第2話 香織とユカリ

 香織は控えめに言ってアホである。




「えーーー!香織、何で死んじゃったの~!?ていうか、何で死んでも私生きてるのー!?ふっしぎー!」





 臨月を迎え、買い物帰りに道を歩いていたら、後ろからトラックにぶつけられ、吹っ飛んで頭を打って死亡した。トラックに引っ掛けられた時点で気を失ってたので、他の人間が思うよりは安らかな死であった。最も、遺体は損傷が激しかったが。



 一見、物凄く可哀想な状況に見える。


 いや、実際可哀想ではあるのだが、本人のアホさ加減がすべてを台無しにする。




「何でもヘッタクリもない。お前は死んだのだ。で、転生させてやるから、さっさとチート選べ。」



 香織は白い部屋に呼ばれていた。


 香織は知らないが、俗にいうお約束異世界転生部屋である。


 真っ白な空間に、金色の神っぽい者がいた。




「ていうか、本当に神様?なんか、頭悪そうじゃない?」



 これである。



 天真爛漫さも始末におえなかった。




 だが、神も流石神である。


 アホくらいには動じなかった。



「知覚レベルはある程度下げてやってるが、認知レベルはお前にあわせている。俺を『頭悪そう』だと思うなら、そもそもお前がアホなのだ。アホが分かる言葉で伝えてる。難しい事をいってアホに伝わらなければ意味がない。」



 動じなかったが、根に持っているのか3回はアホと言った。



 だが、敵もただ者じゃない。


 ただのアホが異世界転生に選ばれるわけはないのだ。




「なるほどー!神君ってすごいんだねーえへへへ~。」



 超ポジティブ思考のアホだった。





 ハァ・・・。と神らしきものはため息を一つつく。



「お前と遊んでる暇はない。適当に選んで適当に送っていいな?どうせ、能力一覧など見ても分からないのだろう。」



 流石は神なので、ごく短時間で香織を分かりつくした。




「うん、それはいいんだけどー。そういえば、お腹のユカリちゃんは?」



「腹の子か。お前が死ねば死ぬに決まってるだろう。だが、まだ側にいるな。」



「ええー神君酷いー!ユカリちゃんに罪はないでしょ!」



「俺が殺したわけじゃない。お前が迂闊なのだ。嫌ならもっと周囲を確認すべきだ。」



 そう神が言うと、香織がしょんぼりとする。


「そう・・・だよね。お母さんがもっと運動神経良かったら・・・ごめんねユカリちゃん。」



 そして、顔を上げる。


「ねぇ、ユカリちゃんはどうなるの?」



「その魂か。まだ生まれてもないのだから、別の夫婦の所に最優先で転生されるだろうな。」



「えー・・・うちの子になるはずなのにー!」



 酷ーい!神君ひどーい!とブーブー言う。


 あまりの低レベルさに神は多分眩暈がした。



「酷いもなにもない。輪廻の決まりだ。廻らぬ魂は消滅する。」



 ちょっと素にもどりつつある神だった。



「・・・じゃあさ、ショウ君は?ショウ君一人だよ!?どうなっちゃうの?」



「ああ、お前の旦那か。あれは、もうだめだな。」



 サラッと何でもない事のように言う。


「ぇえ!?ダメってなに!!!!ちゃんと説明して!!!!!!」



 物凄く食って掛かる香織。



「説明もヘチマもない。あれは、お前と娘が死んで魂が闇に飲まれた。今のお前が枕元に立ったとしても、魂の次元が違いすぎて姿すら見えまい。このままだと、数年後に不摂生で勝手に死に、そのまま自分が作り出した闇に飲まれ勝手に地獄に落ちるだろう。運よく戻ってきたとしても何百年かかることやら。」


「えぇ・・・と、よくわからないけど、このままだとショウ君ヤバいんだね。」



「そうだな。」



「・・・。わかった!私ショウ君助ける!」



「は?」



「なんかあるはずだよね!神様だもん!ショウ君ホントいい子なんだよ!私大好きな旦那様だもん!今まで沢山助けてもらった!恩返しがしたい!」



「アホか。俺、お前に異世界転生しろって言わなかった?」



「嫌!私絶対しない!ショウ君の方が大事だもん!」



 ギラギラした目で神に詰め寄ってくる。


 はぁ、と神はもう一つため息をつく。



「・・・異世界転生を譲ることはできる。」



「誰に譲ってもいいよ!ショウ君助けられるなら!!!」



「アホか。そのショウ君だ。今のままだとお前が手助けしたところで、あの男は死ぬだろう。それならば、いっそのこと、そいつに異世界転生を譲ればいい。」



 ケケケケっと人が悪そうに神が笑う。



「うわー神君、悪人顔ー。」



 引く、香織。



「誰が悪人だ。大体お前程度では俺の顔を知覚できないだろうが!・・・いくら不幸があって世を拗ねたとしても、異世界の方が過酷な環境だ。生きるのに必死であれば、そのうち死にたいという気力も失せるだろうよ。」



「ワー神君すごーい。あたまいー!」



 ぴょーんぴょーんとジャンプし、はしゃぐ香織にムッとする。


 心からの賛辞なのは分かるのだが、香織に言われると馬鹿にされてる気分になる。



「だが、それにはお前の功徳が足らん。」



「くどくー?」



「アホに分かるとは思わないが、現実で言うならお前の手持ちの魂の金が足らん。これから、みっちり労働で返せ。」



「ええええええええ~~~~~死んでまで労働するのーーーーーー!!!!」



「煩い!当たり前だろうが。お前がもっと良い行いをしていないのが悪いのだ。」



「ううう・・・わかったよ。香織頑張る!」



 ポジティブなアホは単純だった。



「それと、もう一つ。」



「まだ何かあるのー?」



「その、”ユカリちゃん”だ。お前はどうする?」



 すると、香織の腹から光る球がすぅ~っと神の目の前に進んでいく。



 今の今になって、香織は自分が妊婦ではなく、妊娠する前の体形に戻っていることに気づいた。



「ほええぇ・・・・・あれがユカリちゃん・・・。」



 香織には聞こえないが、ユカリちゃんと神は何かを話し合っている様だった。



「全く、何で親がこんなアホで、子供はこんなマトモなんだ。」



 さりげなく神にディスられる。



「でっしょーー!ショウ君頭いいもん!ショウ君に似たんだね!良かったねユカリちゃん!」



 ディスられてもめっちゃ嬉しそうに笑う香織。


 ポジティブさが無敵だった。



「・・・まぁいい。ユカリはお前の手伝いをするそうだ。愛してくれた父を守りたいのだという。二人して、あの男が死ぬまで善行を積め。ああ、仕事は『ユカリちゃん』に教えてもらえ。じゃあ・・・」


「ちょっと待ってーーーーーーー!!!」



 帰ろうとしたのに止められ、ガクッっとなる神。



「なんだ。」



「・・・私どうやってショウ君助けたらいいの?異世界転生ショウ君にしてもらうだけでいいの?本当に?ショウ君一人できっと寂しいよ・・・。」


 この場にきて、初めて不安そうな顔をする香織。



「・・・アレはお前を知覚できん。勝手に孤独になっているのだ。・・・だが、お前にできることとすれば、加護を与えることはできる。」



「かごー?」



「死んでいるのだから魂の力がそのまま、守りに繋がる。守護霊とか聞くだろ?あれだ。常に『ショウ君を助けたい。幸せになってほしい。』と思い続ければ、そのまま守りに繋がる。まあ、それがどの程度になるのかはお前と旦那次第だがな。あと、”ショウ君”のためにさっさと善行積んで来い。じゃあな。」



 今度こそ神はその場から消え去った。





 白い空間に取り残される香織とユカリ(らしき光の玉)。


 そして、ユカリがそっと童話の妖精の様に香織に寄り添い、ふわっと一枚の紙を出す。



「ん~?なんだろーこれ?」



 ユカリが出した紙を読んでみる。



「『次の現場に行き、該当者を三途の川まで連れて行くべし。名前は・・・・。』おー!これがお仕事ー。」



 そうだよ、と言わんばかりに上下に動くユカリ。



「よーし初仕事がんばってこー!・・・・場所何処だろ?」



 ふわ~っと香織を先導しだすユカリ。


 どちらが保護者なのか悩む光景である。



「ユカリちゃんすごい!道案内まかせていいの?」



 この白い空間で行き先が分かるユカリの方が凄くはあるのだが、生まれてもいない子供に頼ることに躊躇いがない香織もすごかった。



 こうして、死にたて魂たちの善行労働が始まる。





 ――――――――――




 香織の業務はおおむね、神様代行っといったところだった。



 現場に赴き、神の言葉を伝え、道を促す。



 時には道を外れるものもいるが、それは本人の選択なのでそれでもいいらしい。



 だが、せっかく神が良い道を提示しているのに疑って違う道に進んでいく魂たちを見るのは香織は悲しかった。


 出来るだけ心と言葉を尽くし、慣れない難しい言葉も若干棒読みではあるが頑張って使った。


 何故かそこら辺が念入りに『神の沽券に関わるので、このセリフを覚えろ』と指示されていた。


 神はあらゆる意味でよく分かっている。



 ユカリも頑張ってサポートしてくれた。


 道案内や香織がやる事をいつも教えてくれる。


 香織にはない力があって、生まれてないのに本当に自慢の我が子だと、ユカリ自身に自慢をしている。



 何しろ二人しかいないので、二人で話すしかないのだ。


 最も、ひとりは瞬くだけだったので完全に一人で話している様には見えるのだが。




 毎日忙しく飛び回り、魂なので休むという事や寝るという事はなかった。


 ただ、メリハリを持つために急ぎでなければ、一つの仕事の後に休憩と、反省会を毎回持つことにした。



 そして、最後にショウへ祈る。




 ――――今日も元気で過ごせます様に。しあわせであります様に。




 香織が祈っている時は、ユカリも祈ってくれているように感じる。



 光が降りてきて、香織の頭にちょこんと座って動かなくなる。



 それが、たまらなく香織には愛おしかった。




『何て優しい子なんだろう。』




 生まれてもない我が子が、香織は大好きだった。




 そして、ショウに伝えたくてたまらない。



 貴方の子供は死んでしまったけれど、こんなにいい子で、私もこんなに幸せにしてくれました。


 貴方の子供は、生まれることはできなかったけれど、こんなすごい子なんですよ。




 声は届かないだろうが、香織はずっと心の中で祈っている。




 いつも祈っている。







 ―――――――――



 にわか女神生活にも漸く慣れてきた頃、



 次の仕事に行く前に、ユカリがいつもとは違い激しく明滅をした。



「どうしたの?ユカリちゃん?」



 そのただならぬ様子に、心配をする香織。



「何か悪いものでも食べた?お腹壊しちゃった?」



 だが、基準が残念ながらアホ基準であった。


 ここに来てから、一度たりとも飯を食べた事が無いのにこれである。




 そんな香織に、ユカリがそっと紙を渡す。


 渡す様もいつもとは異なり震えていた。




「『次の現場に行き、該当者を異世界転生させよ。名前は・・・・。』。」




 名前は・・・。




 庄司、だった。




 ついに約束の日が来たのだ。



「ショウ、君。」



 やはり神が言う様に早死にをしてしまったのだろう。



 毎日毎日、ユカリと二人で祈ったけれど。



 足りなかったのかもしれない。




 これからは、もうちょっと長く祈ろう!と相変わらず斜め上の超ポジティブに考える。




「今日は気合いれなきゃだね!というか、ショウ君も私が担当していいんだね?」



 ふっしぎー?と言いながら紙を読み進めると、今までにない注意書きが幾つもあった。




 一、自ら香織、ユカリだと名乗っては決していけない



 一、異世界転生が嫌だと言った場合、諦める事



 一、異世界転生特典を決められない場合、後で渡しも可能だが最長1年とすること



 一、チートを保留した間はステータスも1年間保留され、死ぬ前の状態と同じとする



 一、・・・・





「へんなの~?」



 読み進めても、神の意図がいまいちわからない。



 まぁ、香織は大体いつも誰の意図も分かりはしないのだが。



 だが、この歳まで世間の荒波を勘一つで渡り切ってきただけあって、野生のアンテナにビンビン引っかかるものはあった。



「変だね~?どうして名乗っちゃいけないんだろう?」



 ここで、よくある昔話ならば、うっかり名乗って二人とも不幸になるパターンだっただろう。だが、香織は鍛え抜かれたアホだった。



『でも、神様が言うならその通りなんだろう。』



 と、香織はシンプルに納得をする。



 だって、ここまで文句を言いながらも神は香織に道を教えてくれた。



 口は悪いが、香織の言動に呆れはしても、不必要に香織を貶したり、騙したりしたことはなかった。



「変なの~、神様とショウ君って似てるね?」



 フフフっと香織が笑う。



 いつも文句を言いながら、いつも言葉とは裏腹に優しく助けてくれた。


 香織の大好きな大切な人だ。



 香織の笑いに元気づけられたのか、ユカリの明滅がゆっくりとなり、いつものように香織の頭の上あたりをふわふわと舞い出す。



「ユカリちゃん!頑張ろうね!」



 おー!と自分で掛け声をあげながら、現場に向かった。






 ―――――――――――




 久しぶりに見た夫は、なんかこう、真っ黒だった。



 夫の纏う空気がすべて重く淀み、黒く渦を巻いている。



 そして、今まで見た事も無いような酷い顔。



 香織が死んでから今まで出会った人の中でも一番ひどかった。



『あれが地獄なんだ。』



 香織は、野生の勘で気づく。



 そして、神が言ってたことが、やはり正しかったことにも気づく。



 彼をこのまま死なせてしまっては大変なことになる、と。


 自分が何とかしなければいけない、何とか・・・何とか・・・。




「あ、あなたは元の世界で亡くなりました。」



 早速、失敗した。


 いつもはもっとちゃんと言えるのに、かんでしまう。



 不思議なもので、いつも話していた夫は、自分を見ても全く自分の事が分からない様だった。


 ふっしぎー?


 でも、神様が『枕元に立っても知覚できない』って言ってたから、こういう事なんだろう。



 きっと、あの黒いのがショウ君の邪魔をしてるんだね!がんばらなきゃ!


 と、香織は奮起した。


 なんといっても、アルティメットポジティブシンキングだったので。



「あなたは、異世界転生することになりました。新しい世界で幸せになってくださいね。」



 そう、香織がすこし他人行儀に言うと、間髪を入れず夫が問いただしてくる。



「記憶は?」


 その言い方や顔は、夫が嫌いな人に向けるものだと知っていたので、香織は悲しくなる。


 でも、がんばらなきゃ。



「記憶を留めることが異世界転生の条件ですので、このままですね。」



「クソったれが。」



 そう、夫が毒づく。


「何で俺なんだ。今すぐ死にたくて死にたくて仕様が無い奴なんかに何で転生なんてさせるんだ。異世界に行きたい奴やヒャッハーしたい奴にやらせておけばいいだろ?転生したって俺はこうなったらすぐ死んでやるぞクソったれが!」



 ――――――悲しい。寂しい。苦しい。


 香織はこの世界にきて、初めてそう強烈に感じた。


 否。これは夫の心だ。夫の纏う黒いものの正体。



「ダメです。」



 香織の心は決まっていた。


 側にいられなくてごめんなさい。


 でも、ショウ君大好き。


 しあわせになってほしい。


 貴方は独りじゃないんだよ。


 貴方は気づいていないかもしれないけれど、私とあなたの娘はずっとあなたの事想ってる。



「1年です。」



「は?」



「まずは、1年耐えてみてください。その時、どうしても死にたかったら1つ願いをかなえてあげましょう。」



「何でそんな無駄な事・・・。」



 香織は知っている。


 夫は意外と流されやすい所があって、香織が無茶を言うととりあえずは一回聞いてくれた。


 特に、頭がいい分、自分の理解できない出来事には弱かった。


 だから香織は決めていた。


 無茶を言うときは自分のためには使わないようにしよう、と。


 騙すような形にはなるけれど、今回はショウ君のためだから、許してね?



「その1年、あなたのステータスを保留にさせていただきます。1年後、もしあなたが”生きたい”と思えば、その時にステータスが付くでしょう。」



 異世界転生実行ボタンをポチっと問答無用で押す。



 白く消えていく夫。



 もう居なくなってしまったのに、しばらくそこに佇んでいると



「俺は拒否した場合は諦めろと言ったはずだぞ。」



 あれ以来、初めて会う神がそこにいた。


 相変わらず金色に光っている。


 そして、相変わらず口も悪くて面白い。



「大丈夫ですよ!」



「何が大丈夫かアホ。勝手に丸め込んで、勝手に願い事の約束なんざして。お前にそんな権限あると思うか?」



「大丈夫ですよ。」



「何がだ。」



「ショウ君はきっと生きたいって思ってくれます。だから、お願いごとを言う時なんて来ません。」



「もし来た場合は?」



「それも大丈夫ですよ。だって。」



 夫の願い事なんか分かっている。



「だって、その時は『私が名乗れば』いいんですよね?」



 そうしたら、きっとあの黒いものに取り込まれて、二人で地獄に行くのだろう。


 夫は私に会いたいって言うか、死にたいって言うはずなのだ。



「私にかなえられる願い事だから、騙していません。だから、大丈夫。」



 ショウ君はきっと大丈夫。


 でも、ショウ君が失敗したら、地獄まで一緒にいくから。


 二人で一緒に逝く地獄ならきっと少しは楽しいだろう。


 地獄ってどんなところかな?と考えるとワクワクしてくるから不思議だ。



「お前は・・・アホなのか、アホだから勘が働きすぎるのか?動物?」



「ひどいよぉーーーー神君~~~!!!香織いっぱい考えて、一番いい事を考えたのにーーーーー!たまには褒めてよー!!!」



 結局、お仕事モードから素に戻った。





 ――――――――――――




 暫く香織の心もざわざわとしたが、気持ちを切り替え業務に励んでいると、いつもの様になってきた。



 ユカリもしばらく心配そうだったが、今は一緒にいつも通り行動している。



 だが、変化も一つあった。


 ユカリが新しい事を覚えた様で、


 休憩の時に時々ショウの様子を見せてくれるようになった。


 水たまりの様なものを呼び出し、そこをのぞき込むと短い時間だがショウの姿がぼんやりと見えるのだ。



 覗き込むと大概変な目にあってたりする。蜂においまわされたりだとか、野犬を殴ってたりだとか。



 笑ってしまったり、心配したりしたけれど。


 あの黒いものがだいぶ減っていて安心した。



 そして、見た後は



「ユカリちゃんありがとう!」


 ユカリに礼を言い、ショウに祈るのだ。



 貴方が幸せでありますように。


 ひとりで寂しくありませんように。


 優しいあなたが、今度こそ報われますように。


 美味しいご飯が食べられますように。


 私を忘れてしまってもいいから、


 だけどユカリちゃんのことだけは覚えていてくれますように。


 でも、私はずっと覚えているから。


 元気で過ごしてください。


 明日が来て、嬉しい日がきますように。




 あれからちょっと長めに祈ってる。




 そんな生活をしばらく続けていると、夫は街にたどり着いたようだった。


 毎日忙しく働いている。


 どこかの親子と一緒に暮らしている様だ。


 毎日ちょっとずつ黒いものが減っていく。


 その様を見ることが、とてもうれしかった。



 神様のいう事はやっぱり正しかった。


 すごい!



 香織は単純にそう思う。



 香織も頑張ってお仕事をつづけた。



 そして、段々と約束の1年が近づいてくる。



 ある日、いつもの休憩時間にユカリの水たまりで見ると、夫に変なものが巻き付いているのに気づく。



 夫の黒いものとはまた違ったなにか。


 なんか紫色っぽいのも交じってて何だか気持ち悪い。


 それがショウの体に大きな蛇のように巻き付いているのだ。



「ショウ君に良くないことが迫っている。」



 そう思った。



 だから、その日はユカリと二人で念入りに祈った。


 普段祈らない神様にまで祈る。



 どうか、ショウ君を助けてください。


 お願いします。






 そして約束の一年が経った。






「おい!約束通り1年頑張ったんだ。願い事はもう決まっている。俺は死んでいいから、ルーナを助けてやってくれ!こいつは全く悪くない良い娘なんだ!頼む!!!早くしないとルーナが死んでしまう!」



 現場に来ると、大変なことになっていた。


 夫と腹から血を流す女の子が一人いる。


 この空間は、多分他人が来れない。


 いや、魂だけの空間だ。


 だから、この女の子はきっと死にかかっているのだろう。



 そして、夫の状態も良くわかる。


 黒いものが殆ど無くなっていた。



 ―――よかった。


 もう、死にたいって思ってないんだ。



 香織の目頭が熱くなる。



 ―――そして、死なせたくないと思える大切な人が出来たんだ。



 とても嬉しかったけれど、少しだけ寂しかった。


 私はショウ君のいい奥さんでいられたかな?


 貴方を一人にしてしまったけれど、私はあなたの自慢の嫁になれましたか?



 自分の役目がもうすぐ終わることに気づく。


 もう、自分はショウにとって必要はないだろう。


 でも、それはとても自然なことだ。鳥のヒナが巣から飛び出し大空にはばたくようなもの。


 ・・・ただ、少し寂しいだけ。



「私は、どうしても死にたかったら1つ願いをかなえて差し上げると言いました。今、あなたは死にたくありませんね?だから願い事をかなえてあげることはできません。」



 自分の言葉に、ショウから黒いものが吹き出すのを感じる。


 でも、香織は動じない。


 だって香織はこの答えを知っている。


 そして、誰より一番に自分を幸せにしてくれたショウを信じているのだ。


 だから香織は絶望しない。



「この世界を生きたいと思ったあなたには、約束通りステータスが授けられます。それは、俗に言うチートというものに該当するでしょう。神より授けられたギフトです。」



 今にも泣きそうな顔を上げた夫を見る。


 ―――泣かないで。


 そう言って、抱きしめて励まして、一緒に悩んであげたい。


 でも、ごめんね。私はもう死んでるの。


 生きてた頃には簡単だったそれらの事が。


 たったそれだけのことが、本当に愛おしいくらいの奇跡だったんだね。



「強く願いなさい。それが貴方の力になる。」



 香織は知っている。


 毎日毎日祈ってた。


 祈りは届いて、ショウを助けてくれた。


 たとえショウを抱きしめられなかったとしても。


 だから、ショウも本気で祈れば、きっと望む未来を手繰り寄せることが出来るだろう。



 その時、今まで感じた事もない物凄く高いところから、ショウに向かって雨あられと金色の光が降り注ぐのがわかった。


 それはキラキラと光って、とても暖かくて、ショウに当たって弾けて、ショウの願いと溶け合って。


 神君の気配とは別の物。




 これがチート。


 いや、神様の恩寵。





 そして唐突に、理解をした。


 ・・・知らなかった。神君よりももっと上にも神様がいたんだ。



 神君が言ってたように、私も知覚できないだけで、もしかしたらもっと沢山神様がいるのかもしれない。



 そう思うと、世界って凄い!って思う。


 その世界をこれから夫は自ら切り開いて生きていけるだろう。



 何も怖い事はない。


 私の役目は終わった。


 自然と笑顔になる。



「今度こそ、新しい世界で幸せになってくださいね。」



 香織ができる、愛しい夫に向けた最後の言寿ぎだった。




 ――――――――――




「あーこれからどうしよっかな~?」



 白い空間に香織と、ユカリがいる。



 当初の目標を達成してしまったので、何をしたらいいのかが分からないのだ。



「どうしよっかなーじゃない。働け。」



「うわぁあああああああああ神君!?」



 唐突に神がいた。


 相変わらず神々しい。



「お前が余計なことをしたせいで、必要以上のギフトが降りてしまった。功徳が足りてない。気を利かせて先払いしてやったから、働いて返せ。」



「うぇええええええ!ひどーい!悪徳ー!!」



「ならお前の旦那から」



「はったらっきま~す♪」



 香織もなんだかセンチメンタルな気持ちを振り払いたくてじゃれついただけで、元より働くことに異論はなかった。



 ユカリもわかったとばかり大きく頭上を旋回する。



「期間はお前の旦那が死ぬまで、だ。」



 ピタリと動きを止める二人。



「早く借金かえせよ?じゃないと、三人とも再会しても労働送りにしてやるからな。」



 ニヤリと人を食ったように笑った気配がする。



「・・・また会える?」



 恐る恐る、香織が尋ねる。



「さぁな?旦那が闇堕ちしないで、お前が善行積んでたら会うんじゃないか?」



 ぱぁああああああああああ・・・・と物凄い笑顔で笑う香織。




「ユカリちゃん!!!!早く!!!!お仕事!!!がんばろう!!!ママ張り切っちゃうよーーー!」



 そしてやかましい。


 ばたばたと先行して走って行った香織を慌てて追いかけるユカリ。




 だが、途中でふと香織が足を止め、神を振り返る。




「神君ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」



「なんだ。」



「私、この世界、すきーーーーーーーーーーーーーーーー!」



「アホか。」



「ありがとーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」





 夫を助けてくれてありがとう。




 私に沢山ヒントをくれてありがとう。




 辛いこと、悲しい事もたくさんあるけれど。




 だけど。




「上の神様もありがとーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」




 今は声を出して言いたい。



 香織の素直な気持ち。



 全ての物に感謝を。



 また夫に会えるこの世界に感謝を。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る