第10話 異形のモノ
ハウストレーラの牽引車から降り立ったのは身形はそれなりの35歳前後に見える男と その男と大差ない身長の女、そして高校生くらいに見えるモノであった。
彼等が見下ろしているのは、田舎の寂れた港町である。
男と女が高倍率の双眼鏡で そこを確認すると、間違いなく奴等がいる。
それは1週間前であった。
「また会いに来たよ」
その言葉が
非合法または極秘任務の場合に使う
彼だけではなく全員に送信されている。全員、という事は『かなりの大事』だと思って良い。
登庁すると、研究所の方に案内され、いきなり妙なモノを見せられた。男の隣に立つ女が口と鼻を左手で覆い、悪臭を遮りながら言葉を放つ。
「何、これ」
皆同感である。何モノかは分からないが、人間と同サイズの生物の死体であった。
「何に見える」
彼等を呼び出した張本人が問い掛けるが、誰もこんなモノ見た事も聞いた事もない。
「……まるで、インスマスの魚人ね」
小さな声で呟いたのは、先程の女だ。
「何だ、それ」誰かが声を上げた。
「知らない? ラブクラフトの怪奇小説、ほらクトゥルー神話。
何だっけ『インスマスを覆う影』だったかな」
この言葉を受けて、答えを明かす呼出し人。
「そう、それだ。それが『ある港町』に出現した。それの調査に向かった者の成れの果てが、そこの死体だ」
「まさか、あれは ただの
「そこにある死体を見ても否定出来るのか。現実として存在する以上、対策する必要がある。他に広がっては困るのでな」
「広がる兆候でもあるのか」
「その漁港から搬出される食材が増えている。それを食した者にどんな影響が出るか予想出来ない。
搬出規制は行っているが裏ルートがあるようで、量は減ったが未だ根絶出来ていない。加工・販売会社の特定を急いでいる」
「その町ごと燃やしちゃえば」
「人間だぞ」
「本当に?」
「それは……、どうなんだ」
依頼主は困惑顔だ。どちらとも付かない、という事ではない。説明方法に困っているのだ。事実を話せば誰も受注しないだろうから。
「こいつは元部下だったが、現在の状況ではヒトとは呼べん。血液が青い人間は存在しないからな。DNAを調べたら猿より蛇か蛙に近いとさ。
焼き払わないのは『学者共』が興味を持ったせいだ」
「最悪だな。あの
「まさか、私達で実験しようとか……」
「……」
「考えてる、のね。あの妖怪共は!」
そんな物件を進んで受注するようなバカは、当然だが誰もおらず、最終的には弱味を握られている この2人が、今ここにいる。
その代わり、このハウストレーラを初めとして様々な装備を用意していたし、命を懸けるに足る代価も約束された。
下手をすると
双眼鏡を通して見えるのは、まるで人間を魚に置き換えた趣味の悪い
「ふぅ、どんな条件でも受けるべきじゃなかったかも」
女が呟く。
「それは同感だが、俺の場合は『脅し』が混ざってたのでな。どのみち断れなかった」
女は まさか回答があるとは思わなかった。まぁ、彼女の方も同じような立場であったのだが。
2人と離れて作業をしているのは、小柄な学生に見える道具である。さっさと準備を済ませると、その町に向かって行く。特殊装備はせず、大きな箱を背負っている。
男が声を掛ける。
「もう行くのか」
「早急ニ済マセテ引キ上ゲタ方ガ安全ダト判断シマシタ」
電子音で答えたこれはアンドロイドである。ÅⅠ搭載の最新型らしいが、対話機能があるとは思わなかった。男は その驚きを顔に表した。その点、女はあっさりしたモノである。
「確かにそうね。私達も用意しましょう」
「そ、そうだな」
こんな怪しい物件など、さっさと終わらせるのが正解だ。これはアンドロイドも含め、全員共通の見解である。
生きた人間を『あの環境』に放り込むのは危険である。いくら官庁の反応が鈍かろうと、実際に発生し、それも証拠物件(魚人化した死体)が存在する以上、それなりの対応はする。それに 通称『妖怪』と呼ばれている科学者達の助言も加わった事により かなりしっかりした装備が用意されている。
この調査には注意事項がいくつかある。
・生身を『あの場所』の空気に晒すのは危険である。飲料や食料も持参した物以外は摂取してはいけない。
・着衣は、下着から外装に至るまで、1度しか使用せず作業後は指定場所に保管する。外装は、町から帰って来たらシャワーで洗浄し別途保管する。洗浄後の水も保存しておく。
・アンドロイドは人間とは別の場所に保管し、作業に入ってからは人間と接触してはならない。また、決められた作業が終了するまで帰還せず調査を続行し、終了後は密閉容器に保管する。
人間2人にはアンドロイドの作業内容は知らされていないが、彼等には容易に予想が付いた。
生きている魚人のサンプルを求めたのだろう。
実際は それ以外にも魚人達の生活を記録(映像)する事。その土地の土や水、空気。彼等の飲食物や声(言語)等もサンプリングする事になっている。
では人間は何故必要なのか、装備の耐久力試験、つまりモルモットである。
もちろん半端な装備で実験している訳ではない。最高水準の耐生物兵器用装備に耐刃・耐物理(銃撃も含む)攻撃を見込んで強化されている優れモノだ。
彼等は町中を散策し、感じた事を記録する任務が与えられている。簡単そうだが、これは かなり重要な仕事である。ヒトの感性というのはバカに出来ないのだ。アンドロイドが採取する客観的な資料とは全く違うデータとなり得るのである。妖怪と揶揄される、この部門の科学者達は、ある意味 非常に先進的は感性を持っているようだ。
男は何とも嫌な感じを持って町中を歩いている。女も同様らしく動きが ぎこちない。
「何だか匂いが入って来てるように感じるのだけれど」
「それはないだろう。外気は多重フィルタを通してしか入って来ないようになってる。……だが、その感覚は記録した方が良いだろうな」
女は頷いて、記録装置に入力している。
この装備には外からの情報は殆ど入らない。例外は光と音だけである。但し、直接ではない。光は赤外線や紫外線、遮光フィルタが装備され、音は集音器を通してである。
その集音器が妙な音を拾って来た。
「……イァ……イァ……」
「何だ あの音は」
「……声、のようね」
男が声の方へ進もうとするのを女が止めた。
「行かない方が良いわ。『イァイァ』が、もしあの通りだったら、襲われる可能性が高い。あれはアンドロイドに調べさせるる方が良いわ」
「何が『あの通り』なんだ」
「言ったでっしょ。まるで『クトゥルー神話』のようだって!」
「……それはフィクションだろうが」
「実際に起こってるのに否定するの」
確かにそうである。何よりも現実が優先されるのは当然の事だ。彼は女に確認した。
「その『イァイァ』が何かの合図なのか」
「そうね。もし想像通りなら、とんでもない事になるわ。アンドロイドに連絡するわね。帰ってから詳しい事は話すから」
男はその権幕に押され彼女と共に帰る事にした。女はアンドロイドに連絡してているようで、会話も途絶えている。
周りを見るが、魚人の姿がない。さっきの声は町民全員が集まっての集会なのかも知れない、ならば確かにヤバそうだ。
「それにしても……」彼は未だに嫌な感覚が抜けていない。
「これがアンドロイドが拾って来た音ね。あまり鮮明じゃないけど。……やっぱりそうだわ」
『イァ……イァ……ゴン』
「これがどうかしたのか」
男は、よく聞き取れない こんな声よりも画像の方が気になっている。大勢の魚人が、まるで祈りを捧げているように見える。
「祈っているのよ。『我は飢えたり、与え給え恵みを』ってね」
「何に」
「たぶん『ダゴン』でしょうね、ひょっとしたら『クトゥルー』にかも知れないけど。
私は明日から あの町には入らないからね。海と違法取引とを見張るから」
女はもう町には入らないと言って譲らない。男もそれに倣う事にした。こんな不安要素が多い任務の場合、女性の感というのは無視出来ない、いや無視すると禄でもない事になるのは経験済みだ。それにしても妙な言葉だ。
「海を見張る、ってどういう意味だ」」
「……海が黒いわね」
「あぁ、少なくともキレイな海じゃなさそうだ」
「何か……出て来そうだわ」
男には その言葉と共に、眼前に広がる海を見て、ゾクリと背筋に冷たいものが走った。
まだ夕方には間がある。そうでありながら、そう深くもない海が黒く見えているのだ。
女は昔に読んだ怪奇小説を思い出そうとしている。
「出て来たりしないでよね、ダゴン」
翌日の未明。
彼等は違法取引の現場を発見し、それを追跡した。町の調査はアンドロイドに任せ、人間相手の作業に専念する事にしたのだ。
上司には「違法取引現場を確認したので、そちらを追跡する」と伝えた。
その後加工業者を確定し、販売業者も明確にした。製品名も全て把握している。これで販路は閉鎖出来るし、物品の回収も可能だ。これまで出来なかった事だ、それなりの成果と言えるだろう。
もちろん この追跡にはハウストレーラなど使っていない。別の車(これも装備品に含まれている)を使っての追跡であった。あのトレーラは倉庫も兼ねているのだ、そう簡単に移動させる訳にはいかないのだ。
「捕らえた業者達は普通の人間だったな」
「でも、あの魚は……」
「深海魚……だろうな。正確には判断出来ないが、違うモノも混ざっていたような気がする」
「違うって、何が」
「何というか、古代魚が混ざっていたような気がする。まぁ、妖怪共が調べればハッキリするだろうが」
「どうして古代魚だと思ったの」
「どうって、胸鰭と腹鰭が四肢に見えたから、かな」
■■■
アンドロイドの作業も終わったようなので、帰還する事にした。
この任務は、後続の者に引継がれる。
交代要員として来たのはは荒事専門の連中だった。きっとこの港町は破棄されるのだろう。住人ごと消し去る、と『上』が決めたのかも知れない。
引継ぎを完了して現場を離れた男は、少し気になったので女に確認した。
「その『神話』では、信奉者を害した者に対し、神はその相手を放って置くのかな」
「……どうでしょうね。神と言っても邪神だから」
いや、普通の神より邪神の方が怖いだろう。彼は『神』などは信じていないが、それが『邪神』であるならば本物の可能性があると思えるのだ。
現実に魚人が存在しており、ソレが信奉するのが邪神であるならば実在する可能性は、普通の神よりは高いだろう。
何にしろ神は、今まで人間に対して何の助力もして来なかったという事実がある。邪神もそうである事を祈るしかない。
彼は ふと思った。さて、何に祈ろうか。
========
ダメだ。クトゥルーは難しい。あのヌルヌル感が、どうしても出ないよ。今回は時間が掛かった割に全然恐くならなかった。無念!
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