第49話いなりを褒める
「あー、極楽じゃー」
乳白色の温泉の素に濁った湯船に浸かりながら、いなりは声をとろけるような声を漏らす。
先程までの艶めかしい声が嘘のよう。すっかり元の声だ。
「尋は背中を洗うのが上手いのう。気持ち良くて最高だったのじゃ」
「そうか。それはなによりだ」
「むー、そういう時はまた洗ってあげるって言うのじゃ」
ご機嫌で俺を褒めるいなりに、俺は髪を洗いながら答える。
だが俺の返答に納得してないのか、いなりは不満そうに呟いた。
「また、帰りが遅くなった時だな」
「えー、それは嫌じゃ。早く帰って来て欲しいのじゃ。というよりも、今日はなんで遅かったのじゃ?」
「ん? ああ、今日はたまちゃんのとこに行ってたんだ」
「ま、まさか浮気!?」
「んなわけあるか! って、目がしみる!」
いなりの質問に対して正直に答えただけで、浮気を疑われる。
俺は慌てて弁明するが、目を見開いてしまったせいでシャンプーが目に入り身悶える。
俺は急いでシャワーを浴びて泡を洗い流し、目を擦った。
「冗談じゃよ。尋が浮気する訳ないって信じとるからのう」
ニヤリとしてやったりの表情をするいなりに、少しだけ不満顔を見せる。
悪かったのは俺だけど、やられっぱなしは辛い。
そこで、少しだけ反撃を決めた。
反撃とはいっても、特に意地悪をする訳じゃない。帰る前に決めてた事を実行するだけだ。
「そういえば、たまちゃんに昔のいなりの事を聞いてきたんだ」
「な、なっ!? 変な事言っておらなんだか?」
「うん? いやー、いなりの事すごく褒めてたよ。私はいなりに助けられた。いなりは小さな頃から神様の修行頑張ってた。そんな、褒める事ばかりだったな」
「う、うう……。は、恥ずかしいのじゃ……」
故障した機械のように、いなりの頭から煙が出ているように錯覚する。
それは湯気なのだけれど、あまりにも恥ずかしそうな顔とマッチしている。
「俺も聞いててすごく嬉しくなったなあ。いなりが褒められると嬉しくなる」
俺は、ずーっと褒めていたたまちゃんの言葉を思い出して、目を細めた。
いなりが褒められると我が事のように嬉しくて鼻が高かった。
自慢の妻ですごく嬉しくなった。
一点、いなりが結びたい縁の話を除いて。
聞こうか、どうしようか。
心の中で燻る嫉妬の炎が囁きかける。
「そっか、尋が喜んでくれるなんて。……頑張って良かったのじゃ」
いなりは、口元に手を当てて朗らかに笑った。その顔を見て、嫉妬心がふっと消える。
俺には今のいなりのこの笑顔があるじゃないか。
今、いなりに思われているのにこれ以上に望んだらバチが当たってしまう。
俺は嫉妬心をかき消すように手をいなりの頭に伸ばして濡れた頭に手を当てくしゃくしゃと撫でた。
「いなり、たまちゃんを助けたり神様の修行したり本当に偉いな。そんな頑張ったいなりを、心から褒めるよ。本当に偉いぞ」
「……尋、ずるいのじゃ。妾は尋の為に頑張っただけじゃから」
「俺の為か。嬉しいなあ」
照れた様子で目を下に向けるいなりの頭をこれでもかと撫でる。
いなりはくしゃくしゃになっていてもやめろとは一言も言わず、ただただ俺にされるがまま頭を差し出していた。
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