KICKBOX

ポムサイ

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『万の技を持つ者より一の技を極めた者を恐れよ』


 とある有名な武術家の言葉らしい。


 追い詰められていた俺は藁にもすがる思いでこの言葉に従う事にした。

 次の試合に負けたら引退しろとジムの会長に言われている。俺は特に驚きはしなかった。デビュー戦だけはなんとか判定勝ちした俺だったが、その後連戦連敗…具体的には一勝二十三敗二引き分けという成績なのだ。そりゃいくら穏和な会長だって引退という名のクビを通告したくもなるだろう。


 俺はまず自分の一番得意な技は何かを考えた。

 右フックだ。これは間違いない。よし…右フックのみを徹底的に磨きあげよう。

 

 いや…待てよ?百歩譲ってボクシングなら良い…。だが、俺のやっているのはキックボクシングだ。蹴りを使わないというのは如何なものか…。


 名も知らぬ有名な武術家よ、すまぬ。蹴りも一つだけ使っても良い?

 

 俺は決して答えてはくれぬ有名な武術家に心の中で許可を取り一番得意な蹴り技を考える。


 右ローキックが無難だな。…という訳で俺は右フックと右ローキックを徹底的に磨く事にした。



 次の試合まで後一月。俺は朝から晩まで右フックと右ローキックの練習に明け暮れた。

 突然二つの技しか練習しなくなった俺を会長、同僚、果ては練習生までもが哀れみの表情で見るようになった。俺が遂におかしくなってしまったと思っているらしい。だが、そんな周りの目を気にしている場合ではない。俺はこの作戦に賭けているのだ。


 フック、フック、ロー、フック、フック、ロー、ロー、フック、ロー…。


 そんなリズムで練習している内に頭にフクロウの姿が思い浮かんだ。自分でも分かっている…ダジャレだ。しかも思い付いても決して言葉には出せない低レベルのダジャレだ。

 しかし頭から離れない。練習中、常に俺の頭の中でフクロウが飛び回っていた。

 そんな毎日を送っていると俺が頭の中に描いているフクロウが正しい姿なのか気になって仕方なくなってきた。

 俺はロードワークを兼ねて近くの動物園に行く事にした。無論フクロウを見るためだ。


 広い檻の中の木の枝に数羽のフクロウが眠そうにとまっていた。想像以上に爪が鋭く大きい。そう言えばフクロウは鷲や鷹と同じ猛禽類だったな…などと考えていると今見ている大きな檻の隣に小さな檻がある事に気付いた。俺はそこに歩を進めた。そこには傷だらけの一羽のフクロウがいた。どうやらこいつだけ隔離されているらしい。


「お前だけ離されているのか?傷だらけだな。虐められてるのか?」


 俺はフクロウに話し掛けた。もちろん答えなど求めてはいない。


『それは心外だな。ワシは強き者を求めて戦い続けただけの事だ。隣の檻にワシに敵う者などおらんよ。』


 突然頭の中で響いた声に俺は驚き辺りを見回した。


『ハハハ…。ワシだよ。目の前のフクロウだ。』


 再び頭の中で声がする。目の前のフクロウを見ると心なしか笑っているような表情をしている。


「お前なのか?」


『ああ。お主はワシと同じ匂いがする…戦いを生業にしている者とみた。』


 フクロウは話し続けたが、俺はフクロウなのに一人称がワシなのが気になって仕方なかった…どうでも良い事だけど。


「戦いを生業に出来ているかどうかは疑問だけどな…。次負けたら引退だ。」


 俺が言うとフクロウはますます笑った様な顔になる。


『なんだ、お主弱いのか?』


 なんだとコロヤローと思ったが口には出さなかった。


『ならば戦い方を教えてやろうか?』


 今度は俺が鼻で笑ってやった。


「俺がやっているのはこの手と足を使うキックボクシングっていう競技だ。足も短くって腕がないお前に教わる事なんかないよ。」


『だからお主は弱いんだよ。いいか?戦いに一番必要な物は何だと思う?』


「そりゃ技術だろうな。」


『違う。』


「じゃあ何なんだ?」


『心構えだよ。それを教えてやろうと言っているんだ。もちろん代価は貰うぞ。』


「代価?」


『ああ。ワシは戦いたいのだ。ここから出せ。』


 前にも言ったが俺には後がない。頼れるもの、すがれるものがあるならどんな小さな事でも欲しかった。猫の手も借りたいならぬフクロウの知恵でも借りたい状況なのだ。

 俺は周りを見渡す。平日の午前中、園内には人は疎らでこちらを見ている人はいない。檻の鍵は針金を使った簡易な物で簡単に外せそうだ。

 俺はもう一度周りを確認する。大丈夫だ。俺が素早く鍵を外すとフクロウは俺に目もくれず空に消えて行った。


 もしかしてとんでもない事をしてしまったんじゃないだろうか?と思いながら足早に動物園を出てジムへ向かってロードワークを続けた。


『よう青年。助かったよ。約束通り教えてやろう。』


 公園に差し掛かった時、また声が聞こえてきた。見ると葉の繁ったコナラの木の枝に先程のフクロウがとまっている。


「俺を利用して逃げただけかと思ったよ。」


『馬鹿な事を言うな。人を騙すのは人だけだからな。』


 その日から俺はフクロウから日頃の心構え、戦いに際しての心構えを事細かに教えられた。初めは気休め程度と考えていた俺だったが学べば学ぶ程、それがいかに大事であるかが解った。それと同時にフクロウに対する尊敬の念も生まれてきた。


 試合前日、俺の四畳半のアパートでフクロウと向かい合っていた。


『ワシの教えられる事は全て教えたつもりだ。まあ、お主が理解していればの話だがな。』


 フクロウ…いや、師匠は俺に語りかけた。


「ありがとうございました。明日の試合、あなたにも是非観て頂きたい。勝っても負けても俺の戦う姿を…。」


『バカ野郎。やるからには勝つんだよ。』


「はい!!」



 降り注ぐライトの中、俺はリングへと向かう。対戦相手は今年デビューして三戦三勝三KOの期待のルーキーの志村だ。この会場にいる客のほとんどは志村のKOを観に来ている。

 リングに上がり対峙すると志村は不敵に笑った。明らかに俺を下に見ている。まあ、当然だろう。だが今日の俺は今までの俺とは違う。

 俺はリングサイドに目をやる。そこに置かれたスポーツバックの隙間から覗く師匠と目が合った。俺はコクリと頷くとゴングの音とともに志村に向かって行った。



「良い感じだぞ!このまま行けば判定で勝てる!」


 セコンドについた会長が俺に水をかけながら言う。気持ちの持ちよう…心構えを持つだけでこれ程戦い方が変わるとは自分でも驚きだ。磨きに磨いた右フック、ローキックも悪くない。

 志村の表情にも余裕はなくなっている。判定で自分が負けているであろう事は自覚しているはずだ。次のラウンドに間違いなく仕掛けてくるだろう。


『有利かどうかは関係ない。相手を倒さねば死ぬと思え。』


 師匠の言葉に俺はそちらを見ずに頷いた。

 

 ゴングが鳴る。志村はこのラウンドで仕止めるつもりなのか猛然とラッシュを浴びせてきた。俺は守りを堅めつつ反撃の機会を伺う。志村は呼吸を調えるために少し距離を取った。


「今だ!!」


 俺は志村を追うように踏み込み右フックを顎を狙い放った。その瞬間志村はニヤリと笑い俺の拳に合わせて右ストレートを出してきた。

 しまった!と思ってももう遅い。志村の右ストレートが俺に向かって来るのがスローモーションで見える。ああ、負けたか…と覚悟を決めた時、客席から悲鳴にも似た声が上がった。


「志村!!後ろ後ろ!!」


 次の瞬間、志村に何かが覆い被さりリングにセコンドや関係者が上がってきた。俺は呆然と立ち尽くしたが、志村にフクロウが襲い掛かったのだとすぐに理解した。

 志村はフクロウにやられ額や肩口から血を流している。


「止めろ師匠!!」


 俺は叫んだ。当の師匠は悲鳴の上がる会場を悠々と一周すると通路を抜けて外へ飛んで行ってしまった。


 当然試合は無効試合となった。

 俺は最後の瞬間諦めてしまった自分を許す事が出来ずに引退を決意した。




「…て、話なんだけど信じる?」


 俺は常連客の女性に聞いた。


「絶対嘘に決まってるじゃん。」


 そう言いながら女性は師匠の頭を撫でる。

 フクロウ喫茶を始めてもう四年が経つ。元キックボクサーの経営するフクロウ喫茶…なかなかシュールな組み合わせだろう。


「本当なんだけどな~。」


「はいはい。でもこの師匠ちゃんが本当にしゃべったら可愛いのにね。今日はそろそろ帰ろうかな。またね店長、師匠ちゃん。」


 女性客は俺と師匠に挨拶をすると笑顔で帰って行った。


『おい。』


「なんだよ師匠。」


『お主あの女に惚れてるな?』


「そうだよ。悪いか?」


『悪くない。女を口説くのに一番必要な事は何だと思う?』


「う~ん…。優しさ…とか?」


『違う。』


「じゃあ、何なんだ?」


『心構えだよ。』










 

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