第21話アイヲクダサイ

 お湯に身体を預け、ぼーっと天井を眺め見る。


 唇に残る感触を思い出してお湯に潜る。


 そして、飛び出してまた天井を眺め見る。


 一連の動作を繰り返すこと十回。今日のお風呂はいつもよりも忙しない。


 理由はわかっている。いなりと、その、キスをしちゃったからだ。……うああああ!


 もう一度お湯に沈み、十一回目の浮上。


 今日はいなりは先にお風呂に入ってくれたので乱入の心配はない。


 むしろ、こんな姿を見られずに良かったとすら思える。


 今の俺は無様だ。無様なくらいドキドキして、無様なくらいときめいている。


 幸せだ。幸せすぎるくらいだ。


 いなりの一途な愛がたまらなく愛おしい。だから、自分がいなりの愛情表現に何も出来ないのが歯痒い。


 ……キスをしたくらいでジタバタするようじゃ、ダメだ。


 いなりの愛に報いないと。


 そうだ、お風呂から上がったらハグでもしよう。寝るまで手を繋ぐとかして。


 うん、ちょっとずつでもいなりの愛に応えよう。


 俺は頬を叩いて気合を入れる。


 しんとした風呂場に乾いた音が響いた。ジンジンと痛む頬を少し揉んで、俺は風呂場を後にした。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 そして、風呂場を後にした俺は寝室の前に立ち止まっている。


 歯は磨いた。パジャマに着替えた。髪は乾かした。


 あとは部屋に入るだけだ。


 なのに、心臓が強く鳴って足踏みをしてしまっている。


 あとは入って、いなりの愛に応えるだけなのに。


 意識するだけでもう、手が震える。


 落ち着け、深呼吸するんだ。


 廊下中の空気を肺に溜め込むかのように大きく息を吸い、全てを吐き出すように肺を空っぽにするまで吐き出す。


 ……よし、入ろう。


 もたもたとしてしまったものの、なけなしの勇気を振り絞って俺は寝室の扉を開けた。


「お待たせ、いな……り……」


「ま、待っておったのじゃ……」


 俺の尻すぼみになる声に、待っていたと返すいなり。


 いなりの顔は出会ってから赤い瞬間ばかりだが、今以上に赤い時はなかっただろう。


 そして、それはきっと俺も。


 恥ずかしそうに伏し目がちないなりに俺は視線が外さないでいた。


 それもそのはず。


 いなりは今、フリルのついた赤いブラと紐が両サイドにある赤いショーツを身につけた姿でベッドの上に伏し目がちにいた。


 目はわずかに潤み、耳はどこか頼りなげに震えている。


「そ、その、ど、どうじゃ?」


「ど、どうとは?」


「な、なんかあるじゃろ? そ、その、か、可愛いとか、似合ってるよとかあるじゃろ……?」


「あ、な、何というか……。その……。可愛くて、愛おしい」


 ぎこちなさすぎてどもりまくり、俯きまくりの俺といなり。


 会話だけはどうしようもなくヘタレだけど、これは、そういう事だろう。


「そ、そうか、良かったのじゃ! ひ、尋にそう言ってもらえて、妾、嬉しい!」


 ぎこちない笑みを浮かべるいなりにそっと近付き、俺はそっとその小さな身体を寄せる。


 いなりはピクンと身体を震わせたが、何も言わずに身体を寄せた。


「いなり、俺は今すごくドキドキしてる。なんなら今すぐにでもいなりの事を襲ってしまいそうだ」


「わ、妾、尋が望むなら、それでも良い……」


「……でも、今じゃない。きっと、これから先俺はいなりを抱くと思う。それでも今、いなりを抱いてしまうと、ただいなりの身体だけに惚れた男になってしまう。もっと、俺がいなりの愛に報いる事が出来た時でもいいか?」


 俺は爆発しそうな心臓を抑えながら、いなりを今抱かない理由を説明する。


 俺はいなりを愛している。それは疑いようもない事実だ。


 だけど、俺はいなりの愛に追いつけていない。


 いなりのフルスロットルの愛を受け止めるにはもっともっといなりの愛に応えないといけない。


 本当はすごく抱きたい。だけど、今それをしてしまったらいなりの愛に甘えてしまう。


 俺はいなりの愛について行くんじゃない。一緒に並びたい。


「……妾、本当に幸せものじゃ。妾の事をたくさん、たくさん考えてくれる旦那様がいてくれて。たくさん愛されて。妾、妾……うあああ……」


 いなりは俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。


 嗚咽をあげて、俺の胸を濡らす。


 俺の腕を掴むいなりの手の力は力強く、離そうとはしない。


 でも、その強い痛みが愛おしい。


「尋……ありがとう。愛してるのじゃ……」


 震えるような涙声で感謝と愛の告白を呟くいなり。


 俺はいなりが泣き止むその時まで、いなりをぎゅっと抱きしめていた。

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