教室のフクロウ
イジス
◆
歴史学講師本庄さゆりは、黒板へチョークをカリカリと鳴らしながら自分をはげましていた。
「しっかりしましょう、私。生徒たちはきっとついてきてくれるわ」
背中にしている教室はしんとしている。授業内容を書き出している黒板に注目しているようである。
「そうよ、この子たちは学生だもの、学問に取り組む気持ちをもっているはずだわ」
都内にある、とある高校の二年三組である。
授業に集中している様子にほっとして、さゆり先生はふりむいた。
たちまち、わっという歓声と口笛が湧き起こった。
「もう、みなさん、ちゃんとまじめに勉強してください!」
「先生が美人過ぎるのがいけないんですよ、結婚してください」
「わたし女ですけど、やっぱり結婚してください」
生徒たちはもはや性差を超えて混乱していた。
「これじゃ授業にならない、困ったわ」
さゆり先生はがっくりと、巻き毛の長い髪のなかで高い鼻の顔を曇らせた。
次の週の歴史の時間である。
「本日はこれを」
教務主任がやってきて、一羽のフクロウを教卓に置いた。
「さゆり先生はどうしたんです。理科じゃなくて歴史の時間ですよ」
不平の声が教室中に渦巻いた。
さゆり先生がいるはずのところに、手垢のついたバレーボールほどの茶色いフクロウが鎮座して、澄ました顔をしている。
「なんだてめえは、フクロウなんてお呼びじゃないよ。腹の出た中年みたいな恰好しやがって」
「さゆり先生からの伝言です」
教務主任がもっていた手紙を読み上げた。
『お友達の結婚式があって、一日お休みをいただきました。でもみなさんがさびしく感じられるといけませんので、代わりにフクロウさんに代理をお願いしました。知っていますか? フクロウは学問の神様なのですよ。フクロウさんを見習って、みなさんお勉強をがんばってくださいね。-さゆり』
「ということです」
言い残して教務主任は教室を出て行った。
「フクロウってはじめてみたわ」
女子に触られてフクロウはまんざらでもないようすだった。
「興味ない、放っておこう」
男子は席へ帰った。
フクロウは気を悪くしたようだ。
「おっさんみたいな鳥を見てたってしょうがねえや」
男子がふりむいてあざわらった。
自習だ自習だと生徒たちは友達とおしゃべりをしたりでくつろぎはじめた。そのとき、廊下を一匹のシャム猫が通りかかった。校長の愛猫マーガレットである。
するとフクロウがくちばしをカチカチ鳴らしてシャム猫のマーガレットを呼び止め、こっちへ来ないかと羽根を動かした。
「おい、フクロウのやつマーガレット姫をナンパしてるぞ」
教卓に飛び乗ってきたマーガレットに、フクロウは羽を嗅がせたり自分からマーガレットの背中を突いたりしている。
このとき、教室のだれもが失笑した。
「やめとけフクロウ、お前とじゃ釣り合わねーよ」
フクロウとシャム猫では、屋台で一杯機嫌のおっさんと、高級クラブの女の子みたいなものである。とうてい気を引ける見込みはない。
フクロウは冷やかしている生徒たちへ首を向けると「ホー」と鳴いた。
ダメダメ身の丈に合わねーよと、生徒たちは手をよこにふった。
ところが、マーガレットはフクロウの前で足を折って座り、しなだれかかるように目をつむって横になってしまった。
「信じられん!」
駆け寄ってマーガレットの顔をのぞきこむと、まぎれもなく落ちた女の顔つきをしていた。
フクロウは当然という感じで取り澄ましている。
愕然とせざるを得ない。
「しっかりしろ、マーガレット!」
「この子、完全に参っちゃってるわ」
女子の声がふるえていた。
くちばしでマーガレットの毛をつくろいはじめたふくろうが、よだれに濡れたマーガレットの口に接吻しようとした。
「まて、この野郎!」
その大きな頭をつかんで、男子の一人が叫んだ。
「お前のどこにそんな魅力があるっていうんだよ、このおっさん鳥!」
逆上した若造の偏見を振り払うように、フクロウはつよく身じろぎすると、色気ばかりが成長した高校生たちを、冷たいまなざしで睥睨した。
「フクロウは学問の神とか」
「神って、いまさら。AIの世の中だぞ。人間が勉強したってなんにもならないんだ」
「そりゃあ、そうだが。俺いまマーガレットとさゆり先生が重なって見えちゃって」
「あ、俺も」
教室中が何かを忘れていたような気分になり、そしてやるべきことを思い出したようにうなずいた。
フクロウはバサリと羽根を広げると、落とした女、いやシャム猫をそのまま教卓に置いて、窓から空へ飛び立って行った。
そのすがたは、大人の男を感じさせるカッコよさだった。
机から教科書を取り出す音がして、騒がしかった教室はいつしか勉学の静謐な空気に満たされて行った。
「女を落とす秘術がきっとこのなかに隠されているはずだ……」
とくに男子は、むさぼるように教科書を読んでいた。
教室のフクロウ イジス @izis
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