死にたがりの異世界転生譚

コミヤマミサキ

第1話 本編

 俺が異世界転生をしたのは、そのクソったれな人生をそろそろ終わらせようか、と思っていた時だった。






 クソみたいな毎日を、くそみたいにただ惰性で生きていただけだった。



 毎日何をしているのか分からないが、ただ仕事に打ち込んだ。


 毎日、毎日、毎日、毎日・・・・


 来る日も来る日も仕事に打ち込んだ。



 そうしないと、クソみたいな毎日を自覚して、自分が壊れるという事が分かっていたからだ。



 会社の同僚や、お世話になった上司なんかは「休め」ってよく言ってくれた。


 その気持ちは嬉しかったが、正直、有難迷惑だった。


 自分に”生きろ”と言う割には、その舌の根も乾かぬうちに”休め”と言う。


 ここで立ち止まってしまったら、自分は死ぬという事が分かっていた。



 ”アイツ”がいなくなって、がむしゃらに働いて、働いて働いて。



 四十九日が過ぎて、1周忌法要が過ぎて、2年近くになった頃。



 もう誰も俺に”休め”とは言わなくなったが、女性社員からは「怖い」だの「死神」などと言われ距離を置かれるようになっていた。


 そして上司や同僚は痛ましそうなものを見る目で時折俺を見てくるだけだった。



 正直どうでもよかったが、立ち止まると死ぬという事が分かっていたので、ただ仕事に打ち込んだ。


 毎日終電1本前辺りで自宅に帰り、泥のように眠り、休日も大体出勤した。



 そんな生活が祟ったんだろう。



 仕事に打ち込んでるのに「そろそろ死のうか?」という気持ちが毎日泥沼の底から、腐ったガスが湧いたかのように、時折泡のようにボコッっと心に浮き上がってくる。



 精神的にも限界が訪れていたのかもしれない。





 ある朝、布団で目覚めると、体が動かなかった。



 カーテンは安い中途半端なものを適当につけただけだったので、部屋に差し込む朝日がいやに眩しかったことだけは覚えている。



 無理に体を起こそうとして、バランスを崩し顔から崩れ落ちた。



 受け身も取れなかったのに、あまり痛くなかったのを覚えている。



 そして、動かない体で最後に見たものは、”アイツ”とお腹にいた”子供”の位牌。



 ちゃんと生まれてれば名前を付けてあげられたのに・・・



 そういえば考えないようにしていたけど”アイツ”の名前って何だった・・・・?



 意識はそこで白い闇に飲まれた。









 あとは、お決まりの異世界転生コースだ。



 こう見えて、学生時代はファンタジーとかTRPGとか漁ったクチだから俺もラノベにはある程度詳しかった。



 まず真っ白い部屋に召喚された。


 いや、部屋というより空間だろう。


 本当に何もない世界だった。



 そこに現れる金色の女の様な人影。


 光りすぎて眩しくてよく見えない。影っていうよりは、こういうのは人光って呼んだ方がいいのか?


 後光が眩しくてしょうがないので、光度を下げてほしい。



「あ、あなたは元の世界で亡くなりました。」



 お約束の、神様みたいな奴が来た。



 しかも、ドジっ子属性パターンなのか、ドモって挙動不審だ。


 しかし、金色に光ってるとなると、神としての格でもつけたがってるのか?



 声は、女の声・・・というのは分かった。


 だが、正直肉声という感じがしない。


 どちらかと言えば、頭の中に直接響くような感じだった。



 ただ、色だけは分かった。


 白に近い金色の声だった。


 それが、波の波紋を広げるかのように、自分に届いて聞こえるのが分かる。



 声の色が分かるってなんだ自分、と自分自身に失笑する。




「あなたは、異世界転生することになりました。新しい世界で幸せになってくださいね。」



 その神みたいな役柄の金色女はそう言う。



 正直。ホント正直に言えば、ここ2,3年で2番目にクソったれな出来事だと思った。


 1番目は勿論”アイツ”が死んだことだが。



 学生時代までの俺なら歓喜して飛びついたであろう。


 何たってアホだった。


 俺なら異世界に行っても上手くやれる、そう思っただろう。



 だが今のおれは昔とは違う、ただのすり切れた、教室の隅に打ち捨てられた牛乳の腐った匂いがするような、棄てたほうが良い雑巾みたいな存在だ。



「記憶は?」



 そこが本題だ。異世界転生させられても、記憶がなければすべてを忘れて希望を取り戻せるかもしれない。まだ許せる。



「記憶を留めることが異世界転生の条件ですので、このままですね。」



「クソったれが。」



 久方ぶりに口に汚い言葉が駄々洩れした。まぁ、相手は神っぽいから心の中をありがちに読んだかもしれないが、口に出さずにはおれない。


 元・人間の性と思って諦めてもらうしかない。



「何で俺なんだ。今すぐ死にたくて死にたくて仕様が無い奴なんかに何で転生なんてさせるんだ。異世界に行きたい奴やヒャッハーしたい奴にやらせておけばいいだろ?転生したって俺はこうなったらすぐ死んでやるぞクソったれが!」



 するすると暴言を吐いていた。


 相手が神っぽいとは言え構うものか。



 だが、地獄に落ちて責め苦を味わうのは少し嫌だなと思う。


 何で悪いことをしていない俺が、地上の地獄を味わったのに、死んでも地獄を味わなければならないのか。その理不尽はちょっと納得がいかない。


 希望としては記憶消去コースだな、やっぱ。もしくは消滅でもいい。




「ダメです。」



 オドオドとしていた人影が、妙にきっぱりとそれだけは否定をする。



 何でこんなところだけ神っぽいんだ。クソが。



「1年です。」



「は?」



「まずは、1年耐えてみてください。その時、どうしても死にたかったら1つ願いをかなえてあげましょう。」



「何でそんな無駄な事・・・。」



 1年どころか2年気持ちが変わらなかった俺に、もう1年過ごしたって何か意味があるんだろうか。そうは思えなかった。



「その1年、あなたのステータスを保留にさせていただきます。1年後、もしあなたが”生きたい”と思えば、その時にステータスが付くでしょう。」



 ぱぁああああああああ・・・っと金の神っぽいのが光りだす。



 さっきでも光量を押さえてたのか!うわっ眩しっ!




 ・・・・・・・・・・



 ・・・・・・




 ・・・





 ・・







 そして、俺は気づくと森に一人立っていた。



 本当に唐突に立っていた。


 夢遊病もびっくりだ。



 ペタペタと自分を触ってみると、どことなく若返ってる感じはした。後で池などに写った像で見てはみたが、いまいち自信はない。


 とりあえず、顔かたちはそう変ってはいなかった。



 そこからがホント大変だった。


 生きろと言ったくせに、今にも死ぬわ!みたいな出来事ばかりだった。



 野犬に襲われるわ、街は見つからないわ、飢えるわ散々だ。



 装備なども全くありはしなかった。


 食い物も全くなかった。



 貫頭衣を少し変化させた、地味な色合いの服を着ているだけ。



 オーガニックカラーを有難がってるやつの気持ちがよくわからない。今ならこの服をたんまり着せてやるのに!そう下らないことを考えて毎日生きることに必死になった。青とか赤とか黄色とか、とにかくケミカルな色が見たくなったが、当然のことながら緑とか茶色とか良くて木の実の赤と紫くらいしか見たことがない。



 火を起こすことだって、大昔キャンプの時に数回やったことがあるだけだ。


 紐みたいな蔓と枝を使用し、摩擦熱で初めて火をつけられた時、俺はちょっとだけ泣いた。



 そんなサバイバルな毎日だったが、日付だけは忘れないようにと、夜が明けた日数は印をつけて記憶し続けた。



 鳥っぽい生き物が啄んでる木の実を食い(渋かったり甘かったり酸っぱかったり当たりはずれがでかすぎる!)、魚を釣り上げて食い、日が暮れたら明かりが無いので寝る。


 たまに腹を壊して酷い目にあった。


 だが、まぁそれで済んだのは運が良かったからなのだろう。



 そんな生活を人間が住む場所を探しながら続けた。



 30日もすれば不思議と慣れてきたもので、1日飢えることを凌ぐだけはできるようになっており、謎の充足感を感じるようになった。




【32日目】


 そして、32日目にして人工の『道』に遭遇した。





 その道を見つけた時、驚きで心臓が止まるかと思った。



 今までさんざん人の痕跡を探すことを目標にしていたのだ。



『道』の発見は喜ばしい事とはいえ、そこまで驚く自分に驚いた。





 そして、ふと気づく。



 ―――――――”人間がこの世界には居ないかもしれない”と思っていた事に。




 自分は弱気になっていたのか。


 とも思うし、今更人間に会ってどうするのか、とも思う。



 会ってみたいか、会ってみたくないかと言われたら会ってみたい・・・のだと思う。


 いや、そもそもSFみたいなのが出てくるかもしれないが。



 折角無駄とはいえ異世界に来たのだから、どういう世界だったかくらい認識しておきたい。



 ・・・・そこまで考えて、もう一つの事に気づく。



 ここ32日、生き残ることに必死で『死にたい。』と考えてる余裕が全くなかったという事に。



 ・・・・



 本当に面白くない。


 これではあの神の思惑通りではないか。



 明日にでも野犬に食われてしまえば、もしかしたら自殺ではないから天国に行けるか、消滅できるかもしれない。いや、未必の故意は法律でもアウトだから天国のジャッジ的にもアウトだろうか?いやそもそも、自分は仏教徒で天国じゃないのでは?




 などと下らないことを考えて混乱をしていた。



 ・・・。



 どんなにくだらない事を考えても、


 道は、ただ、そこに在り続ける。




 ちらり、と元来た森を見る。



 ・・・・。





 ―――死ぬのは何時でもできる。





 そう思った。



 ならば道の先を見てからでも遅くはあるまい。


 そう、無理に納得することにした。



 最悪でも、1年後に願いをかなえてくれる時に、死にたいと願えばいいだけなのだ。



 そう、自分に納得させた。




 と、なれば道のどちらに進むかが問題だった。



 だが、どう考えても分かりはしない。ならば棒倒しでもして決めようと手ごろな木の棒を探し始めた時だった。



 ―――ギャァア!―――――




 物凄く遠くから、人の悲鳴のようなものが聞こえたのだ。


 人が誰かに襲われているのか!?


 そう思ったら、いてもたってもいられなかった。



 足音を潜め、だがしかしできるだけ早く歩くことを心掛ける。


 ここ32日のサバイバル生活ですっかり森歩きは得意になっていた。


 さらに人工の道ならば、より楽に移動で来た。



 移動する事7分ほどだろうか、小さな幌馬車の様なもののところに剣や弓で武装した男が3人いる。髭がもさもさで厳つい。



 商人風の男が殴られている。幌馬車の中から女の子を引きずり降ろそうとし、下卑たニヤニヤ顔を浮かべている。


 娘の服にワザと刃物をあて、ゆっくりあちこち破りはじめる。



 あれ・・・?これってファンタジーなどでよくある定番王道パターンじゃね!?



 それに気づいて必死に止めようとして、殴られる商人風の男。


 そしてそれを見た娘が悲痛な声をあげ、またニヤニヤする男たち。


 全然関係ないのに、”アイツ”が死んだことを思い出す。


 ”アイツ”は事故だったからホント関係ないんだが、これからひどい目に合うであろう少女の悲痛な声が嫌な思い出を連想させたのかもしれない。




 どうにかして、助けてやりたい。


 ありきたりだが、そう思った。


 ただの、代謝で”アイツ”を助けられなかった欲求を満足させたいだけのくだらない感情。


 しかし、いつ死んでも構わないのだから、好きに命は使ってもいいだろう。


 俺の人生だ。



 だが、助けるとしても、こちらは木の枝一本きりしかない。


 しかして、時間もない。



 ・・・。



 となれば、戦力の分断しかないだろうと決断を下す。



「アオーーーーーーーーーーーーン」



 ここ、32日、聴きなれた野犬の真似をワザと小さく、遠くに聞こえるようにする。



 案の定、慌てだす慮外ものたち。


 だが、残念なことに、何を言ってるのかさっぱりわからない。


 雰囲気的に


「ヤバい!野犬があつまってきてないか!?」


「クソ、いい時に!」


 みたいな感じに見える。



 言語チートはなかったと見えるが、これもステータスを保留されてるからかもなと納得する。




 そして自分の後ろの方に石を放る。なるべく水平にきり、ドサッという音を少なめにガサガサとした音を多めに出すように心がける。



 やはり、びくつく男たち。商人風の男と娘もビビっているがそれはまぁ仕方ない。



 野犬如きにビビっている様では、敵は大した腕じゃないだろうと自分を鼓舞する。



 さらに遠くに軽く石を投げ、音を出し、自分は音を殺して素早く移動し、敵の背後に回り込むようにする。



 数分様子を見てたようだが、音がしないため、男たちのうちのひとりが様子を見に行った。



 これで敵は2人になる。


 流石に野生動物に囲まれて、いたす気は起きないのだろう。娘は捕まえられてはいる今の所貞操は無事だった。



 そして、沈黙に耐えられなくなったのだろう、娘を無理やり連れて、馬車の裏側に様子を見に来る男が1人。



 ここだ!と思ったら体がもう動いていた。


 ガサッっと音が出ることもいとわず、ダッシュで草陰から飛び出し、その勢いのまま木の棒で男に殴りかかった。



 男は野生動物だと思って弓を構えようとしたが、人間で焦ったのだろう。一応撃ったが、大きく右上方に軌道はそれる。そして射撃のために娘を離しているのも好機だった。そのまま棒で頭を殴りつけ転ばせる。


 娘は悲鳴を飲み込み、ただ固まっていた。



「・・・!!?」



 音に気付いたのだろう。馬車の前方の男が、殴った男の方に何か叫んだので、急いで右回りに馬車を回り込んで殴りにかかる。敵は御者台にいたので、高い位置で不利だったが、商人風の男を抑え込もうとして手がふさがっていたのが幸いした。敵の動きは必然的に小さくなり、自分の木の棒をよけきれず、遠心力に任せて殴った勢いのまま幌馬車にぶつかり跳ね返って御者台から落ちた。



 自分の言語は通じないだろうが、「早く抑えて!」と商人風の男に落ちた男を指さしたら多分分かったと思う。慌てて何かを探していた。


 自分は騒ぎを聞きつけて戻ってくるだろう男の方へ意識を向ける。



 ・・・いや、その前に全く活躍の機会がなかった敵の切れ味が悪そうな剣を頂戴し、て構え意識を前方に向ける。



 叫び声を聞いて焦ったのだろう、慌てて戻ってくる音がする。森の中は日本と比べそこまで下草が生えていなくて物陰が少ない。すぐこちらに気づくと思うが、なるべく不意を打てるようにと低木に隠れる。




 そして覚悟を決める。



 山賊風の男が、正義だという事も十分考えられる。


 もしかしたら、商人風の男が奴隷商人とかで悪い奴かもしれない。


 でも、女を無理やり手籠めにしようとするのは、やはり良い奴でもないだろう。


 いや、その前に完全に良い悪いを判別することはできない。



 人間みな生きるのに必死で、どちらも正義でどちらも悪に違いない。



 だが、自分が生きるためだ。



 死にたかった自分が、生きるために命を奪う。



 とんだ茶番だ。


 だが、1年生きろといったのはあの女神っぽいのだし、そこは諦めてもらうしかない。


 自分の欲に従って殺すのではないから、地獄にいる期間は短くしてもらえるだろう。



「・・・!・・・!?・・・!!!」



 何かを叫びながら3人目の男が出てくる。


 馬車の方を見て怒っている。


 そんな大声を出していたら、野生動物の格好の餌食になると思うけれど。


 それとも、逆に動物よけになって逃げてくれるのかな?


 案外それが目的かもしれないが、とにかく男が何かを叫びながら道の方に出てくる。俺はしゃがんで準備をする。ただ、剣を構えて男が射程に入った瞬間に飛び込む。



 ただ、綺麗に刺すことだけを考えた。



 森から出てきた男は、自分に気づき酷く驚いた顔をしていた。




 ――――――そこまでは覚えている。











 ・・・ガタガタガタガタ





 気付くと、規則正しいリズムと共に揺れた馬車の御者台に座っていた。



 隣には商人風の男。



 聞いたこともない鼻歌を歌って上機嫌である。



 意識を飛ばしていたこちらに向かって、時折気の毒そうに懸命に何かを話しかけてくれるが、残念ながら意味がやはり分からない。



 意識が戻ってきた自分に気づいたのだろう、先ほどよりも多く何かを話しかけてくれるが、残念ながら分からないので、「申し訳ないです」とぺこりと謝ると、何かしきりに慌てていた。



 服は血まみれだった。


 きっと、自分があの男を殺したのだろう。



 指先を見ると少し手が震えていた。



 死にたがっていたくせに、あれくらいで意識を飛ばすなんて情けない。そう思った。



 そんな自分を見て、何を考えてるのか察したのだろう。



 商人風の男が自分自身を指さし「ペーシェム!ペーシェム!」としきりに連呼する。



 もしかして、「ペーシェムさん?」


 と言えば、嬉しそうに何度もうなずく。


 頷くのは同じYESという意味合いなのだろうか?


 確か地球でも頷くことがNOという国もあるそうだが・・・



 でも、男が嬉しそうにうなずいているのできっとYESの意味だろう。


 指をさすことも侮辱になる地方もあるので迷ったので、結局日本人っぽく手のひらを上に向けて「ペーシェム、さん?」


 と聞けば、「ラァ!ラァ!」と言う。


 ラァは「YES」・・・って意味かな。



 自分に手のひらを当てて、言う。



「ショウジ。」



「しょ・・・ショージ?」



「ん~・・・・ショウ・ジ」



「ショウ!ショウ!」



 嬉しそうに連呼される。


 いや、俺の名は庄司なんだが、言いづらいよな・・・もうショウでもショージでもいっかと思う。


 それより、自分の胸が何だか温かい。


 人と話すのは本当に久しぶりで、ただの気遣いがこんなに温かいものだとは知らなかった。



 ちょっと笑ってしまうと、目に見えてホッとした顔をされた。



「・・・ミーア・ハ?」



 先ほどの娘・・・近くでみると日本人だと14歳くらいに見えるから外国人だと12,3歳くらいになるのだろうか?幌馬車の布をめくり、声をかけてくる。


 服は新しいものにちゃんと着替えてある。


 特に精神的にダメージを負ってる風でもないので、ほっとする。




 ペーシェムと名乗った商人風の男は、何か早口で娘に言った後、自分に向き直ったて娘を指さしこういう。


「ショウ!ルーナ!ルーナ!」


 ゆび指さすのは大丈夫なのか。でも身内だからっていう事もあるしな。



 なにはともあれ、挨拶はコミュニケーションの基本である。



「ショウ・・・です。よろしく、ルーナ。」



 分かりやすく、切って伝える。ついでに頭も軽く下げる。


 緊張した面持ちの娘は、自分の様子を見て何故かクスクス笑い、緊張を解いたようだった。



 言葉が通じないと分かっても、親子(なんだろうか?)はしきりに声をかけてくれ、自分も分からないながらも日本語でうんうんと返していた。



 何で自分がこの馬車に乗っているのか分からなかったが、意識を飛ばしている自分を見かねて拾ってくれたのだろう。どう見ても怪しく、32日も髭を剃っていない、怪しい男に優しく声をかけてくれる。


 それとも、奴隷などに売り飛ばそうとしているのだろうか?ちらっと考えてしまう自分が少し情けない。



 その日は森を抜けきらないで、少し開けた場所で野宿の準備となった。


 その広場には他の商人ぽい男たちが2組いて、幌馬車も2台あり、野営の準備をしている所だ。それぞれ顔見知りの様で、ペーシェムさんやルーナさんと仲良く声を交わしている。


 見知らぬ血まみれの怪しい男に初め緊張した面持ちだったが、ペーシェムさんたちが必死に何かを言ってくれ、ホッとした雰囲気が漂ったので多分大丈夫だろう。



 ここで野宿なのだろうから、火を起こそうとカマドを作る石を探しているところ、ルーナさんにつかまって森の奥に連れていかれる。一体何事かと思っていたら何か赤い実の様なものを彼女は持っており、それで川の中に入るように多分命令された。血を落とせという事なのだろう。異世界の気候は特段寒くなかったが、32日前と比べ暑く、そして日中が長くなっているように思われたので、夏に向かっているのだと思うが少し水の中は冷たかった。


 が、恐る恐る水につかるとルーナさんにゴシゴシと洗われる。



「わ―――ちょっと待って!?嫁入り前の娘さんにそんなところ洗わせられないから!?・・・・・ぎゃーーーーーーーー!!!」



 とひとしきり日本語で叫んでても問答無用とばかりに洗われた。



 10分ばかり洗われただろうか。



 血のりは固まると取れにくくなるっていうし、ぬるま湯で洗った方が落ちやすいので、諦めていたのだが、何故か思ったよりもよく落ちていた。


 ルーナさんが持っていた赤い実のおかげだろうか?


 固まりかかった外側の所だけが縞に薄く残ったくらいだった。



 着替えが無いのでビショビショであるが、タオルみたいな薄手の布をかしてくれた。が、初めタオルと分からなくて、布を持ったままぼんやりしていると、奪われてルーナさんにひとしきりふかれ、「しょうがない人ね!」と言わんばかりに火の前に置かれた。あまりの出来事に放心気味であったが、それが隙があって良かったのだろうか?気づけば火の回りに人が集まっており、最初の時の様に警戒される様子はまるでなかった。女の人は笑って背中を叩いてきたりしたが、何を言いたかったのかよくわからない。



 妙齢の女性に丸洗いされるという羞恥プレイはあったが、笑いを取れてよかったと割り切ることにする。



 皆さんが名前を教えてくれるので、ショウと自己紹介をして回る。ごはんをわけてくれたりする。硬い黒パンのような物だったり、チーズのような物だったり。



 服も少し乾いたし、日もやや傾いてきたので、すこしだけ森に入ると森を指さして日本語で言って火を離れる。慌てて止めようとする人も居たが、ニコニコしていたら諦められた。



 あまり森に籠っていても心配させるだろうと近隣を軽く見て回るだけにした。


 食べられる木の実やベリー、魚も先ほどの川で1匹運よく釣れたのでエラを手に引っ掛けてもっていく。時間としては30分ほどだっただろうか。


 魚を持ってきたことに驚かれて、なんか褒められたような感じがした。


 調理などできず、魚以外は生で食うしか自分はできないので、一番貫禄がある奥さんに食べ物はまとめて渡しておく。




 ルーナさんには怒られた。


 言葉は分からないが、ちょっと拗ねてた。心配してくれたんだろうか。会ったばかりの人間なのに。


 ペーシェムさんには剣を渡された。これは、さっき山賊から奪ってとどめを刺したであろう剣だろう。くれる・・・という事なのか。なまくらだけど、血のりをとってくれてて、少し研いでくれてあるようだった。「ありがとうございます。」とお礼を言い頭を下げると、慌てて照れている様だった。武装して森には入りなさいと言いたいのだろう。野犬が出たら厄介だし。



 夜は交代で寝ずの番をした。



 野犬が1度来て追い払うのに広い場所なのでより苦労した。


 一度などおばちゃんが鬼の形相でフライパンで犬の鼻っ面をぶん殴った。



 あの犬は二度と来なかった。



 おばちゃん、おっかねぇ。




【33日目】



 朝、再び朝ごはんの準備をする。


 昨日犬をぶん殴ったおばちゃんが、例のフライパンで魚料理を振舞ってくれる。


 微妙な気持ちだ。



 再びルーナさんにつかまり、今度は刃物で迫られた。


 どうやらペーシェムさんの髭剃りだったらしく、ジョリジョリと髭を剃られた。


 女っていうのは、どうしてこうおっかないのか。



 そして、別れの時。


 向こうの2家族との別れの挨拶をする。挨拶はハグだった。


 あちらの家族は来た道の方へ向かってるので、あちらにも町はあるのだろう。



 少し名残惜しいが、向こうが遠くから手を振ってくれたので振り返す。


 こちらもサヨナラは手を振る事と覚える。




 3,4時間だろうか?


 馬車で進むと町が見えてくる。


 城壁で覆われ、賑やかそうな町である。


 数千人くらい暮らしていそうな感じだな。



「ラリアス!ラリアス!」


 と、ペーシェムさんは街を指して嬉しそうに笑う。


 きっとラリアスという街なのだろう。


「ラリアス。」と言って相槌をうちかえす。



 死にかかったのに無事に戻れたからそれは嬉しいだろう。


 ペーシェムさんの声に後ろからルーナさんも顔を出して笑顔を見せる。


 この二人が無事なことが嬉しい。




 そして、お約束の関門。


 俺、身分証明書がないどころか、言葉話せないんだけどどうすりゃいいんだコレ?



 順番待ちの人たちで長蛇の列になっており、自分たちも一緒にならんだ。


 俺が微妙な表情をしていたからだろう、笑ってペーシェムさんが「デュルヤン、デュルヤン!」と言ってる。


 大丈夫・・・て感じなのか?


 まーダメならダメで・・・ほかの街行くか、森生活に戻るだけだが。


 さすがに捕まりはしないよな?




 小1地時間ほど待って、漸く俺たちの順番が来た。


 ペーシェムさんが憲兵のような人たちを相手に早口で何かをまくし立てている。


 相手は顔見知りなのか、和やかな雰囲気である。



 でも俺の方をみて、なんか眉をひそめて憲兵が何かを問いただしてる。



 で、ペーシェムさんの身振り手振り大振りで説明。


 これはあれですかね。


 強盗に襲われた所の実演ですかね。



 で、幌馬車の中から、ずた袋に入った3つの巨大な荷物をルーナさんが下ろしているのに気づきギョッとする。



 あれってもしかして、もしかしなくても人くらいの大きさだよな?


 血も滲んでるしな?



 ・・・うわー、てっきり棄ててきたんだと思ってたけど、報告とかにいるのか?連れてきてたのか。


 それは仕方ないとは思うんだが、死体とずっと一緒だと気づかなかったので、ちょっと軟弱な日本人としてはメンタルが削られた。



 ルーナさんといえば、ニコニコしており現地の人はこんなことは日常茶飯事なのか?強いなぁってなる。



 憲兵たちがズタ袋の中身を確認している。


 髪がちょっと見えた。うぇっぷ。



 嫌そうな顔をしてたからだろうか、「お手柄だったな」と言わんばかりに肩をバシバシと一人の憲兵に叩かれた。


 どうも、といった感じで会釈をしておく。



 そして、無事関門を通過することが出来た。



 塀の内側はさらに活気があり、牛の様な生き物がいたるところで荷馬車をひいていたり、市が立っており物凄い人出だ。



 ボーとしてそれを見ていると、ペーシェムさんがこちらを見てニコニコしていたのでちょっと照れる。


 外から見たらお上りさんみたいだったろう。



 33日目にして俺は初めて人間のいる街にたどり着いたのだった。






 そして、【363日目】



 あれから随分時間が経った。



 ペーシェムさんは行く当てのない自分を自分の店まで連れて帰ってくれ、従業員として雇ってくれた。とりあえず3食ベッド付きなのが有難い。店は中小商店といった感じで、従業員が5名ほどいるんだと思う。自分の眼に入らない裏方とか、別の街の店舗とかあるのかもしれないが。


 始めは見よう見まねで店の荷運びなどを手伝ってたが、最近では計算なども手伝っている。


 数字は勿論地球と違うのだが、10進法なのが救いだ。


 ある時地面にガリガリと文字を書いて商品や金の計算していたところを見られていて、これもやってみろと書類を渡されたのだ。未だに黒板にアラビア数字で書いて計算してから、現地の言葉に直しているけれど。


 暇に任せてある時出店用の釣銭用コインケースを木材で作ったところ、大変に喜ばれた。だが、問題もあったみたいで同じ銅貨でも微妙に時期によって成分や形が違ったりするらしい。結局主要な金貨、銀貨、銅貨では合うコインケースを何種類か作った。微妙に合わないのは詳細鑑定に回すような方式が取れ、時間短縮につながったらしい。この時代の貨幣は大変だな。天秤必須だし。


 でも、木も金属も寒さや湿気などで時期によって収縮したりするから、通年で役に立つのかね?あれ。と思ったがそこまで細かい現地の言葉をまだ知らない。要改良だろう。




 風呂は意外にも公衆浴場が街にあったので週1回くらいで通ってきている。


 初めてペーシェムさんに連れて来られた時には驚いたので、めっちゃご満悦な顔をされた。街の自慢なのだろう。



 現地にも慣れてきて、言葉はたどたどしくも片言なら話せるようになった。



 慣れてきたら3か月くらいで呼び名を正された。


「お前の毎回名前に付ける『サン』とはなんだ?」


 と聞かれたので、敬称だと答えたら家族に要らんわドアホと言われた。


 多分、脳内で大体単語を補完してるので予想だが、そんな感じのニュアンスだと思う。


 それから癖でサンをつける度に頭をはたかれた。


 いつの間にか、サンをつけないことに慣れてしまった。




 そして約束の1年が近づき俺は悩んでいる。



 そもそあの女神に1年と言われたが、地球基準なのだろうか?


 それとも異世界基準なのだろうか?そこから悩んだが、聴く相手もいないのでよくわからない。


 この世界の1年は370日ほどだというので、365~370日の間には来るだろうと思っている。


 いや、来なくても遠隔でわかるのか?


 突然死んだりするのは、それはそれで勘弁してもらいたい。



 そして、この生活を続け、現金なことに今はそこまで前向きに死にたいと思っていない自分がいる(前向きに死にたいとは胡乱な言葉だが)。


 それに、家族の様に優しくしてくれたルーナやペイシェムに何も恩返しをせず、いきなり死ぬのも申し訳ない気がする。


 優しい人たちだからきっと泣いてくれるだろう。


 あと10年とかに伸ばしてくれるのが丁度いいんだが、そうは問屋が卸さないだろうな。



 まぁ、死んでルーナとペイシェムたちの記憶を消してって言うのもアリなのか?




「ルーナ、ペイシェム おはよう。俺、ご飯 作る。」



「いいのよ、ショウ。一緒に作っちゃうから気にしないで!今日は珍しく卵もらったのよ!」



 いつも明るいルーナも今年で14歳らしい。


 日本人にしたらもう高校生に見える。外人さんは発育が早い。


 金髪がキラキラして結構美人な部類だと思うが、毎日見てるので妹みたいな感覚だ。


 そして、この世界で卵は結構な高級品なことに驚いた。大体1個500円くらいの感覚。勿論生食はしない。



「そうだぞ、ショウ。君は僕の家族なんだから朝食くらい遠慮するな。」



「ありガトウ。」



 そう言って、いつもの席に着く。


 ペーシェムは奥さんを2年前に流行病で亡くしたらしい。


 それ以来、薬の流通にも力を入れ始めてる。


 俺にもときどき難しい質問をするので、ネズミは危ないだの、手を洗ったり風呂で病気が減るなど言ったら熱心に聞いていた。


 病気の素の話もしたが、微妙に通じなかった。


 そりゃそうか。



 ・・・ホントいい人だなって思う。


 ”アイツ”が死んで、生きる屍だった俺とは大違いだ。


 絶望をバネにして力強く生きている。


 あの時、ペーシェムとルーナを助けられてホントよかったと思う。


 生きる屍でも多少役に立ったというわけだ。



 そういえば、ペーシェムに10か月くらい前に「何であんな森にいたのか?」と聞かれたので、「妻 事故 しぬ。 なぜか あそこ いた。」とたどたどしく単語を並べたところ、その日の飲みに連れてってもらった。多分、ペーシェムの中で俺は妻に先立たれ世捨て人になった変人だと思われてる。



「タマゴ ひさしぶり!おいし!」



 こっち、肉も少ないんだよな。あーまじうめぇ。卵。


 付け合わせは野菜と、フルーツと、ヨーグルトみたいな白い奴。


 パンはやはり黒パン。酸味が強いからライ麦パンみたいな奴。


 こっちは野菜も高くてニンジンみたいなのが1本500円くらいする。


 日本と比べて緯度が高いのだろう。


 冬の寒さも半端なかった。



 タマゴで歓喜してる俺をみてルーナはクスクス笑っている。


 ふん!笑いたければ笑うがいい!タンパク質はジャスティスだ。



 ペーシェムもいつも通りにこやかだ。



 あーなんか幸せだなー。



 って思う。



 死ななくてもいいかな、俺。



 知らなかったな。


 俺って結構単純だったんだな。



 あっちの世界でも、もう少し視野を広げられてたら、立ち直れたのだろうか?



 今日も商会のお仕事を頑張るぞ。




【364日目】



 女神へのお願いはまだ決まらない。



 今日はルーナの学校の日である。


 ルーナは毎日は行けないが、町の学校に通っている。


 最上級学年なので、今年で卒業だが週4行っている。


 とはいえ、ルーナは自宅で家庭教師もいたので読み書き計算、商家の事は大体分かっている。何のために行っているかと言えば、主に人脈づくり(友達作り)や共通の話題を作る事、そして噂の仕入れだという。さすが商売人の娘と思った。



 だがしかし、最近よろしくないことがある。



「ルーナ。」



 ルーナの学校への送り迎えは俺の仕事になっているが、最近ときどき妙なのが現れる。



 今日も現れた。


 そっとルーナの前に出てルーナを隠す。



「デュアン。何の用?今日も大した用じゃないでしょう?学校に遅れちゃう。困るわ。」



 デュアンと呼ばれた男は、ルーナの同級生だ。


 大工の息子である。


 分かりやすくルーナに一目ぼれして、大人しい性格なのだろう。毎回、ただルーナの後を付け回している。


 所謂『ストーカー』だ。



「あの・・・。今日も綺麗だね・・・。」


 モジモジと下を向いて答える。でも微妙に話がかみ合っていない。


 コミュニケーションが取れないと気持ち悪いって言われるのはこういうところだろうな。



「ルーナ。学校へいく。どいて。」


 俺が言うと、憎々しい視線を向けてくる。


 邪魔しているのはお前だろうが、と思うがこういう輩には通じないだろう。



「そうよ、デュアン。私はもう行くわ。こういう事しないでね。・・・また学校でね。」



 デュアンからルーナをできるだけ遠ざけるようにしながら、庇ってデュアンの横を通り抜ける。



「ルーナ!ルーナ!!!待って・・・!僕もう時間がなくて!君は本当に綺麗で!」


 必死に言い募るデュアン。


 初恋なのだろうか、気持ちは分からないでもないが相手の都合を全く考えていない。




「ほめてくださってありがとう。ショウ行こう!」



 デュアンには硬い表情しか浮かべてないのに、俺には柔らかい微笑を浮かべるルーナ。


 俺は嬉しいけど、これって結構な逆効果じゃないか?


 デュアンは俯いて、わなないている様であったが、再びついてこようとはしなかった。



 まぁそれで諦めてくれるのならいいんだが。


 ルーナの家は商家でそこそこお金持ちだ。


 そして、ルーナは性格も明るく、優しく(金が絡んでるからね!と言ってた。)、人気者である。


 ペーシェムはルーナを割と溺愛してるし、おそらく婿養子を取るだろう。



 そうなると、実務ができる奴か、広告塔になるやつになるが、広告塔は実質ルーナが受け持っているようなものだ。


 結果的に求められるのは実務能力なのだから、まだそこを磨いた方が未来があると思うのが年上の発想だ。


 ま、あれだけコミュニケーション能力が足りないと無理だろうが。



 ルーナも大して利益もない彼を選ばないだろう。


 せいぜい、彼はなれてお得意様程度である。


 ルーナの事情もルーナの性格も何も分かろうとしない。


 現実も見ず、ただ付きまとうだけの彼は、失礼な話、害虫と同じ扱いになるのは当たり前である。


 ルーナの横には永遠に立てないだろう。



 あと数日で学校の単位が取り終わるので、デュアンの事もあるし殆ど登校しなくなる。


 それをデュアンにも伝えてあるのであんなに彼は焦っているのだろう。



「じゃあ、ルーナ。 帰り迎えに来る。 待ってて。」



「うん、ショウ!気を付けて帰ってね!ありがとう!」



 明るく笑うルーナ。



 彼女の未来が明るくなる様に、少しでもその手助けができたら嬉しい。





【365日目】



 いつも通りの朝を迎える。



 約束の1年近くになる。早ければ今日女神は現れるだろう。



 朝から気もそぞろだったので、ルーナやペイシェムに心配されるが、何でもないと言い切る。きっと一日ドキドキするが、仕事はなくならない。しっかり働かなくては。



 今日はルーナとペイシェムと一緒に大通りの店への品出しだ。


 これが豆とかあって結構重い。


 次から次へと商品を搬入していく。


 重いのでルーナや女性社員はレイアウトとか、値札、在庫のチェックなどをしている。


 男性はリレー式で奥の方に運ぶ。


 日本人的感覚から言うと、裏にも道を作ってそこから搬入すればいいのに、と言ってみたところ、「そこまで街が発展する前に裏に家が出来てしまった」のだという。計画的都市計画はなかなか難しいんだなと思う。


 よって、市は朝の10時あたりからと決められており、それ以降は大通りに荷馬車は入れない。


 よって、どの店も交代で、早い時間帯に搬入している。


 細かい取り決めが周囲とあるらしい。



 無心に体を動かしていると、どうしても今日の事が頭をよぎってしまう。



 そもそも、森に飛ばされた時はボーとしてて、昼間だったのは覚えているが何時位だったのかも判然としない。



 そもそも、生きるか死ぬかさえまだ決められていない。



 ・・・いや、今の段階だと多分生きるって言うと思う。



 それが”アイツ”への裏切りの様にも思えるけれども、馬鹿みたいに能天気だった”アイツ”は許してくれると思う。


 子どももきっと許してくれる・・・よな?一度も会えなかったけど多分。



 となると、願い事がなくなるのか?それはそれで残念の様な・・・。




 色々考えていたのがいけなかったんだろうか。




「ショウ!!」




 ルーナの金切り声でハッと顔を上げると、あちこちで悲鳴が上がるのと同時だった。



 15メートルほど先にデュアンがおり、刃物か何かを構えて突進してくるところだ。



 ターゲットは・・・『俺?』



 アイツは何を勘違いしてるのだろうかと、まずはじめに浮かんだのは失笑だ。


 的外れもいいところだ。


 俺はルーナの家族みたいに接してもらっているが、それは1年前の事を恩に感じてくれているからだ。そして行き場のない可哀想な家族を失くした俺に同情し、同じく家族を失くした二人が相哀れんでくれているだけだろう。



 俺を殺したって、ルーナはきっと泣いてはくれるが、それなりに幸せな結婚をし幸せな暮らしをするだろう。



 デュアンの刃物、というよりは木を削りだすような大工の道具だろう。



 鑿とかそういう類の物。




『ああ・・・。』




 一瞬、その鈍く光る鑿に魅せられる。




『どうせ、死のうと思ってたし、今死んでもいいんじゃないか。』




 異世界転生して、ルーナやペイシェムや色んな人と出会って、思ったより悪くない世界で。


 それなりに楽しかったけど、胸の中の絶望が完全に消えたわけじゃない。



 どんなに楽しくても、時折、ふとあの頃の闇に引き戻される、そんな感覚もある。



 どうせ、デュアンが誰かを傷つけたり怪我をさせるなら、死にたかった俺がここで役に立てばいいじゃないか。


 そうすればアイツは捕まり、きっとルーナが安心して嫁にも行けるだろう。



 何より、生きるか死ぬかばかり考えることに少し疲れた―――――—




 一瞬で受け入れてしまったのだと思う。



 俺は終わりの時をまち、そっと目を閉じる。




 ドンっ。




 ・・・・鈍い衝撃はあったが、痛みは全然来ない。



 温かさを感じる。



 目を開ける。



 サラサラとした金髪が目に入る。


 いつも見てる、太陽に揺れて輝く金髪。


 守りたかった大切なもの。



 いつの間にか、俺とペイシェムの間にルーナがいて。



デュアンの凶刃を受けたのは、俺との間に割って入ったルーナだった。






「ルーナ。」



 声が震える。


 声がうまくでない。



 崩れ落ちるルーナの体を思わず抱き留める。


 温かい。


 あの日と同じ誰かの血。



 何でこんなに血が出ている?



「う、うわぁああああああああああああ・・・・・!!!!そいつが!そいつが!わるいんだ!おれからルーナを取り上げるから!!!」



 血まみれで鑿を持ったデュアンが叫んでいる。



 せめて刺したままだったら医者が来るまでもったかもしれないのに、太い動脈を傷つけたのだろう。ルーナの腹から血が溢れて止まらない。




 そう、冷静に判断を下す自分を他人事のように感じていた。





「なん・・・で?」


 必死でルーナの腹を押さえるけど、どんどん零れていく温かい、ルーナの血。



 色んな人が叫んでいるが、俺の耳には意味を成す単語に聞こえなかった。



 ただ、視界の中で、ルーナだけが嬉しそうに笑う。



「よかった。」



 そして、気を失った様だ。





 なにが。



 何が良いものか。



 俺なんか死んでよかったのに、なんでこんな男を庇った。



 君には未来があって。キラキラ光っていて。



 誰よりも幸せになってほしい家族だった。



 今日まで生きて来れたのは、家族になってくれたペイシェムと君のおかげだというのに。







 ――――――そして、全てのざわめきが一瞬で停止した。










「約束の1年が経ちました。」








 俺の目の前には、あの日見たままの、金色の神らしき人の姿。


 まるで、今までずっとそこに存在したかのように、ただそこに在る。




 これは絶好の機会だろう。いや、他にもう希望がない。


 俺の願いは決まっている。



「おい!約束通り1年頑張ったんだ。願い事はもう決まっている。俺は死んでいいから、ルーナを助けてやってくれ!こいつは全く悪くない良い娘なんだ!頼む!!!早くしないとルーナが死んでしまう!」



 多分半泣きになっていたと思うがそんな事は構っていられなかった。


 が、女神っぽいのは藁にもすがる俺の思いをことごとく踏みにじってくる。



「私は、どうしても死にたかったら1つ願いをかなえて差し上げると言いました。今、あなたは死にたくありませんね?だから願い事をかなえてあげることはできません。」



 何てクソったれな世界だ!


 怒りで目の前が真っ赤になる。


 もう、助からないのだろうか、・・・ルーナ!ルーナ!ごめん。


 俺に力がなかったばかりに。


 また”アイツ”の時みたいに、家族を失くしてしまうんだろうか。




 ・・・今度こそ死のう。



 ルーナが死んでしまったらもう生きていけない。


 助けてくれたルーナには悪いけど、もうホント無理だ。


 こんな世界、一秒でも息を吸ったら腐って死んでしまう。



 そう思っていると、なおも女神の声は場違いに優しく降り注ぐ。


 金色の声がルーナを抱え込んでうつ伏せ気味の自分の背中に降り注ぐことを感じるのだ。



「この世界を生きたいと思ったあなたには、約束通りステータスが授けられます。それは、俗に言うチートというものに該当するでしょう。神より授けられたギフトです。」



 女神の声に顔を上げる。



 また、希望を見出して裏切られるのは怖かった。


 だが、それでも希望を抱きたい。


 そんな都合がいいことがあるのだろうか。


 でも、ルーナは何もしていない。


 自分を本当に心配してくれたいい子で、助けたい。


 その気持ちが勝って顔を上げさせる。



「強く願いなさい。それが貴方の力になる。」



 強く願う事なんて一つしかない。


 今この時、ルーナを助けられる力が欲しい。


 傷をいやす力でもいい。


 何か超常的な力でもいい。


 ダメなら自分の命を犠牲にしたっていい。


 どうせ死のうと思っていた命だ。好きなだけくれてやるわ!



 そう思うと自分の体が金色に光りだした。


 何か体が健康になったような、ものすごくやる気が出てきたような?


 そんな感じがする。


 これが成功なんだろうか?自分はどう変わった?



 すると女神がフッっと優し気に笑った気配がした。


 その笑い方に軽い既視感を覚える。



「今度こそ、新しい世界で幸せになってくださいね。」



 そう言ってすぐに女神は掻き消えた。




 ―――――突然に動き出す時間。



 ・・・冗談じゃない!ルーナの命の時間がないのに、どうやって助けたらいいのかもわからないのに、どうしろってんだ!ひたすら焦る。



 あのクソバカ女神め!




 『強く願いなさい。それが貴方の力になる。』




 そう聞こえた気がした。


 ペーシェムさんの「早く医者に見せろ」という怒声が聞こえるが、今ルーナを離すわけにはいかない。


 肩を誰かにつかまれたが、ルーナを抱え込み離されないとする。



 心を落ち着ける。集中する。


 世間のざわめきが遠ざかり、自分の芯が感じられる。



『ルーナを助けたい。』



『生きて来れたのも彼女のおかげだ。』



『自分はどうなってもいいから、家族を助けてくれ。』



 ひたすらそう願った。



 ふと、気付いたときには酷い虚脱感に襲われ、脱力してたところをペーシェムに抱えられていた。



「ル…ルーナは?」



「信じられない・・・。」



 横にいた医者らしき男が、驚愕の声を上げる。



「どこにも傷が無い。顔色もいい!脈拍も呼吸も正常だ!傷が全てなくなってるぞ。」



「お前治癒術士だったのか!」


「すげぇ!」


「金色に光ってさ~!!!!ぱぁあああって!!!」



 街の人が口々に叫んでいる。



「ショウ・・・。」



 ペーシェムは複雑そうな顔をしているのだろう・・・だが、もう俺にはその顔が良く見えなかった。



「よかった・・・。」


 ルーナはきっともう大丈夫なのだろう。


「ショウ!?ショウ!!!」


 ペーシェムの呼び声がどんどんと遠ざかり、今度は黒い闇の中に落ちていった。





【後日談】



 それから俺は2日寝込んだらしい。


 3日目もぐったりとして、ベッドから動くことが出来なかった。



 治癒術士は希少らしくて、町の人が治療に押しかけてきたが修行してないので命を削るしかないと言ってペーシェムが追い返してくれたらしい。実際まだ寝込んでいると言って、俺を殺す気かと怒るとしぶしぶ帰っていったという。



 というか、そもそも言葉がわやわやだった俺は、魔法の存在に気づかなった。


 中世ヨーロッパみたいな世界に飛ばされたんだな位だったんだが…、俺は本当にまぬけである。魔法は使える人はいるが、そこまで多くはないらしい。


 だが、主要な町の建物や、大事なものには魔法がかかっているという。



 ルーナはあれからすぐ目を覚ましたらしい。


 あれ?刺されたのにおかしーな?と言ったらペーシェムさんに滅茶苦茶怒られて滅茶苦茶泣かれたと苦笑してた。でも、嬉しそうだから親の愛が再確認出来て嬉しくもあったのだろう。


 俺も「あんなことは二度とやるな。男の方が筋肉がある分だけ助かる可能性があるんだから!」と言ったら「嫌だ!」と叫ばれ半泣きで逃げられた。俺にだけ反抗期なんだろうか・・・なんか納得がいかない。俺にも世間の”かわいいルーナちゃん”で多少営業してくれたって良いと思うのだが。



 後日、治癒術士の才能があるなら修行してほしいと教会と冒険者ギルドに熱心に頼み込まれた。色々と協議した結果、週5で教会に習いに行くことになった。また、ギルドにも籍を置いているため掛け持ちとなる。さらにペーシェムの商店でも働いているので商業ギルドにも在籍していることになる。下手に一極集中をしなかったため、逆にバランスがとれてよかったとペーシェムに笑われた。


 一番怖いのが貴族の横槍だそうだ。


 やっぱりいるのか、貴族。



 そして、言葉だが、あの時以来流暢に喋れるようになった。


 きっと言語チートがついたのだろう。



 ペーシェムには正直に全て話した。


 神様にこの世界に送られた話と、あの時、神様がきて能力を貰ってルーナを治したのだと言ったところ、稀にそういう人間がいるらしい。冒険者ギルドカードをきちんともらって能力を確認した方がいいと言われた。他の街に仕入れに行くことがあるので、ギルドカードはあった方が便利なのだが、いかんせん6か月ほど前に作りに行ったときは原因不明のエラーで弾かれてしまった。出る数値が名前と性別種族以外すべてエラーになるのだ。


 これは、ギルドで大騒ぎになった。危うく放っておいくと研究対象モルモットとして捕まりそうだったので、小金を握らせて「なかったこと」にしてもらったのだ。だが、神様からちゃんとステータスを貰った今の俺ならきっと数値がちゃんと出るだろうとのこと。



 そこで今日は冒険者ギルドに来ている。


 冒険者としてのカードは前回エラーになってしまったので、それを覚えていてくれた受付のお姉さんには「作れないんじゃない?」と言われたけれど、もう一度お願いしますと頭を下げて頼み込んだ。



 そして、作ってもらったが今度はスムーズに何事もなくできた。


 受付の姉さんも首をひねっていた。



 前回ギルドカードを作ろうとした時は半死人みたいなもので、ステータスもなかったからこの世界に適合していなかったのだと思う。申し訳ない事をした。



 だが、ちゃんとギルドカードが出来た事はうれしい。これで、ペーシェムの手伝いとか、門の出入りとか身分証明書が出来たから滞りなくできるはずだ。日本で言うなら運転免許所を取得したような物だろう。



「全く前回は何だったのかしらね?はい、おまたせ。ちゃんと今回はできたわよ。」



 そう言って受付嬢に渡された真新しいギルドカード。


 半ばウキウキした気持ちで、そこで出たステータスを見ていく。


 やっぱり、冒険者ギルドは異世界転生のあこがれだと思う!



 能力値は事前に聞いていた成人平均よりも大体高めだが、MIDだけはずば抜けて高い。ゲーム風に言えばヒールとか凄い感じだろう。


 そしてスキルなどには大陸言語スキルがレベル10になってたので、急に上手くなったのはこのスキルのおかげだろう。あと、回復魔法のスキルが同じく10レベル。ギルドで確認されている上限だというから、相当だろう。後はアビリティーに精神具眼、精神犀利などついているので、治癒士構成の能力で間違いないだろう。あとは訓練を積んでいきたい。


 そして、特殊の項目の所で目が留まる。





『香織の加護』 『ユカリの加護』





 指先が急速に冷たくなっていくのが分かる。



 この世界にはない言の葉。



 思い出せない”アイツ”の名前。・・・だけど、覚えている。



 ・・・『ユカリ』は、お腹の子供が女の子だったらつけようと、アイツと話していた名前だ。


 お腹の子供の加護と、アイツの加護?


 俺を守ってくれている?


 必死に思い出さないようにしていた、”アイツ”の名前を思い出してしまったら、もう駄目だった。





 あの女神の言葉がよみがえる。





「今度こそ、新しい世界で幸せになってくださいね。」





 そして消える前に笑ったあの女神。


 光って顔は全く見えなかったけど、もしかして、もしかしたら・・・





「どうしました!?ショウさん!??」



 そう驚いて受付嬢に声をかけられたが答えられない。


 きっと、自分は相当酷い顔をしているだろう。




 思い出の中の香織が笑う。



 死後の世界なんて信じていなかった。


 異世界なんて妄想の産物で、いつか急にテレビの電源が落ちたみたいに今見ていることは無くなるんじゃないかなんて、つい最近まで思っていた。



 異世界に来たって、どことなくフワフワしたところがあって・・・。


 ルーナやペイシェムが真剣に自分に関わってくれなかったら、きっとずっと他人事だった。




 今まであの女神の顔が見えないのも当然だ。



 自分は日本であんな暗い気持ちで、毎日毎日下ばかり向いて、ひとりで苦しんで、拗ねて、世界をこれでもかと恨んでいて、何も見ようと気づこうとしなかった。



 なのにアイツは・・・香織は!無垢な赤ん坊でさえ!


 自分達が死んでも、事故であんな痛い目にあって苦しかっただろうに、もうあれから3年も経つのに、まだ・・・いまだにずっと・・・俺を守ってくれていたのか。





 それなら一緒に天国に行きたかったとも思ったけれど、それ以上に迎えに来てくれたんだなとか、勝手に俺だけ意見も聞かずに転生させるなドアホとか、色々頭の中がパンクしかかって。



「あああああ・・・・・・・・・。」



 気付けば涙があとからあとからあふれ、床にはいつくばっていた。




 胸が熱く、苦しく。



 死んでしまった子や、香織に申し訳なく。



 それでも、この世界で生きられることが、どうしようもなく嬉しく感じる。







 そのギルドカードは、異世界での一番のギフトとなった。






 きっと、またいつか二人に会える。



 胸を張って会えるように、その日まで頑張って生きようと思う。



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