第8話 もう一人の魔封士
白い暗がりの中を進むと、やがて幅広な一本道に出た。
「見覚えがある道だ」
確か、さっき三人で移動していた時にも、一度通っている。
「それでも、もう一度よく見てみるべきだろう」
俺とルシュフは、今度はより厳格な目をもって、壁を丹念に調べる。
小さな亀裂から、石材と石材のわずかな隙間まで、一つ一つ目を通す。
「具体的にはどういうものを探せばいいんだ?」
一向に怪しいものの見つけられない俺は、ルシュフに問うた。
隠しスイッチがあって、それに触れると隠し扉が開かれるのだろうか?
「うーん。一概には言えない。そういうケースも確かにあるが……。とにかく何か奇妙だと感じたら、全て俺に報告してくれ。どんなささいなものでも構わない」
「分かった」
……とは言ったものの。
迷夢宮初心者の俺は、右も左も分からず、壁の全てを、一から十まで調べないといけない。
「うーん、そんな複雑な仕掛けがあるような迷夢宮じゃないんだが」
対照的に、経験者のルシュフは、ポイントを心得た手つきで、パッパッと作業をこなしていく。
一本道の両サイドを分担し合って十数分。
いつの間にか、俺とルシュフの間には、大きな距離が開いていた。
それに気づかずに、俺は無心で調査をつづけている。
カツン、カツン
遠方からの足音に、鼓膜をくすぐられる。
精霧のかなり奥に、もはや見慣れたリザードマンのシルエットが、横向きに、ぼんやり浮かび上がっていた。
「ル、ルシュフ、どうする?」
返事はいつまでも返ってこない。
俺はやっとルシュフがそばにいないことに気付く。
「ルシュフ!?」
不覚にも、大声を出してしまう。
「ギ!?」
リザードマンの銀色の影が、進路をこちらに変えた。
(マ、マズイ)
俺は足音を立てない程度の小走りで、駆け出す。
しかし、リザードマンはもうこちらの存在を認識してしまっている。
「ギギギギ!」
迷いのない足取りで、俺のいる方に一直線に向かってくる。
霧にぼかされていた輪郭が明確になりだし、黒い体色まで確認できた。
「ルシュフ! ルシュフ!?」
もはや大声を出すべき状況である。
しかし、頼れるボディガードからの応答はない。
目の前に右向きの曲がり角。
カツカツカツカツ
身体を右に傾けながら、全速力でカーブを攻略した、その直後。
「!!」
右カーブのすぐ後ろに、左の直角カーブが待ち受けていた。
「ぐ、ぐ、ぐ」
体勢を、必死に真逆に傾けようとするが、その要求は俺の身体能力を遥かに超えていた。
靴底を横にずらす力が、摩擦力を上回り、
「うわああああ」
俺の身体は、大きくナナメになって、石壁に突っ込む。
(ぶ、ぶつかる)
反射的に、側頭部を守ろうとしたその瞬間――
ズブリ
俺の身体は、壁の内側へとめり込んだ。
「な? な? な?」
完全に空中に投げ出されていた身体は、そのまま壁の奥深くへと沈み込む。
そして、石壁の厚さ約10センチ分の距離を超えると、俺の身体は、壁の向こう側へと飛び出した。
「ギヤアギヤア」
呆然自失で地面にはいつくばる俺の横を、壁一枚隔てて、リザードマンが通り過ぎていった。
「い、……今のは?」
リザードマンの声が十分遠ざかったのを確認してから、俺はもう一度壁に触れてみる。
ズブズブズブ
まるで沼のような手触りで、触れた手が沈み込んでいく。
「通り抜けできる壁? こんな仕掛けがあるなんて」
怪我の功名ではあるが、おそらくこれが、遭難者たちの隠れ家に違いない。
すぐにルシュフに報告したいところだったが………。
「ギギ?」
「ギイイイ、ギイイ」
「ギギギ、ギググ」
「ギシャ、ギシャ」
先ほどのリザードマンが、仲間を引き連れてこの辺りまで戻ってきたようだ。
何やら大声で話し合っている。
彼らの言語には明るくないが、意訳するとこんなところではないだろうか。
『本当なんだって。人間が突然いなくなったんだよ』
『本当か? お前はよく人を担ぐからなあ』
『今回は大マジだって。一本道の途中で、人間が突然いなくなったんだ』
『まあまあ、落ち着けよ。人間を見失ったのはこの辺なんだろ。ちょっと調べてみようぜ』
あくまで俺の想像だが、大きく的外れではない気がする。
(ルシュフとの合流は難しいか)
いま壁を通過しては、ちょうどリザードマン共と鉢合わせてしまう。
元のルートへの復帰は困難。
現状の俺には、隠し通路の奥へと足を踏み入れることしかできない。
「ギギギギ――」
歩を進めると、リザードマンたちの声が、自然と後方に遠ざかっていく。
「――そ、そんな……、……です」
対照的に、前方から人間の言葉が聞こえ出した。
同種同族の声に、俺の歩く速度は、自然と速まる。
「一人百万円。安い買い物だろう?」
「そんな。絶対無理ですって。とても払えません」
(なんだ? 揉めているのか?)
隠し通路の先には、大広間が広がっていた。
俺の通う体育館の床面積に換算して、四枚分くらいか?
定期的な間隔で、巨大な柱がいくつも設置されているのが、目を引く。
その一つ、工事初期で放置されたように、根本しか作られていない柱の周りに、十人近くの人間が集まっていた。
俺は、直感的に、近くの柱に身を隠した。
高度な判断があったわけではない。
ただ、誰だって、人が笑いあっていれば無防備に近づくし、トラブルの気配があれば、遠巻きに見守る。
「ですから、一人百万円なんて大金はとても無理なんです」
柱を囲む男の一人が、半分泣いたような声を上げる。
「いい話だとは思うんだがな?」
答えたのは、作りかけの柱の上に座する、一人の少女である。
暴走族と思しき、柄の悪い男たちを、高みから悠然と見下ろす少女。
(俺と同世代か?)
十色以上に染めたカラフルな髪色と、褐色な肌が特徴的な少女である。
「一人たった百万支払うだけで、この迷夢宮から出してやると言っているんだ。私としては、『ぜひお願いします』と、両手をこすり合わせられるものだと思っていたよ」
「で、ですから。このダンジョンからは出してほしいんです。それはもう本当に。心の底から」
周りの男たちが、深く頷いた。
よく見れば、男たちの中には、俺を突き飛ばした佐久間もいる。
「で、ですけど、百万円なんてとても出せません。そんなの持ち合わせが……」
「ああ、そうか。私は疑われているのか。こんなうら若い美少女に、自分たちを迷夢宮から救い出してくれる力なんてあるはずがないと」
少女はからからと笑った。
「そうかそうか。私は見くびられていたのか」
「い、いえ。そういうわけでは――」
少女が、ほっそりした指を軽く握り合わせる。
ぎゅっ、と握り拳を固めた。
脱力し、再び広げられた手の平には、猛烈に渦を巻く炎があった。
「【ハンド・ブレイズ】」
炎の渦が、暴走族めがけて飛びかかる。
「ぎゃああああ」
「うわああああ」
石材に着弾した炎は、激しい回転運動を伴いながら、瞬く間に地面を燃え広がった。
可燃性でない石を、十数秒にわたって燃焼させるほどの、熱エネルギー。
炎の消えた後には、無残に黒く歪んだ石畳が広がる。
「~~~~」
間一髪で延焼を免れた暴走族たちは、腰を抜かして、不明瞭な音声を上げる。
「どうだ? これで私の力は信じてもらえたかな?」
少女が、赤と金の前髪を、指先で華麗に弾く。
(い、今のは魔法か?)
超能力、宇宙パワーなどの可能性も一応はあるが、一日で魔法使いと超能力者(宇宙人)の両方に遭遇する確率は、無視して構いやしないだろう。
(それにしても、魔封士にしては、九谷さんと随分雰囲気が違うな)
九谷さんの気品あふれる態度は騎士を彷彿とさせるが、こちらは山賊の親玉といった感じである。
(せっかくの美人がもったいない)
どこかネコ科の雰囲気を漂わせた勝気な表情を、俺はじっと注視していた。
(ん?)
俺の胸の奥で、何らかの琴線がつま弾かれた。
(な、なんだ?)
あの少女の容貌、表情、言葉、声。
俺の中の何かが、しきりに正体不明の信号を発している。
「あなたが魔法使いだってことは、俺たちはもう重々承知してます。それはもうイヤと言うほど」
さっきから少女とのやりとりを担当している、暴走族メンバーが、ようやく立ち上がった。
よく見れば、石畳の焦げ跡は、あちこちに散見できる。
俺がここを訪れる前に、けっこう派手なイベントが起こっていたのかもしれない。
「なら、どうして金を渋る。一人百万円なんてそれこそ破格値だぞ。命一つ百万円と言っているようなもんだからな。自分の命を値引こうとする、お前らの神経こそ分からん」
「お、俺らだってお金は払いたいんです。自分の命が百万円で買えるなら、そりゃあ飛びつきたくなるくらいのおいしい話ですよ」
「だろう」
「ですけど、俺たちはそんな大金持ってないんです」
「ないなら稼げばいい。お前たちは名の知れた暴走族らしいじゃないか? 悪事はお手の物だろう。流行りのオレオレ詐欺なんてどうだ? 簡単そうだぞ」
「と、とんでもないです。一見楽なお仕事に見えて、あれはなかなか大変なんですよ。出し子や受け子ならまだしも、かけ子は高度な知能労働で」
「何が知能労働だか。年寄りをダマすだけだろう。楽勝じゃないか。『オレオレ。オレ、あんたの孫。オレオレ。会社の金使い込み。百万円必要。オレオレオレ』」
「と、とんでもない。年寄りを甘く見ちゃいけません。奴らボケたように見せかけておいて、実はとんでもなく狡猾な生き物なんすよ」
「情けないことを言うな。若者がおいぼれに怯えてどうする!」
「魔法使いさんは老人の恐ろしさを知らないんですよ。奴らはだまされたフリなんていう今度な擬態を用いるんです。一体何人の受け子が、奴らの周到な芝居に騙されたことか」
「お、俺の知り合いもその手でやられたんです」
「出し子をやってた、俺の幼友達もそうでした。老人どもにまんまと騙されて、警察官の待ち受ける信用金庫へ意気揚々と……。う、ううう」
「ひっく。なんてひどい話なんだろう」
涙雨がメンバーたちを濡らす。
「はああ……」
心底呆れた様子で、カラフルな髪をした少女が、ため息をついた。
「失敗したなあ。こんなしょうもない奴ら見つけるんじゃなかったなあ。隠し通路を通るところをたまたま見かけた時は、ラッキーと思ったんだけどな。とんだバカ共だったなあ。……考えてみれば、そもそも三小が迷夢宮になっていた時点で、今日はツキに見放されてるんだよなあ」
少女が頭痛をこらえる仕草を取る。
一方の俺は、彼らの喧騒を遠巻きに見つめながら、
「さて、どうしたものか?」
一人思案を巡らせていた。
とりあえず、分かったことは三つ。
男どもが遭難した暴走族らしいこと。あの少女が魔封士らしいこと。少女が救出と引き換えに金品を要求しているらしいこと。
(ここは下手に介入をしないほうがいいだろうな……)
奇妙な状況におかしな刺激を加えては、危険な反応が生じることもある。
ここは人命が羽毛より軽い迷夢宮。
慎重に慎重を期して、悪いはずがない。
(この情報を持って、一旦ルシュフと合流するのが最善か。壁の前のリザードマンたち、そろそろ引き上げてくれたかな?)
俺は、仕掛けの施された壁に引き上げようと、後ろ歩きで、少女と暴走族から遠ざかる。
ドン
俺の背中が、何か硬いものにぶつかった。
「ん? なんだ?」
こんなところに壁なんてあったっけ?
訝しく感じながら、振り返る。
「……」
俺の背後にそびえるのは、金属の鎧に覆われた、分厚い胸板。
そろりと、視線に上を向かせた。
胸の上には、肉食恐竜によく似た、リザードマンの頭部。
ニタリ、とその長大な口が歪む。
ニタリ、と、その後方に控える、十三体のリザードマンも笑う。
「ぎゃああああああ」
悲鳴の噴火が、俺の口からほとばしり出た。
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