Owl night・buddy

時任西瓜

切り札はフクロウ

 エレベーターから降りると、ぬめりとした空気が肌に触れた、地下とはいえ夏真っ盛りの今、換気扇によって運ばれてくる外気は酷く蒸し暑い。何とか暑さから気をそらそうと、先ほど自販機で買ったばかりのペットボトルを握ったり、Yシャツの襟を掴み、パタパタと煽ったりしながら、駐車場を見渡す。待ち合わせ相手の姿は見当たらない、どこかに隠れているのだろうか。

探し歩き出せば、目当ての彼はすぐに見つかった、車体と柱で入り口から死角になる位置で、コンクリートの壁に背中を預けている。しかし、駐車場とはいえ警察庁舎に見合わない、スポーツブランドの黒いTシャツとジーンズ、グレーに差し色のミントグリーンが眩しい、アニマル柄のスニーカーを身に付けた、ラフな格好の少年は、自家用車よりもパトカーの方が多いであろうこの空間で異彩を放っている。

「フクロウ君」

 声をかけながら近寄るも、珍しく返事がない。どうやらスマートフォンの画面に夢中みたいだ、イヤホンで耳を塞いでいるからか、すぐ真横まで近付いても気がつかない。

俯いて画面を注視するその姿勢のせいで、普段から女の子と見紛われるというボブカットの黒髪から無防備な首筋が覗いている。すこし悪戯心が働き、よく冷えた赤いラベルのペットボトルを汗ばんだそこに当てると、彼はおかしな叫び声を上げた後、目を見開いてこちらを見る、ペットボトルの中のコーラがちゃぷんと揺れた。

「お疲れ様、フクロウ君」

「……ドーモ」

 心臓に悪いです、と言いつつも拒絶はなかった、彼は素直に差し出されたコーラを受け取る。

「これ、今回の謝礼ね」

「や、そういうの要らないって」

 その勢いで次いで渡した茶封筒はすぐに突き返される、いつも通りのやりとりだ、しかし私も引き下がるわけにはいかない。

「経費で落としてもらったの、大人しく受け取りなさいね」

 優しく言い聞かせるようにして茶封筒を握らせた。Yシャツにパンツスーツの私と、限りなくラフな格好のフクロウ君が並ぶところを見ても、普通はその関係性を掴めないだろう。私は刑事で、フクロウ君は私専属の情報提供者だ。幼いながら、といっても高校生だけど、この街で生まれ育った彼は、街が夜に見せる顔を誰よりもよく知っている、事件が起こるたびに彼から情報を得て、捜査をしているという訳だ。

 今回もフクロウ君のつかんだ情報のおかげで事件を解決に導けた、捜査もひと段落したので、署からの正式な謝礼を渡すために呼び出したのだ、受け取ってもらわなくては困る。

彼の表情からはしぶしぶというのが伝わってくるけれど、握らせたお金をやっとジーンズのポケットにしまってくれた。かと思えば、あ、と声を上げ、車の影に引っ張り込まれる。私が声を出すより先に、彼は口の前に人差し指を持ってきて、しぃ、と小さく息を漏らした。

間も無く、エレベーターの到着音と共に駐車場内に二つの足音と話し声が反響する。特徴的なしゃがれ声が一人と、やや早口な語り口が一人、声から推測するに同じ課の上司と同期の刑事だ、二人は他愛もない会話を交わしながら、私達とは反対の方向へ歩いて行ったようだ。私達は周知してないとはいえ警察官と情報提供者という健全な関係だ、隠れてこそこそする必要はない、とフクロウ君に伝えようとしたのだが。

あさひ警部補の情報網には驚かされるな」

 会話に私の名前が出てきてしまった、ここで顔を出して見つかってもお互い気まずいだけだろう、このまま隠れておくのが賢明か。フクロウ君も頷いている。

「キャリア組だからって馬鹿にできませんね」

「ああ、昇進も時間の問題だろ」

「女警部か、格好いいな」

「お前もちょっとは見習えよ」

 バタム、と車のドアが閉まる音がし、会話は途絶える。彼らの表情は伺い知ることは出来なかったけれど、いつも影で言われるやっかみとは少し毛色が違うように思えた。しばらく待てば車のエンジン音と共に一台のパトカーが走り去って行き、また地下駐車場に静かな空気が満ちる。

ところでさ、とフクロウ君が口を開いた。

「俺の名前、福永太郎ふくながたろうだからフクロウって、ちょっと安直だと思うんだけど」

「私は気に入ってるわよ」

「いや、違くて」

 唐突な問いかけに対して返した答えは、彼の求める回答ではなかったらしい。文字通り目を泳がせてから、ぼそぼそと不明瞭な言葉を漏らす、もう一度言って、と聞き直すと、彼は俯きながら、今度は確かに聞こえるように言った。

「名前で呼んでって事」

 思いの外声が響いて、照れ臭くなったのだろう。そっぽを向いたが、耳は赤い。時折見せる年相応の可愛らしさは愛おしい、でも私を振り向かせるにはまだまだね、とも思う。

「また、いつかね」

「いつかっていつ」

「いつかはいつかよ」

謎かけのようなやり取り、フクロウ君は呆れた顔でため息をついた。

「いつもそうじゃん」

「不満?」

「別に。いつか、絶対呼ばせるから」

 コーラありがと、とまだ赤らんだ顔で言い残し、彼は直接外に通じる車の出入り口の方へ歩いていく。

そうは言っても、私はフクロウ君という呼び名を気に入っている。彼の望みが叶えられるのは当分先の話になりそうだ。

 私達が初めて会ったあの日、夜が明けてゆく街を鋭い双眸で見届ける、その姿はまさにフクロウそのものだった。

夜の街を根城にするフクロウと、夜明けの象徴を名前に持つ刑事。収まりの良さが心地いい。私達二人でなら、どんな事件も解き明かせる、真実にたどり着ける。そんな、遥か昔においてきたはずの理想論も彼という切り札があれば現実になる気がしたのだ。

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Owl night・buddy 時任西瓜 @Tokitosuika

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