誇鳥

和成ソウイチ@書籍発売中

誇鳥


 マタギを名乗って五十年。



 わしは、人生で一番後悔している。



 滑落かつらくしたのだ。



 儂らマタギは、偉大なる御山みやまの懐に入らせて頂いている。ゆえに、山を深く知り、愛し、敬い、おそれなければならぬ。



 だというのに、儂は焦りの余り、山への敬意を忘れ、儂自身のちっぽけな感情にとらわれてしもうた。



 ――早くこの手で彼らを殺さねば。彼らを救えるのは儂だけだ。



 ほんの三十分前まで、本気でそう考えていた。山と、山に棲む生き物たちを、己よりも劣る存在として見下していたのだ。



 そして、いつもなら気づけたはずの山肌の変化に気づけず、足を滑らせた。



 なんという傲慢ごうまんか。後悔しても、し切れない。



「おお」



 痛ぇ――その言葉は意地でも言うまい。当然の報いだ。口にするのもおこがましい。



 うつ伏せのまま、目だけを動かす。猟銃はまだ右手の中にあった。だが、腕はおかしな方向に曲がっている。両脚にも力が入らん。左手だけがかろうじて動く。



 かすかな物音と臭いに気がつき、儂は顔を上げた。



 そこに現れた大柄なフクロウの姿に、儂は声を漏らしてしまった。胸が悲しさで詰まる。



「オゥロ。お前さん、儂に会いに来てくれたのか。姿、儂に」



 オゥロ。儂が何度も仕留め損なった大物。王とも言える風格。一度だけかすめた鉄砲玉が彼の片眼をえぐったのは、儂の背負うべき勲章である。



 そして、儂が我を失って探し求めていた、最後の獲物だ。



 だが――どうだ、今の痛々しい彼の姿は。



 美しかった羽毛は至る所が禿げ、さらにその上から灰褐色の消毒液が付着して、彼の肉体を醜くおかしている。



 空からばらまかれた薬剤から、逃れられなかったのだ。



 彼はもうすぐ死ぬだろう。それだけ強力な薬だ。



「すまん。山がけがされるのを止められなかった。それだけじゃない。儂は、お前さんの尊厳を守れると思い上がってしもうた。本当に、すまない」



 それきり黙り込んでしまった儂を、オゥロは無言で見下ろしている。



 彼らには、彼らの言葉があることを儂は知っている。もはや儂には、かける言葉もないということだ。儂はうつむいた。



 彼が、近づいてくる気配。



「……? オゥロ、何をしている」



 儂は思わず尋ねた。オゥロが、儂の折れた右腕に足を乗せ、爪を立てたのだ。皮膚が破れ、血が滴る。儂は、彼の意図をはかりかねた。



 視線を感じた儂は、改めてオゥロを見上げ、目を合わせた。



 山に抱かれた経験のある者にしかわからない、命を宿した眼球の輝きがあった。



『私を失望させるな、爺』



 儂はまばたきした。オゥロの『声』が聞こえたのだ。寡黙で通す彼の声は、王たる威厳にあふれていた。



『私は知っている。お前は誇り高い。私を失望させるな。お前は私の知る限り、最も山に相応しい人間だ』



「オゥロ。そう言ってくれるか」



 儂にとって、最高の賛辞だ。後悔など、容易く吹き飛ばしてくれた。



「ありがとう」



 ならば、儂はマタギとして、山に認められた人間として、やるべきことを果たさねばなるまい。



 震える左手で山刀を引き抜き、振り上げる。



 オゥロは逃げなかった。それどころか、まるで胸を張るように、我が身に残された羽毛をいっぱいに立ち上げた。



『さらばだ人間。お前とまみえたことを誇りに思おう』



「さらばだ友よ。山に生きた王よ」




◆◇◆




「おい若いの。もうメソメソすんじゃねえ」



「……すみません。どうしても悔しくて。俺がもう少し早く駆けつけていれば、親父は死ななかった」



「だが、俺は思うよ。あいつ、本望だったんじゃねえかってな。……おっと。悪代官のお出ましだ」



「悪代官とはご挨拶ですな。まあいいです。山井さん、先ほどお父上の身体から変異種ウイルスが検出されました。これでアウトブレイクの元凶がフクロウだと特定できました。ワクチンの製造も本格的に始動します。同意書については明日、ご自宅に送りますので、署名捺印後、ご提出をお願いします。それでは、また」

 

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