毒の舌の子

佐竹梅子

毒の舌の子

 大河のほとりに『トク』という国が建った。独自の文明が栄え、根付いた王朝は数えて五代の御世を治めている。初代は国造りの才に優れ、人々を惹きつけた。その息子である次代は国の安定に注力し、益々の繁栄を導いた。そうして恙なく、優秀な王に抱かれた『棏』は有数の大国となったのだ。


 そして今が代は――


「王様、昼の御膳をお持ちいたしました」

 豪奢な作りをした器に、芸術品のように繊細な料理を並べた膳が、王の目前に運ばれる。王は膝に肘をつき、顎を手の甲に乗せたまま、膳を運ぶ内官を見やった。

「毒見を呼べ」

「は……」

 眼光鋭い王に、内官はただひれ伏し、短く答える。やがて毒見の者――宮刑を与えられた近隣国の捕虜や、罪人の血縁者など――が、膳の前に座る。毒見は生気の薄れた瞳をしながら、己に課せられた役目を全うするために匙を掴んだ。

「品はすべて確かめるのだぞ」

 毒見のそばに控えた内官が、後押しするように告げる。そうして毒見は一品ずつ、口を付けていった。

「う、ぐ……っ!」

 蒸し物を飲み下した直後、毒見は青い顔をして強くむせた。それは毒見が正しく毒見として期待通りの成果をあげたことになるのだが、その場にいる女官も内官も、王でさえも、苦しむ毒見を見ても何も言葉を発さない。むしろ――

「くくっ……ふ、ふははは!」

 王はずっと堪えていた笑いを抑えきれないように、楽し気な笑い声を上げた。そしてそれは包み隠されることもなく、なんらかの毒を受けた官者に降り注ぐ。

「三手目で毒を引き当てるとはな! 今日の毒見は早すぎる!」

 朝の毒見は、匙を二回動かしたところで、粥の含まれた毒で死んだのだった。王はひとしきり高揚した様子で笑って、動かなくなった毒見を見捨てると座にもたれ掛かる。

「はあ、つまらない……予が手ずから膳に毒を盛っているというのだから、もう少し楽しませてくれてもいいだろうに」

 そう、栄光を極めた五代目の王。彼は暗愚で非道な人間だった。先人たちの築き上げた道を顧みず、その座にただ溺れ享楽にふける。そんな王が様々な道楽に飽いた頃、この残虐な毒見遊びに楽しみを見出してしまったのだ。

「これは夕の毒見も期待はできんな」

 王の食事ごとに、毒見が一人死ぬ。こんなことがいつまで続くのか。それでも宮中の者は誰一人して、諫めることはない。諫めたところで、次に弄ばれるのは己になることだろうから。


「王様、なんと毒見の志願者がまいりました」

 夕の膳を置く内官の言葉に、王は生まれてから初めてというほど、胸が高鳴った。

「なに!? それはまことか? これはいい! 疾く呼べ」

「は……さあ、入りなさい」

 そうして膳の前に現れたのは、十七、八ほどの青年だった。聡明そうではあるが、それ以上に特に目立った印象はない。というよりも、王はこの青年がどのように毒を引き当て、苦しみ、絶するかを見たくて仕方がなかった。

「城下にて薬師を営んでおります。本日は毒見として……」

「ああ! 口上はよい。さあ、その忠誠心を予に見せてくれ」

「かしこまりました」

 涼やかに王の言葉を受けながら、青年は匙に手を伸ばす。一つ一つ、丁寧にその口へ運んでいく。

「…………どういうことだ」

 かた、と匙を置く音が響いたような気がして、王は目を見開いた。

「王様。この膳に毒は入っていないでしょう」

 平然と言いのける青年、王は弾き立ち、煮付けの入った器を掴む。確かに毒を仕込めと命じた煮付けの端は崩れ、食した痕跡があった。王は信じられず、自らの脇に置かれた金魚の甕に、その皿ごと沈める。

「なぜだ……なぜなのだ!」

 たちまち苦しみ、動きを停止した金魚を見定めてから、愉快とも不愉快ともつかない声色で青年を問い詰めた。

「……これは、大変な失礼をいたしました。私はどうも、毒の効かない体でして」

「なに?」

「不思議なもので。誤って服毒し、死んだ母から生まれた所以か、そのように……」

 青年が深々と頭を垂れると、しばしの静寂があった。

「貴様、名をなんという」

「……子毒と申します。皮肉な名を与えられたものです」

 毒の子。王の楽しみを、このような得体の知れない青年が妨げるというのか。

「……よかろう。毒の効かぬ体と知りながら予をたばかった罪、必ずや償うがよい!」

 その日から、王の標的は名も知らぬ毒見ではなく、子毒という個になったのだった。



「はい。本日もこの通りでございます」

 既に王は一つの品ではなく、すべての器に毒を盛った。その上、その毒は一種ではなく植物のものも、動物のものも、あるいは薬剤も……あらゆる手を尽くした。しかし、子毒はいずれに口を付けようと、まるで夏の涼風がごとく顔で座っている。

「もうよい、下がれ」

「……かしこまりました。では、御前を失礼」

 顔を下げて、子毒は王の前から去ろうとする。しかしふと、思い出したように、足を止めた。

「王様」

「なんだ」

「……私、饅頭が食べとうございます」

「な……っ!」

 一介の庶民が、王に恐れもなさずに言いのける。王は頭に血がのぼるのを感じたが、それを抑えることは出来ずに器をひとつ掴むと、子毒の足元へ投げつける。

「失せるがいい!」

「はい。失礼を……」

 そもそも、王は饅頭が嫌いであった。あまり深い記憶はないが、幼少期のいつからか、食べるどころか見ることさえ嫌悪するようになっていたのだ。

「しかし……饅頭か。ならばそれもよかろう、いくつかの毒を混ぜて……いや」

 ふと、王は一つ、戯れの策を思いつく。しかし試したところで、子毒に効くこともない。そう思いながら、女官を呼びつけた。


 夜も更けた頃。王は私室へ子毒を招く。円卓の上には、いまだ湯気をまとうあたたかな饅頭が置かれていた。

「王様、なんと私の願いを聞き入れてくださったのですか」

「ああ……そうだ、だから毒見を頼む」

 子毒の指先が饅頭を掴み、一口分を引き裂いた。柔らかな皮は、子毒の舌に乗せられると、少しずつ熱を失い溶けていく。

「どうだ? うまいだろう」

「はい。とて、も……?」

 いつも通り、なんということもなく答えようとした子毒が、眉を寄せる。その刹那、唇から鮮血が漏れだした。

「ぐっ……あ、なん……でっ」

 饅頭がころりと床に転び、やがて子毒も伏せるようにうずくまる。

「はははは! 勝った! 予の勝ちだ!」

 王が饅頭に忍ばせたもの、それは……

「解毒薬だ」

「げ、どく……?」

「貴様が飲み続けたであろう毒をすべて打ち消す解毒薬だ」

「う、うそだ……こんな……こと」

 恨めし気に王を見上げる子毒の瞳には、苦しみか悔しさか、涙が浮かんでいる。

「さぞその体には、毒であろうな。なにせ母の胎内でも受けていたのだから」

 それこそ、王が思い付いた妙策。毒を貯め続けた体から、毒を打ち消すことだった。

「げほっ、うぐ……ははうえ……」

 そこに居もしない母を目指すように、子毒の手は伸ばされた。そのとき、王の脳内に閃光が走るかのごとく、ある景色がよぎった。


 ……王が、まだ太子と呼ばれていた時代。産みの母である王妃が病に倒れ、やがて新たな夫人が据えられた。ようは継母という存在だが、夫人が実子でもない太子を可愛がるのも難しい。そのうちに、太子は後宮で疎まれるようになったのだ。

 まだ母親の愛を求める齢の太子が、そっと抜け出た城下で、一人の貴族の女に出会った。その女は身重だったが、夫を失ったようだった。それでも再婚することなく、子供たちに文字を教えるような貞淑な人間であり、太子のことも(正体を知らずとも)可愛がった。

 その、母のような存在に会いに行こうとした矢先のこと。

『太子様、いつも勉学に励んで素晴らしいですわね』

 継母である夫人がいつになく上機嫌に、太子に近寄った。その手には、柔らかそうな饅頭の入った器が持たれていた。

『さ、これを召し上がって、また励んでください』

 警戒はしたが、なにせ子供だ。夫人に優しくされたことが素直に嬉しくて、また、その喜びを誰かに伝えたくて。……太子はその饅頭を手に、城下の愛しい母の元へ走ったのだ。

『先生!』

『あら、どうしたの、そんなに急いで。……それはなぁに?』

 先生と呼ばれたその女は、庭で洗濯をしているところだった。息を切らせてやってきた太子を柔らかく迎え入れ、水を与えた。

『貰ったんだ。一緒に食べよう!』

『先生もいいの? ありがとう。きっとも喜ぶわね』

 そして、その女は饅頭に仕込まれた毒に苦しみ、彼の目の前で死んだ。この事件は王室によってもみ消され、太子が外へ出ることもなくなった。


「ま、さか……」

 王は駆け抜けた記憶を辿りながら、子毒を見下ろす。

「……ずっとお前の……仇のことだけをかんがえてかんがえてかんがえて……ここまで、きたのに……っ」

「待て、貴様、あの女の」

「ははうえ……いま、参ります……」

 空を掴んだ子毒の指先が、虚しく落ちる。それを合図にするように、一斉に戸や窓が開かれ武装した兵士たちがなだれ込んだ。国の最たる毒が、粛清された瞬間だった。


 翌日、国葬が営まれた。

 それは王を送るものではなく、ある貴族の女とその一人息子を讃えるための葬列であった。



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