人気の高い生徒なのだ。

 当然クラスのテンションはあがる。

 案の定、便乗するように「はァい!」と前の方でも高く手が伸びた。

「オレも刑部クンに一票!」

 浅黒い肌が特徴的な中学からの友人、尾白武晴。

 エキゾチックなヘアバンドを頭に付けて、髪の毛を束ねてお団子にしている。外見からして目立つが、性格もお調子者ながら学力は学年上位という強者だ。

 なまじ頭がいいため支持も高い彼の発言により、クラスはさらにヒートアップしてしまった。

 推薦されている八郎としては迷惑千万である。

「いや、あの──」

「刑部八郎」

 高村が、呼んだ。

 クラスメイトは一斉に八郎へ視線を寄越す。

 それほど大きくなかった彼の声は、鶴の一声のようにクラスの四方に響いた。

「どうだ」

「…………え、あ」

 ──八郎は高村を見つめる。

 ひどい焦燥感に襲われて、八郎は思いに反してうなずいていた。

「せやったら、あの、やります──」

「さすがァ」

「ぃよっ、色男!」

 柊介や武晴が囃し立てる。

 高村はうっそりと微笑んでから、黒板に八郎の名前を書いた。

 恐ろしいほどの達筆である。

 書き終えた彼は「女子はおらんか」とクラスを見渡した。

「やります」

 声をあげたのは、凛と背筋を伸ばす女子生徒だった。強い目力をまっすぐ高村に向けている。

 高村は笑んで、黒板にその名を書いた。

「滝沢京子」

 それが彼女の名前だ。

 美人かつ学年上位の成績を誇る優等生。生徒会にも所属する、男子学生からすれば高嶺の花である。

「えらいスムーズやったな。ふたりともおおきにな。明日はほかの委員も決めるよって、各自決めとけよ」

 高村は声高に言った。

 ホームルームの残りの時間で、クラスメイト──高村は同朋と言った──に自己紹介をするように指示してから、彼は教壇の椅子を教室の隅に移動させて座る。

 みなほとんどが顔見知りゆえ、自己紹介のたび、男子はどこからか失笑が漏れる。

(…………)

 ただひとり、八郎だけはちがった。

 高村の様子を盗み見ては、うつむいて背を丸める。

「…………」

 高村が、射るような目で八郎を見てくるのだ。

 その視線が恐ろしくて顔をあげようにもあげられない。

(……おかしい。おかしいぞ)

 結局。

 彼の熱視線は、同朋の自己紹介が終わって、彼が職員室に戻るそのときまで、八郎に注がれた。

 解放された──と机に身を預けたころに、

「言い忘れた。教科書頒布にゃ忘れず行けよ」

 と彼が再度戻ってきたときは、席から転げ落ちる始末であった。


 中庭には、各年次の教科書頒布のため、長机がセッティングされている。そこに各教科の教科書が並べられ、時間帯別に各学年が列をつくりひとりずつ取っていくのである。

 八郎たち二年生は、三時限目の始まる時刻に中庭へと出され、一組から順に教科書を手にしているところだった。

「ごっつ疲れた──」

 八郎はつぶやいた。精神的疲労が蓄積されて、まだ午前中だというのにすでにへとへとである。

 まもなく教科書が並ぶ長机に到達する頃だ。

「ヨッ、学級委員!」

「えれェもんやな、ハチ」

 武晴と柊介がにやにやと笑って、リストに記載されている教科書を片っ端から手にしていく。その後ろに続く八郎は、

「せや、お前らよくも──」

 とか細い声を出す。

「言い出したのは柊やで。おれなんも悪ないもーん」

「おんなじじゃボケハル!」

「タケ、一冊抜けとんぞ」

 八郎の後ろから顔を出したのは、同じく中学からの友人、千堂明夫。

 縁のない眼鏡によって、インテリジェンスな雰囲気を醸し出しているが、単に気弱なだけである。周囲から『メガネ』とあだ名にされても黙っているお人よしだ。

「あん、とってェ」

 武晴は身を乗り出す。前を遮られた柊介は、明夫から教科書を受けとる彼の頭をはたいた。

「変な声出すなボケ。気色悪いねんお前」

「柊クンたら、相変わらず辛口な男やで──おっ?」

 武晴が声をあげた。

 その視線の先には、大学との敷地を隔てるフェンスが設置している。

「あれハチのねーちゃんやないけ?」

「へ?」

 指さす先に視線を向けると、そこにはたしかに、大学側からフェンスに身を乗り出して笑う環奈がいた。

「ホンマや、かんちゃ──」

 しかし、その奥にもうひとり。

 高校側からフェンスに背中をもたれている背の高い男。なんと、高村六道がそこにいるではないか。

「た、高村先生!?」

「なんや、アヤシイ雰囲気やな」

 と武晴はいやらしく笑った。

 それを聞いた八郎の顔が、一気に青くなっていくのを見て明夫は武晴の頭をはたく。

「かんちゃん!」

 たまらず八郎が駆け出した。

「ああホラ、アホが本気にしてもた」

 明夫はつぶやく。武晴は頭を掻いて、

「強度のシスコンやなアイツ。近いうち『かんちゃんお帰り会開くさかい、お花見がてらうち来ィや』とか言うてくるで」

 とわらった。

 しかし柊介は苦虫を噛み潰したような顔で「言うやろな」とつぶやく。

「たぶん一言一句変わらんで。予定空けたってやれや」

「ホンマ、柊くんはハチにゃ甘ェのう」

「アホぬかせ」

 武晴が茶化したように笑うので、柊介はうんざりとした顔で肩をすくめた。


「かんちゃんッ」

 ふたたび声をかける。

 ふたりは同時に八郎を見た。

 よほど必死の形相だったか高村はブッと噴き出して笑っている。

「あー、はっちゃん。むっちゃんのクラスなのネ。楽しそー!」

「むっちゃんて──先生と知り合いなん?」

「うん、ね。むっちゃん」

「まあな」

 頼むで学級委員、と高村は目を細める。

「ちょ、待ってや。いつから知り合いやってん。東京行っとったとき?」

「うーうん。もっと前」

「京都の高校で寮はいっとったとき?」

「うーうん。もっと前」

「え、そんなん──」

「もーっと前なのヨ」

 うふふ、という環奈の頭をぐしゃりと撫でて、高村はフェンスにもたれていた背中を起こした。

「よっしゃ、みんな教科書取ったな。刑部八郎、帰りのホームルームすんで。はよ教室戻りや」

「なんではぐらかすねん」

「わかっとるわかっとる。詳しい話は夜にしたるさかい」

「夜?」

 夜に会うということだろうか。

 しかし、詳しい話はないまま、高村は穴が開くほどに八郎を凝視した。凛々しく整った眉に、鋭く切れ長な瞳。そして左目の下にある傷痕──。

(…………)


「夜更かしすんなよ」

 刑部八郎──と言った彼の声で。

 八郎はようやく思い出した。

 この顔を知っている。──しかしそれは奇妙だった。


 なぜならその記憶とは、

(わたのはら。──)


 夢で見た漁夫のものだったのだから。



 ※ ※ ※

 ──この広大な海原のなか。

   数多くの島を目ざして船出したと

   都にいる私の親しき者に告げてくれ。

   漁師の釣り船よ。──


 第十一番 参議篁

  流罪によりて、

  難波から隠岐へ船出する折、

  都に残る身内への想いを詠める。

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