名もなき梟の恋
たちばな立花
1
夜の鳥の鳴き声。それが約束の合図。
一番緊張する瞬間だ。
皆が寝静まった夜。私は屋敷の裏手から忍ぶように入る。これでは盗人と言われ捕まってもおかしくはない。
十日に一度の習慣となって早
屋敷の東側、三つ目の窓。背の高い木のすぐ近くが私の目的地だ。
「ホーホーホー」
木の上で鳴いてみせれば、さほど時間を待たずして、窓が開けられた。夜の月は罪作りだ。少しはにかんだ笑顔を優しく照らすのだから。
「いらっしゃい」
「お手紙をお持ち致しました。お嬢様」
ネグリジェの上にガウンを羽織っただけの彼女を直視することは難しく、私は視線を足元に逸らした。しかし、真白い足首が裾から顔を覗かせているて、すぐに後悔する。彼女は少し、無防備過ぎるのだ。部屋の中をじろじろと見るわけにもいかず、私の視線はいつも迷子だ。
「珈琲って飲んだことある?」
「いえ」
「とっても苦いのよ。紳士の方はこちらを好んで飲まれるのですって。良かったらどうぞ」
「ありがとうございます」
「お返事を書くから、ゆっくり珈琲でも飲んで待っていらして」
「いつもお気をつかわせて申し訳ありません」
「良いのよ。暖かい飲み物が用意できなくてごめんなさい」
彼女は手紙の封を開けながら、テーブルの上に珈琲を置いた。何度「不要」と言っても彼女は私を持て成すような物を用意する。前はバターがふんだんに使われたクッキー。その前は無花果のケーキ。
こんな夜中に現れる怪しい男に、彼女はなんと心優しいことか。危機感がないと言えばないのだが。
冷えた珈琲は酷く苦いように感じたが、精神を統一するのにはちょうど良い。香りを楽しむものだと主人は言っていたが、今の私はそれどころではなかった。
「叔父様はお元気にしているかしら?」
「はい、お嬢様にお会いしたがっておられました」
彼女の叔父は私の主人で、手紙の送り主だ。血筋の近い親戚だというのにも関わらず、訳あって手紙のみのやり取りを強いられている。
それがなければ、私のこの十日に一度の習慣も無かったのだが。
「喧嘩なんてそろそろお辞めになれば良いのだわ。大人気ない。あなたもそう思うでしょう?」
彼女の父親と、私の主人は仲が悪い。どうもそれは、彼女が生まれる前からのことらしい。しかし、私が首を突っ込むようなことでもなく、相槌を打ち、曖昧に笑うしかなかった。
彼女は私の名前を知らない。聞いてすらこなかった。それは、私が単なる使用人に過ぎないからだろうか。
名前を聞かれないということは、私に大した興味もないのかもしれないと焦れるものの、名前を聞かれた時点でこの関係も終わりのような気もしている。
噂話を口にする時は少し楽しそうだ。外に出ればどこに出しても恥ずかしくないご令嬢だというのに、この部屋では私が手を伸ばしたら触れることのできる普通の女の子に見える。
決して気持ちを寄せてはいけない相手だというのに、私は随分と懸想している。
手紙を書く間だけが、私が彼女と共にいることの許された時間。長くても一刻。珈琲が空になるまで。私はいつになくゆっくり珈琲を飲んだ。
主人に呼ばれたのは、そんな気持ちに蓋をし続けていた時だ。今夜は手紙を送る日だった。きっと、手紙が書きあがったのだろう。
「御用でしょうか?」
「ああ、用という程のことでもないんだけどね」
主人がにこりと笑う。そして、すぐに口を開いた。
「今日から手紙は必要無くなった。今までご苦労。これからは、通常の職務を全うしてくれ」
主人は顎をさすりながら口早に言うと、視線を手元に移した。そうなれば話は終わりというわけだ。
私は短く返事をすると、部屋を後にした。もう、彼女に会う口実はない。窓を開けながらはにかむ顔はもう二度と見ることはできないのだ。
その日の晩、私は行く必要もないのに、彼女の屋敷の前まで来た。渡す手紙などない。手元を言葉なく見つめることしかできなかった。
今までは、主人の命令という大義名分があった。しかし、今日目の前に立ちはだかる柵を乗り越えれば、正真正銘の罪人となろう。
私の葛藤を搔き消したのは、聞き覚えのある声だった。
「こんなところで何をしているんだい?」
振り向けば、主人が後ろに立っていた。足音もなく忍び寄ったのか、はたまた私が考え込んでいたせいか。思わず後ずさると、笑顔を向けられた。
「そんなに私の姪が愛おしいかい?」
「そのようなことは……」
「では、なぜ屋敷に? 私は君を盗人に育てた覚えはないが」
「それは……」
何か、何か良い言い訳は無いものか。
時間ばかりが過ぎていった。
「旦那様、私は……」
彼女に思いを寄せていことを話すのは得策ではない。私はただ血筋を頼って雇ってもらっただけの使用人だ。気持ちが露見すれば、仕事を失う。
私の苦悩とは反対に、主人は楽しそうな声で笑った。
「うちの姪は美人だろう?」
「……はい」
月明かりに照らされる彼女の美しさはなんたるや。
「しかも少しお茶目で可愛げもある」
「そうですね」
夜毎話す内容は変わる。いつも人を飽きさせない。
「彼女が好きかい?」
私は頷きそうになりながら、体を強張らせた。これではまるで尋問だ。
「例えば、彼女を手にすることのできる唯一の方法があるとしたら、君は悪魔と契約するかい?」
「そのような契約などあるわけが……」
「どうだろう? 時に冒険は必要さ」
主人はどうも話を脱線させる癖がある。早く言い渡して欲しい。「田舎に帰りなさい」その一言でいい筈だ。じわじわと首をしめられていく拷問に等しい。言葉にしてしまえば、この拷問からも解放されるのか。
「旦那様の仰る通りです」
「認めると?」
「はい。私はお嬢様のことを好きになってしまつまたようです」
「そうかそうか」
主人はどこか楽しそうに笑う。一人の使用人の末路など、ボードゲームと同じなのかもしれない。何も口に含んでいないというのに、苦々しさが広がった。
「ならばこれを持って行きなさい」
主人は私の目の前に一通の手紙を差し出す。この手紙を持って行き、最後の別れをしなさいと言っているのか。慈悲深い主人になんと礼を言っていいかも分からない。
私は頭を下げるとすぐに柵を乗り越えた。彼女のいる部屋へと向かう。
夜の鳥の鳴き声。
なんの疑問もなく開く窓。そして、彼女の笑顔。
「今日は少し遅いのね」
彼女が待っているのは手紙の筈なのに、私を待っているのではないかと、どこかで期待してしまっている。
「お待たせして申し訳ございません」
手紙を差し出すと、彼女はいつもよりも焦り気味にそれを取った。
手紙を開く彼女が目を丸くする。そして、私と手紙を交互に見やった。
「いかがなさいましたか?」
「……あなたは良いの?」
彼女は何を言いたいのか。私にはわからない。不躾ながら首を傾げると、ずいっと手紙を突き返された。
その手紙に書かれていたのはたった一言だけだ。
『私の梟はお気に召した?』
「前に叔父様が言っていたの。私の気にいる人を用意できれば、その人と一緒に家を継げるか? って」
彼女の大きな瞳が私を見上げる。私は主人からの提案を思い出した。
主人には子供がいない。奥方を早くに亡くされ、後妻もいない。つまり、継げと仰るのだ。
主人は大切なことをお話しにならない。窮地に立たせ、選ばせようというのだろう。
彼女の手を取る道と、故郷の空を見上げる道を――。
「お嬢様。名も知らぬ私と手を取り、一生を共に歩んで頂けませんか?」
瞬き一つで選べる道は膝を折り、彼女に手を差し出す道だった。
「勿論よ。私の梟さん」
名もなき梟の恋 たちばな立花 @tachi87rk
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