#17

“My Favorite Things”




 *




 辺り一面の花畑。赤、黄、青、様々な色の花が所狭しと咲き乱れている。風に乗って花の香しい匂いが流れていく。花畑の中央に、少女が一人。


 苦しいもの、辛いものがない。誰もが笑い、愛し合っている彼女の幸福の世界。

 ここは彼女のお気に入り。お気に入りのワンピースを着て、お気に入りの人たちと、お気に入りの場所であるここにいる。彼女はその中で歌いながら、花を摘む。


 ――――悲しい気分の時、ただ私のお気に入りを思い浮かべるだけで嫌な気分も吹き飛ぶの。


 すごくきれいと言いながら。彼女は赤い花が一番好きだった。赤、赤、赤。お気に入りのワンピースが赤く染まる。


 ――――だって、あなたもそう思うでしょう? 他の色なんて目じゃないわ。


 口癖のように彼女はそう言った。

 そんな彼女の様子を見て、周りのみんながみんな、微笑んでいる。ああ、ああ、本当にうれしそう。


 ――――今日は楽しい楽しいお茶会。陽気に誘われて、妖精さんたちだってやってくるかも。


 心地のよい春の日差しが彼女を包む。こんな日はお茶会をしようって、誰だってそう思うでしょう?


 ――――あら?


 少し離れた場所で、女の子が一人俯いていた。新しいお友達に、嬉しそうに彼女はその子に近付いていく。


 ――――こんにちは。あなたも一緒にお茶会をしましょう?


 彼女はにっこりと笑って、その子へ手を差し伸べた。女の子は最初は驚いた顔をしたけれど、すぐに嗤って、照れ顔で彼女に手を引かれて付いてきた。

 これでこの子ともお友達だ。


 みんなが私の側に居てくれて。私から一時だって離れていかない。みんなみんな、私の大切な友達だ。

 ――――嬉しいなぁ。嬉しいなぁ。


 そうしてみんなでお茶会をしながら、お花を摘んでいたら、また一人、お花畑に現れた。彼女はその子ともお友達になりたくて、すぐに話しかけた。


 ――――だって、こんなに幸せなんだもの。きっとそれを知っていたから、この子も友達になりたいんだわ。ええ、きっとそうよ。


『こんにちは、お兄さん。お一人かしら?』


 ザリザリ。


 嫌な音が聞こえる。

 そのお兄さんは途中まで付いてきてくれたんだけど……途中でいなくなってしまった。はぐれてしまったのなら探さなくちゃ。


 ザリザリザリザリ。


 彼女は悲しんだ。


 ――――だって、だって、お花畑でお花をいくら摘んでも、摘んでも、お腹がいっぱいにならないの。お花は綺麗だけどおいしくないの。


 しくしくと彼女は泣いた。泣いている間にもお腹は空いていくけれど、涙は止まってくれない。そんな彼女を、みんなは囲って慰めた。その中に一際、輝いて見える人が居る。

 彼だ。優しい彼。素敵な彼。微笑かけ、その手を彼女の頭の上に乗せている。彼女の胸は高鳴った。


 ――――なんでだったかしら。


 ザリザリガリガリ。


『俺が君を、この■獄から連■出す』


『俺が■きることの出来るのは、■明■までだ。だから、その前に……』


 ちぐはぐな彼の声。徐々に失われていく記憶。もう、何を言っていたかも思い出せない。


 ――――私はだぁれ?


 ガリガリゴリゴリ。


 ……悪い夢を見ていた気がする。この場所にはそんなものがあるはずないのに。苦しいのも、辛いのも、彼女にはもう耐えることが出来ない。

 そして彼女は気付く。一番おいしそうな花を。

 彼はそんな彼女を見て笑った。全く、君は食いしん坊だからなぁ。そんなことを言いながら楽しそうにしている。

 彼女は頬を膨らませて、彼に抗議した。


 ――――もう、馬鹿にして! おとうさまとは違うんだから、私だって我慢出来るの! これが最後!


 本当は、『もっと食べたい』と思っている。だけれど、それももうおしまい。 


 ――――私はもう、お腹いっぱいなの。もう、もう。




 もう、誰も食べなくて済む。彼女は満足そうに言った。


 ――――ごちそうさま。


 幸せな夢。

 ずっとずっとこのままで居て欲しい。全部、私のお気に入り。


 ……そうして、彼女の意識は途絶えた。



 *




 気絶をしている一名を除き、その場に居た全員が彼女――怪物の様子を驚愕して見ている。再び動き出した機械の怪物に対してシンゴたちは身構えた。

 だが、予想とは全く異なる怪物の行動に、全員が固まってしまっていたのだ。ラタネの両目を手で伏せ、セレンが辛うじて声を絞り出す。


「自分を……喰っている……!?」


 バリボリと豪快な音。むしゃむしゃと口にした自身の身体は咽頭を通り胃袋へ。何度も何度も行われる咀嚼行為。細切れに、磨り潰す。中に詰まっていた赤黒く焦げたものが失った腕から溢れ出す。しかし、怪物は構わず丁寧に、嘗め回すように出てきたもの身体ごと口に入れる。


 嚥下する度に嘔吐して。嘔吐したものをまた食べて。


 食べては吐いての繰り返し。そんなことをしても、食べているものは減るはずなんて無いのに、何故か体積は減り続けていく。足が消え、腕が消え、下半身、胴体。首だけになってもどういう訳か、その行いは止まることがない。

 一体何処に喰ったものが消えているのだろうか。それを理解できる者はこの場にはいなかった。文字通り、悪夢のような光景。戦場を見慣れているはずのシンゴとセレンですら戦慄し、おののいた。


 最期にはどういう訳か口だけになって、


「ゴチソウサマ」


 と、満足そうな小さな声だけ残して、口まで消える。後には何も、残らなかった。


 ――――彼女の最期は絶望か、幸福か。本人のみぞ知るだろう。狂気の果て、人の心は他人には推し量ることしか出来ない。

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