第5話 もふもふしてもいいですか

 数日後、ミケさんは市役所の近くの公園にいた。

 昼休みのことだ。休憩室が空いていれば隅のほうで丸くなって寝ていることもあるのが、そちらはぎゅうぎゅうに混雑していることが多いので、たいていは遠慮して外に出る。

 とはいえAL向けの飲食店は少し離れた場所にしかないし、そもそもしょっちゅう外食するほどの余裕はない。それで、自分で弁当を用意して持ってくるか、コンビニでAL用の携帯食を買ってきてここで食べることが多い。

 だが、この日はせっかく買ってきたカロリーバーにも手をつけず、ミケさんはただベンチに腰掛けてぼんやりと寒風に吹かれていた。

「あー、ねこさんだー」

 三つか四つか、そのくらいだろうか。公園を通り抜けようとしていた男の子が、母親の手をふりほどいてミケさんに駆け寄ってくる。物怖じしない子だ。勢いよく飛んできて、ほとんどぶらさがるようにしてミケさんにしがみついた。

「あいてて」

 首回りの毛皮を遠慮も何もなく掴まれて、ミケさんは悲鳴を上げた。少年の中では遊園地にいるような着ぐるみとミケさんは一緒くたなのかもしれない。

「こらー! ごめんなさい、もう」

「いえいえ」

 慌てて駆け寄りながら謝る母親に、ミケさんは笑いかける。うっかりして子どもに危害を加えたと見なされればどんな扱いを受けてもおかしくないALは、ミケさんでなくてもこういうとき、ちょっとやそっとのことで怒ったりはしない。

「すみませんでした! もー、いきなりお母さんの手を離しちゃだめだったら」

 なごり惜しそうに振り返り振り返りする男の子を、母親が叱りつつ引きずっていくのを見送りながら、ミケさんは笑って手を振る。そうしながら、さっきまで見ていた保育補助の求人のことを思い返した。

 この日の午前中、ミケさんは総務課長に呼び出された。

 なんでも相談窓口は生活福祉課の端にあるが、ミケさんの本来の所属は総務課だ。珍しく勤務時間中に直属の上司に呼び出され、とっさに覚えた嫌な予感は当たった。

 次年度に向けた予算編成案で、なんでも相談窓口の縮小が決まったのだという。完全に無くしてしまうわけではないが、他部署の職員が研修を兼ねてローテーションで座る方向で検討が進んでいるのだと。

 まだ時期的に確実な話はできないが、次の更新は厳しいと思ってもらったほうがいいと、総務課長は告げた。

 来たか、とミケさんは思った。

 現職の市長は市政の改革を前面に押し出して票を獲得した人物だ。コストカットを訴える一方で新規事業の必要性を語り、市の事業がいくつも見直しを迫られている。その上もともと保守的な人物で、ALに好意的とは間違っても言えない。

 市長からしてそうで、加えていまの人事課長もAL問題に関心が深い人間ではない。そして、利用実績を盾にできるほどなんでも相談窓口の取扱い件数は多くない。遅かれ早かれいつかは来る問題だったのだ。

 市の事業というのは市長の方針や市議会の趨勢によって、しばしば振り回されるものだ。そもそもずっと働き続けられる場所ではないということは、ミケさんも最初からわかっていた。

 だから落胆はしても、雇い止めの通告そのものには、それほど大きく感情は動かなかった。それよりもミケさんを激昂させたのは、総務課長が最後につけ足した説明のほうだ。

「次年度からはじまる新規事業もあるから、引き続き市役所で働いてくれる気持ちがあるなら、そちらの応募も考えてみてください」

 雇う気なんかないくせにと、罵声が喉元まで出かかった。

 市で募集している非常勤職員は、たいていごく短期間の補助的なものか、そうでなければ特殊な資格や経験を必要とするものだ。そして人間でないミケさんには、ほとんどの国家資格の受験資格がない。

 だがミケさんはかろうじて怒りを飲み込んだ。総務課長を非難しても仕方がない。

 国の指針により、国または地方公共団体が雇用する非常勤職員の雇い止めを行う場合、再就職のための配慮をすることが義務づけられている。

 そういう決まりなのだ。これはミケさんがALだろうとそうでなかろうと関係が無い。規則に定められたとおりの発言を総務課長はした。

 就職活動で休むときは早めに届けてくださいと総務課長は結んで、面談は終わった。そのまま昼休憩に入ったミケさんは、他の同僚のいないこの公園にふらふらとやってきて、いっときAL用の求人を眺めたあとは、冷たい風に吹かれてただぼんやりしている。

 ミケさんはこの市役所では初めてのAL職員だった。

 厳密にいえば、市の運営する保育園や市立学校の用務員などにはALの補助職員がいないでもないが、そういった現業職を除けば第一号だ。

 全国ではほかにも実例が若干あるらしいが、まだまだ珍しい。テストケースとして自分がうまくいけば、地方公共団体でのAL雇用も少しは増えるきっかけになるかもしれない……そんなことを考えた時期もあった。

 はじめは、頑張れば居場所ができると思っていたのだ。市民にふれあう窓口でアピールすれば、もっとALの存在を人々に身近に思ってもらえるのではないかとも考えた。

 途中でだんだん、そういう単純な話ではないのだと気づいた。一生懸命やったところで、どうやってもミケさんの存在は浮く。

 腹を立てても仕方がないと、自分に言い聞かせてきた。そもそもミケさんだって、人間のために働いてるわけではない。ALの未来のためになんていうほど大袈裟なことでもない。ほかのALたちだって、ミケさんに自分たちの代表なんて顔をされても迷惑だろう。つまりは結局、金のためだと、とっくに割り切ったつもりでいた。

 それでもどうやら心のどこか隅のほうで、まだ少しだけ諦めきれずにいた。

 そのことを、いまさら思い知らされて、ミケさんは自嘲した。

 必死に知識を身につけて親身に対応して、それで喜ばれれば悪い気はしない。だけどそれもだんだん重くなってきた。横石に礼を言われて迷惑だと思ったように。

 どのみち、そろそろ潮時だったのかもしれない。

「三池さん?」

 驚きすぎて尻尾が逆立った。

 もの思いに耽っていたせいで、足音に気がつかなかったが、いつのまにか横石が近づいてきていた。

「……なんだよ。平日だぞ」

「今日は半休です」

 笑って、横石は勝手にミケさんの隣に座る。「まだ母の保険の手続きが残ってて、住民課に書類を取りに行ったんですけど。三池さんいるかなと思ってのぞいたら、隣の席の方が、この時間だったらたぶん裏の公園だよって」

 部外者にいったい何を教えてるんだと同僚に腹を立てて、ミケさんは無言になった。

「なんだか今日は、三池さんが元気ないですね」

「……変わらねえよ」

 とっさに意地を張って、ミケさんはそっぽを向いた。

「このあいだはありがとうございました。マフラーも。また今度おうちにお邪魔してもいいですか?」

「いいわけないだろ」

 横石の顔も見ずに前脚だけを差し出して、ミケさんはマフラーを受け取った。

「じゃあもふもふしてもいいですか?」

「なんでだよ」

「だって、寂しそうな顔してます」

 不意をつかれて、ミケさんは一瞬黙った。「してねえよ」

「でも」

「しつこい」

 シャーッと威嚇音を立てて、ミケさんは鼻にシワを寄せた。

 横石はびくっと身を竦ませて、知らない相手を見るような顔をした。

 その表情に傷ついて、傷ついた自分の身勝手さが頭ではわかっていても、ミケさんの不機嫌はおさまらなかった。

「アンタらはいつもそうだ。ALのことなんか、人間の言葉を喋るだけのケダモノだって思ってる。見下すか怖がるか、じゃなかったら犬猫みたいに可愛がろうとするかだ」

「そんな……」

 何か言いかけた横石に弁解する隙を挟ませず、ミケさんはまくしたてた。「ALにしてはいいやつだ、ALにしてはやるじゃないか、ALにしては話の通じるやつだ。そんでちょっとでもこっちが腹立てたりすりゃ、ほらみろ結局あいつら動物だって」

 横石は息を呑んで、後ずさった。

「もう、うんざりだ」

 人間なんてみんな同じだと、ミケさんは吐き捨てた。

 横石はうなだれて、いっとき黙り込んでいたが、やがて俯いたまま、絞り出すように口を開いた。

「……このあいだのお礼を、言いたくて来たんです。三池さんに話を聞いてもらったら、あれからちゃんと、夜眠れるようになって」

 涙を堪えているのが、顔が見えなくてもわかる声だった。

「でもわたし、また間違えたんですね」

 立ち上がって、顔を見せないまま、横石は背を向けた。

「ごめんなさい……今日は帰ります」

 ぱたり、とミケさんの尻尾が落ちてベンチの座面を打つ。

 横石は肩を落として、振り返らずに歩いて行く。その背中を呼び止めかけて、ミケさんは言葉を見失った。

 そのまま昼休みが終わるまで、寒風に吹かれてミケさんは座り込んでいた。

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