第6話それ妾のおいなりさん

「ひ、尋? どうじゃ?」


「うまい!」


 現在時刻、十九時の事だ。


 俺は、食卓に並ぶ料理の山々に舌鼓をうっていた。


 とんかつと千切りキャベツに、わかめと豆腐の味噌汁、炊きたてで湯気が立っているご飯と、昨日一昨日一昨々日にカップラーメン食ってた奴の食卓とは思えない物が並んでいる。


 本当は油揚げを使った料理で溢れるかと思っていたが、油揚げを使っているのはちょこんと並んだいなり寿司が三つだけ。


 食器はダイニングテーブルセットを買った時に購入した、結婚した時用のものを使用している為全部同じブランドで統一されている。


 本当、変なところで用意周到で良かった。


「いやー、いなり、本当にうまいよ箸が止まらない」


「ほ、本当か。それは嬉しいのう。頑張って作った甲斐があるというものじゃ」


 いなりはニコニコ顔で食べる俺を見つめる。


 いなりの前にも作った料理があるにもかかわらずだ。


「あ、あのー、いなり? どうしたの? 見られると食べ辛いんだが」


「あ、す、すまないのじゃ! その、あまりにも美味しい美味しいって言って食べてくれるから嬉しくてのう。自分で作っても美味しいって言ってくれる人がいなかったから、言ってもらえるって幸せなんだなあと思って」


 恥ずかし気もなく満面の笑顔で言ういなりに、俺は顔を真っ赤にして茶碗のご飯をかきこむように赤い顔を隠した。


 ああ、美味い。そして、幸せだ。


「尋、そんなかきこんだら行儀悪いぞ! まったく、頬にご飯粒つけてー!」


 いなりは、まるで母親のように俺の頬についたご飯粒を人差し指ですくうと、それをパクリと口に運んだ。


 いなりの天然の愛で萌え死にそうだ。


 心の中でふおおおおお! と叫びながら、いたって冷静にご飯を食べる。


 ただ、右手に持つ箸は生まれたての子鹿のようにプルプルと震えており動揺が止まらない。


 いなりはと言うと、ナチュラルに食べて平気そうな顔をしている。と、思ったのだが身体は正直だ。


 耳がピコピコ動いている。


 見ていてわかった事だが、いなりは悲しい時は耳が垂れ下がり、嬉しい時は耳が立つ。そして嬉しさが溢れ出すと耳がピコピコ動き出すようだ。


「あ、おいなりさんももらっていい?」


「おお、構わんぞ。妾のおいなりさんは美味しいぞ」


 震える箸をごまかす為、一旦箸を置いていなりの側にあるいなり寿司を指差してもらおうとすると、いなりは箸でそのおいなりさんを摘んで俺に差し向けた。


 えと、これは、その。そう言う事か?


「ほれ。食べるのじゃ」


 ニコニコ顔で耳が生き物のように動いているいなり。


 食べろと、そういうことだろう。


 まったく、恥ずか死ぬぞ……。童貞には刺激が強すぎる……。


「あ、あーん」


 まあ、やるんだけどね。童貞には刺激は強いけど、童貞はこういうの夢見てたからね。


 パクリといなり寿司を口にくわえると、甘く味付けされた油揚げと、中の優しい酸味の酢飯の味が口いっぱいに広がる。


 うん、食レポのような事を考えてみたけど俺には小難しいことは無理だ。


「ど、どうじゃ?」


 恐る恐る聞いてくるいなりに、咀嚼を終え、お腹にいなり寿司を運んだ俺はサムズアップした。


「美味い、こんな美味いの食べた事ないよ」


 語彙力もなにもない、ただただシンプルな賛辞。


 気の利いた事は言えないが、全力で思った事は言えるから、いなりに全力で伝える事にした。


 その結果、いなりは満面の笑顔となって耳が止まらなくなったのは言うまでもないだろう。

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