第6話つり橋(6)
あの後、新入生向けのオリエンテーションを終えた俺とピンク髪は、話の続きをするために最寄りの食堂へとやってきた。
ちなみにピンク髪の名前は、如月真きさらぎ まことというらしい。
かなり普通の名前である。
「それで・・何の話してたんだっけ?」
手に持ったコーヒーを一口飲んだ後、口を半開きにして少し間抜けな顔でそんな事を聞いてくる真。
顔が整っているだけに、なかなか残念な表情だ。
「今日の朝、駅前でやってた真の奇行についてだ」
そう言ってから、俺は真と一緒に買った一杯150円のコーヒーを口に含む。
すると、抽出温度が低すぎる時に出てしまうエグみが舌先を刺激した。かろうじて甘みと酸味も感じるが、エグみの奥に隠れてしまっている。
要するに不味い。
なんだこのコーヒーは。
調理栄養学科の近くにある食堂とは思えない。
ふざけているのか?
「ああ、そうだったな。アレは・・って何でキレてんだ?」
食堂に対する怒りが顔に出てしまっていたのか、真は眉をひそめながらそんな疑問を投げてきた。
「いや、このコーヒーの味がひどくてな。たぶんマンデリンとかの苦味が強い豆を使ってるんだと思うんだけど、抽出温度が低すぎるのかエグみしか出てない。こういう豆はもう少し抽出温度を高くしてやって、酸味とエグみを抑えて苦味を上手く出してやらないと駄目なんだよな」
俺は自分の感想をシンプルに伝えた。自分がコーヒーマニアだからか、少し口が乗ってしまったような気がするが、まぁ真も同じ調理栄養学科だ。
言わば調理のプロを目指す者。
共感してくれるだろう。
「そうか?コーヒーなんてこんなもんじゃね?」
が、真は俺の予想を裏切って、首を傾げながらそんな事を言ってきた。
まじかよ。
「いやいや、口に含んだときのエグみがすごいだろ?」
「うーん。俺は味覚が鈍感だからなー、あんまり味の機微がわからないんだよな」
真はのほほんとした様子で、割と重大な欠点を口にした。
「それ、調理のプロを目指す上ではなかなか致命的じゃね?」
「いや、俺は料理人になる気はないぞ」
「え。じゃあ何で調理栄養学科に入ったんだ?」
訳が分からんが?
「将来は実家の農業を継ぐことになっているから、学科は何でも良いんだ。だから講義が少なそうで単位が楽に取れそうなここを選んだって訳だ」
と、何故か少し自慢げにこの学科に入った理由を語る真。
なるほど、たしかに家業を継ぐことが決まっているなら、学科はどこでも良いか。
・・いや、待てよ。
「じゃあ、そもそも何で大学に入ったんだ?」
俺は新たに湧いた疑問を真にぶつけた。
適当な学科に入るくらいなら、大学なんて通う必要ないはずだからな。
俺の質問聞いて、真は口角を上げてキメ顔を作ってきた。
待っていましたと言わんばかりのリアクションだ。
「実は、俺はこの大学に同志を探しに来たんだ」
「同志を?」
ほう。
奇遇だな、俺と同じだ。
「一体何の同志を探してるんだ?」
俺は純文学なら良いなという期待のまなざしを真に向けて、そんな質問をした。
「ふっふっふ。俺は【つり橋効果】が大好きでな!つり橋効果研究会を立ち上げ、同志と共に吊り橋効果の良さを論じるためにこの大学に入ったのだ!」
真は握りこぶしを作って立ち上がると、大声でそんな宣言をした。
その姿はまるで国を背負う大統領のようだ。
・・・
なるほど。
傍目から見たら、俺もこんな風に見えてるのか。
なかなかにやばい奴だな。
ところで、
「つり橋効果ってなんだ?」
俺は最も気になった疑問を真にぶつけた。
「は!?つり橋効果を知らないのか?嘘だろ!?」
俺の質問を聞いた途端、信じられないといった表情でこちらを見てくる真。
え。
そんな有名な現象なのか?
「つり橋効果ってのは、危機的状況に抱いた感情を恋愛感情だと誤認識する現象のことだ。有名な例だと、揺れやすいつり橋を女性と歩いたときに、落下の恐怖からくるドキドキ感を、女性に対する感情だと誤認識してしまうっていうやつがあるな」
「あー、なんか聞いたことあるわ」
薄っすらとだが、思い出した。
明日香が見ていたテレビ番組をちら見した時、恋愛テクニック特集のコーナーで紹介されていた気がする。
ってことはあれか。
「真は恋愛が好きなのか?」
男でも、たまに恋愛好きなやつ居るもんな。
深夜番組でやってるLoveがBornする車の旅とか、三角関係が入り乱れたシェアハウスとか、ああいうのが好きな奴。
「いや違う。恋愛そのものに興味はない。俺が興味あるのはつり橋効果だけだ」
きっぱりとした口調で言い放った真。
その瞳はとても真っ直ぐで、ただ純粋につり橋効果が好きなんだなということが伝わってくる。
決して共感は出来ないが、その訳の分からない精神状態と言うか、歪なメンタルは非常に面白い。
純文学を感じる。
恐らく、朝に真から感じた純文学のほとばしりは、これが源だったのだろう。
「朝の奇行も、つり橋効果に関係があるのか?」
「ああ、そうだ。入学式に向かう道の途中に、一組の男女が歩いていてな。カップルと言うより友達の様な関係に見えたが、何かの拍子にカップルになってもおかしくないくらいの、もどかしい距離感だった。だから、桜吹雪をお見舞いすることで非日常感を演出したり、カエルを投げつけることでドキドキ感を演出したりして、つり橋効果で二人がくっつかないか、実験していたのさ」
俺の質問に、真は熱のこもった声で答えてくれた。その瞳は力強く、志を高く持った人間特有の熱い情熱の滾りを感じる。
やはり、真は逸材かもしれんな。人の感情の動きに興味があって、ついには実験することでそれを検証しようとしている。こんな人間はそうそう居ないし、こんな人間を理解しようとするやつなんて居ないだろう。
誰もがやべぇ奴だと引いてしまうはずだ。
だが、俺にはその気持ちはわかるぞ。
純文学に登場する主人公も、感情の動きが激しい。俺はそれを観察し、理解するのが大好きだ。
真も俺も、根っこは同じなのかもしれない。
俺は純文学を通して感情の動きを観察したくて、真はつり橋効果を通して感情の動きを観察したいのだ。
こうなってくると、真がなんでつり橋効果だけに執着しているのかが知りたいところだな。
「何でつり橋効果が好きになったんだ?」
俺は真のつり橋効果に対する歪な情熱がどこから来ているのかを探るため、一歩踏み込んだ質問をした。
すると、真はコーヒーを飲んで外にある森を見つめ始めた。
遠い目をしている。
昔を思い返しているのかもしれない。
「実はな、」
二分ほどそうしていただろうか、真がついに話し始めた。
「俺には中学生の頃、好きな女の子がいた。愛華という笑顔が似合う可愛い女だった。だが、当時根性がなかった俺は、愛華に気持ちを伝えることが出来ず、悶々とした日々を過ごしていた」
ほう、真は中学生の時は根性無かったのか。
今ではカエルを投げながらカップルを追い回す事が出来る程の鋼メンタルを持っているからな、俄には信じがたいが。
「そんな俺にチャンスが訪れた。俺の中学では、恒例行事として二人一組で近くの山に登るという物があった。その時のクジで、俺と愛華はペアになれたんだ」
運がいいな。
「俺は不意に降ってきたチャンスに歓喜した。そして、山登りの間に思いを伝えようと決意したんだ。しかしいざ当日を迎えてみると、告白はおろか楽しく会話することすらできなかった。緊張して頭が真っ白になってしまったんだ」
思春期真っ盛りの中学生だと、あるあるだよな。
好きな人が隣にいて普段どおりに振る舞える中学生なんて居ないだろう。
「そして悲劇は続く。最初は人の多い山道を進んでいたはずが、気がついたら獣道に入ってしまっていて、周りに人気が無くなってしまった。端的にいうと、軽く遭難しちまったってやつだ。それに気づいた愛華は不安になったのか、泣いてしまってな。俺は自分を責めた。何でよく周りを見ていなかったんだと、なにを頭真っ白になっていたんだと」
これもまた、思春期あるあるなトラブルだな。
「しかし、俺は気持ちを切り替えて、当時持っていた知識をフル活用してこの事態に対処した。迷った段階で下山するのは良くない、山頂を目指せばゴールは一つだし、皆が待っているはず。泣いている愛華にそう言って、励まし、時には肩を貸しながら、全力で山頂を目指した。そして、無事に山頂にたどり着くことができたんだ」
そう言うと、真はぬるくなったコーヒーに手を伸ばし、ゆっくりとそれを口に含んだ。
喉の渇きを潤した真は、再びゆっくりと話始めた。
「俺は生還できたことに大喜びした。愛華も同じだったようで、喜びを分かち合うかのように笑顔で抱き合った。その時、俺はここしかないと思った。思いを伝えるチャンスだと。俺は愛華の目を見てずっと好きだったことを伝えた。すると、愛華はそれに俺の思いに応えてくれた。こうして、俺と愛華は付き合うことになったんだ」
そこまで言うと、真は再びコーヒーを口に含み、深い溜め息を吐いた。
さて、ドラマチックな内容ではあったが、ここまでは普通の恋愛話だ。
真が歪なメンタルを獲得する由来となり得るとは思えない。
「話はこれからだ。山登りから帰った後、二週間ほど付き合っていただろうか。その時俺は浮かれきっていて、愛華と下校するだけで話をするだけで楽しさを感じていた。こんな時間がいつまでも続くと、本気でそう思っていた。だが、そうならなかった。突然、愛華から別れようと言われたんだ」
ほう、急展開だな。
「俺は自分の半身をもがれたような衝撃を受けた。そしてみっともなくも、何故別れたいのかと、俺のどこが悪かったのかと愛華に尋ねた。すると愛華から、遭難を乗り超えた熱で盛り上がってしまっただけで、日常に戻ると俺のことが別に好きでないことに気づいたと、そう言われた」
Oh・・・
なかなか辛い言葉だ。
「俺は落ち込んだ。そして悩んだ。愛華が感じたという訳の分からない気持ちを理解することができず、人間の感情とは何なんだと、そんな哲学的なことまで考えるようになってしまった。数ヶ月もの間、そんな日々を過ごした。が、いつまでたっても愛華の気持ちを理解することができなかった。だがそんなある日、立ち寄ったコンビニの雑誌に書いてあった恋愛特集に、つり橋効果という物が載っていてな。それを読んだ俺は驚いた。愛華が体験したという不思議な感情が、実は有り触れたことで、実験で証明された感情の誤認識であることが分かったんだ」
ほう、なるほど。
ここでつり橋効果と出会ったわけか。
「それからというもの、ショックの反動からなのか俺はつり橋効果にドハマリしてな。女子と一緒に行動する事があれば、自分から危険につっこんでいってつり橋効果でその女子に惚れるという行動を繰り返していた。だがいつの日からか、感情がなれてしまって俺にはつり橋効果が働かなくなっていてな。だから、俺のようにつり橋効果に取り憑かれた奴を探して、今朝みたいな実験をすることで、つり橋効果を研究したいと思ったわけさ・・・まぁ恋愛系サークルは多々あれど、つり橋効果専門のサークルは無かったがな」
そう言うと、真は残っていた冷たいコーヒーを飲みきった。
なるほどね。
真という人間が、少し理解できた気がする。
なぜこれほどつり橋効果に固執するのか、なぜこれほど歪なメンタルをしているのかが分かった。
こいつも俺と同じだ。人間の感情に衝撃を受け、それに振り回された、言わば同志。
「なぁ、真。【純文学同好会】に入らないか?」
気がつくと、俺は真を純文学同好会に誘っていた。
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