梟と夜

@wadamelo

第1話

 その夜、私は白い画面をずっと睨み付けることしかできなかった。

 そう、「あいつ」が来るまでは。

 カクヨム3周年記念選手権。

 審査対象は1200字~4000字の超短編なので小説を書いたことのない私でも出来るかと思ったが、何もアイデアが思い浮かばず締切まで残り12時間。

 取り組んでみて分かったが、尺が短いと物語をまとめる難易度が逆に上がるのだ。目の前に広がる一面の雪景色がその証拠だ。

 今回の賞が初心者向けではないことを実感したとはいえ、ここで辞めては男が廃る。昔からテストは最後の最後まで足掻き、例え間違いだと分かっていても全ての欄を埋めなければ気が済まない性分だった。

「なんか埋めなければなあ。なんかなあ。ないかなあ。ないなあ。俺の人生なんもないなあ。はあ」

 夜に考え事をすると暗い方暗い方へと引っ張られるものだが、今の私も例に漏れず小説が書けないだけで自分を卑下し始めていた。

「ナメクジ以下なんだ。俺の知能。だからきっと書けんのだ。誰か代わってくれ。俺はもう寝る」

 ノートパソコンを両手で押しやり、机に突っ伏す。窓の方に顔を向けるとそこに「それ」はいた。

「話は聞かせてもらったホー。ワシがアンタを助けよホー」

 椅子から転げ落ちて思い切り肘を打った。え。

「まずはここを開けてくれホー」

 声も出ない痛みにもがいている私などお構いなしにそのフクロウは嘴で窓をつついている。なにあれ。

 痛みを何とかこらえて床を這い、窓からなるべく距離を取る。あれしゃべってる。

「落ち着くホー。ワシは怪しい者ではないホー。ただの梟だホー」

 ただの梟がしゃべるわけない。ただの梟がしゃべるわけないのだ。

「分かった夢だ。いってえ!」

 これは夢かと思い壁に頭を叩き付けたらものすごく痛かった。頭が割れるように痛い。左手で肘を、右手で頭を必死にさすっている間も梟からは目を離さない。

「あっち行け、しっしっ!」

「不測の事態に本性が出るんだホー。アンタは存外小物だホー」

 もしかして小説が書けないと梟に馬鹿にされるのは小説家界隈だと常識だったりするのだろうか。この試練を突破できた者だけが小説家になれるとか、そういう習わしがあるのだろうか。誰か知っていたら教えてくれ。いや、そんなことはどうでもいい。私が今知りたいのはしゃべる梟の対処法である。

「開けてくれホー。開けてくれホー」

 机を支えに立ち上がる。ノートを盾代わりにして窓辺まで近づく。

 「開けてくれ」ということは裏を返せば「自分では窓を開けられない」ということだ。落ち着け、落ち着くのだ。落ち着けば、落ち着く。落ち着く餅つくぺったんぺったん。よし落ち着いた。

「やい梟、お前の目的はなんなんだ」

「ワシら梟は知恵と芸術の女神アテネの従者ホー。今宵は迷える小説家志望をお助けに参上したホー」

 もしかして私が知らないだけで原稿が進まない小説家は夜な夜な梟の力を借りていることは公然の秘密だったりするんだろうか。私は別に小説家を目指しているわけではなかったが、そんなお伽噺みたいな世界ならまんざらでもない。

「それ本当か。後で魂とか奪わないか」

「アンタの魂なんかいらんホー。報酬はアテネ様に対する信仰だホー。一日に三回西に向かってアテネ様万歳と唱えるホー」

「よしきた」

 鍵の開く音が契約締結の合図となった。

 今は猫の手も借りたい状況なのだ。梟のそれでも構いはしない。

 すぐに彼をノートパソコンの前へと案内する。

「それでは頼む、梟さん」

「任せろホー」

 彼は器用に足を操ってキーボードを実にリズミカルに打ち込んでいった。あんなにも進まなかったカーソルが次々と新しい行へと進軍を続けていく。

 流石、知恵と芸術の女神の力だ。早速私は今日の分のお祈りをしようと部屋の方位を確認した。窓が南だから西はちょうど今向いている方向である。アテネ様万歳、アテネ様万歳、アテネ様万歳。はい、今日の分終了。

 あとは待っているだけなんて楽ちんだなあ、などとそうは問屋が卸さなかった。

「つまんなっ」

「えっ」

 思わず声が出るほど梟が書いた小説は面白くなかった。何かに例えるとしたら小学生の書いた日記が一番近い。その時頭に浮かんだことをそのまま紙に叩き付けたような勢いに満ち満ちていた。最初、梟は目を細め(恐らく笑っている)両の翼を誇らしげに広げていたが、私の感想を聞くなり無言で体を左右に振り始めた。ついでに何かぶつぶつと呟いている。

 耳を澄ますと何とか聞き取れた。

「だったらお前が書けよ、だったらお前が書けよ、だったらお前が書けよ、だったらお前が書けよ、だったら……」

 一定周期で揺れながら怨嗟の声を出し続ける梟ほど不気味な存在もこの世にはないと思われる。語尾の「ホー」はキャラ付けだったのだろうか。早急に元の梟さんに戻ってほしい。

「あ……あんまり梟さんに任せてたら悪いもんなあ。俺ももう一度頑張ってみようかなあ。うん、そうしようそうしよう」

 私も白々しいのは分かっていたが他にどうしたらいいか分からなかったので、パソコンの画面に集中することにした。

 それからは長い戦いだった。

 なにせ梟さんは5時間ずっと呪詛を吐き続けていたから、私はその間中執筆作業から逃れるわけにはいかなかったのだ。その甲斐あって何とか文字数は2000字を超え、話はまとまりを見せつつあった。

 思うに、私に足りなかったのは何が何でも原稿を書き上げてやるという意志だったのかもしれない。大事なのは最初から上手く書くことではなく、下手くそでもいいからとにかく完成させること。そこから全てが始まる、と梟さんは私に教えてくれたのだ。そういうことにしておこう。

 原稿を書き上げ投稿サイトにアップすると、私はすぐに眠ってしまった。初めて小説を書くという行為に加え、時間だけでいえば8時間は机に座っていたのだ。諦めずによく頑張ったと自分を抱きしめてあげたい気分だ。

 目を覚ますと部屋の中にいるのは私だけだった。梟の痕跡は羽根の一枚も残ってはおらず、昨夜の出来事がまるで嘘のようだ。よくよく考えれば梟がしゃべるわけがない。やはり私は慣れない執筆作業の疲れからか不思議な夢でも見ていたのではないか。

 そんなことを考えながら昨夜書いた小説を読み直す。内容は行き当たりばったりで辛うじて物語の体裁を保っているにすぎない。しかし、私は書き上げた。私は小説を初めて書き上げたのである。

 この身体に満ちる心地よい疲労と充実感は人生で今まで一度も味わったことがないものだ。私はそれがただただ嬉しい。

 カーソルは最後の行に辿り着く。読み終わる。面白くはない。だが、そこまで悪くもない。

 ここからだ。

 ここから始まるのだ。

「さて」

 作品の確認を終えて満足した私が画面を閉じようとすると、タブがもうひとつ開かれていることに気が付いた。

 画面に映し出されたものを見て苦笑いをする。

『また来るホー』

 立つ梟は跡を濁すらしい。

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