第7話初めてのメイド喫茶

時間が飛び、ケイト達はメイド喫茶に来ていた。外装からして、どことなくマニアックな雰囲気を醸し出していた。


「なんか、入りづらいな……」

ケイトはメイドカフェについての話は聞いた事があったが、実際には入った事はなかった。たとえゲームとはいえ、抵抗を感じずにはいられなかった。

だが深呼吸をして覚悟を決めると、店の中に踏み込んだ。


「お帰りなさいませ、ご主人様。お嬢様」

店に入るなり、メイドの姿をしたウエイトレスが出迎えてきた。

入店時にこういう対応をされることは知っていたが、実際に自分がされると途惑うばかりだった。


(お帰りなさいご主人様って……)

普通に生活していればまず言われない言葉だろう。

隣を見れば、沙羅もまた慣れない呼ばれ方にたじろいでいるようだった。


「ご主人様、お嬢様。あちらの席にどうぞ」

メイドはケイトの様子には構わず笑顔で接客を続ける。ケイトはぎくしゃくしながらもかろうじてその後をついて行った。


「では、ご注文がお決まりになりましたらいつでもお呼び下さい」

テーブルに水とおしぼりを置いていき、メイドは去っていった。

それからしばらくし、ようやくケイトは落ち着きを取り戻した。


「やっぱりすごいね、ケイ君。本物のメイドさんみたいだよ」

「……本物のメイドを見た事はないけど、確かに普通じゃないな」

実際のメイドカフェでも、大体が客がご主人様であるという設定で経営されている。ウエイトレスはメイドになりきり、ご奉仕するという形で接客してくるのだ。


その他別料金で決められた時間内でメイドと一緒にゲームをしたり同じ席でお喋りをしたりと、ただの喫茶店ではないようなサービスまで用意されている。ステージにてメイドがなんらかのショーを見せてくれる事もあるのだ。


ふと周りを見れば、全ての席が埋まっていた。所々でメイドとお喋りをしてたりトランプをしている客がいる。

客層は高校生から大学生ぐらいまでの若者が多く、カップルや女性だけのグループもいくつか見受けられた。


(本当に女の子も来るんだな……)

実際、本物のメイドカフェにも女の子だけで来る事は珍しくなかった。男とは違った意味でのメイドへの憧れや、単純に可愛い服が見たいなどが、その理由なのだろう。


「ねえ、ケイ君。注文決まった?」

沙羅がメニューを広げ、尋ねてくる。多少ネーミングや盛りつけに工夫されている物があるが、大体の品物自体は普通の喫茶店と変わりはなかった。


「おれはコーヒーでいいよ。それがこの店の自慢らしいからな。どれほどの物か、確かめてやる」

「じゃあ私はカプチーノにするね。……どうやって注文すればいいのかな?」

テーブルには店員を呼び出すためのボタンはなかった。あるのは紙ナプキンとベルだけだった。


「たぶん、これだろうな」

ケイトはベルを手に取ると、チリンチリンと鳴らした。おそらく屋敷をイメージしているのだろう。

間もなくして一人のメイドが現れた。


「お待たせしましたご主人様。あら」

ケイトを見て驚きの声を上げる。

オーダーを受けに来たのは綾瀬理香だったのだ。


「神山様。来て下さったんですね」

理香はケイトの横に片膝を付きながら、笑顔を浮かべた。

「せっかく無料券をもらったからな。遠慮なく使わせてもらうよ」

「はい、それはもちろんです。それで、ご注文はいかがなされますか?」

「コーヒーとカプチーノを頼む」

「はい。コーヒーとカプチーノですね。それではすぐにお持ちしますので、少々お待ち下さいませ、ご主人様」

理香は清楚な振る舞いで一礼すると、店の奥へと下がっていった。その様子は本当にメイドだと思わせるぐらい、きっちりとしているものだった。


「綾瀬さん、綺麗だね。メイドさんってすごいな。私、尊敬しちゃう」

「ほんと、よく出来てるよ」

理香のキャラクターは礼儀作法のマニュアルビデオとしても使えるのではないかと、ケイトは素直に感心していた。


「私もあんな風になれたらな。せめてメイド服だけでも着てみたいな」

「やめとけ、柄でもない。服だけ着たらただのマニアックなコスプレになるだけだぞ」

ケイトはあきれたように呟いた。

沙羅は照れたように弁解する。


「だって、メイド服すごく可愛いんだもん。あんなに可愛いなら、女の子なら誰だって着てみたいって思うよ」

「自分の趣味を正当化か」

「変な言い方しないでよ。私はただ、可愛い服が着てみたいって思っただけなんだから」

「服が可愛くても中身が伴わなければ見苦しいだけだぞ。お前が着たらメイドのイメージが悪くなる」

「ひどいよケイ君。……そりゃあ、私は別に可愛くないけど、でもそんな風に言わなくてもいいじゃない」

「下手におだててその気にさせて、お前が恥をかかないように正直に言ってやってるんじゃないか。感謝してもらいたいぐらいだな」

「うう……ケイ君の意地悪」

沙羅は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。機嫌を少し損ねたようだった。


(図らずしも好感度ダウンってとこかな)

狙ったわけではないが、その効果は得られたようだった。普段から会話時は相手をけなそうとする心がけが、功を奏したようだった。


(この調子だな)

いつ好感度の変動があるか分からないため、さりげない会話の中でも油断するわけにはいかなかった。相手が喜ぶようなコメントを控える事が大切だった。


「お待たせしましたご主人様」

そこへトレイに注文品を乗せた理香が戻ってきた。すでに濃厚なコーヒーのいい香りが漂ってきている。

理香は優雅な素振りでそれぞれの飲み物をテーブルに並べた。

すかさず沙羅が吸い寄せられるように反応する。


「すごくいい香り。いただきます」

沙羅は並べられた早々、カプチーノに手をつけた。カップが理香の手を離れてから間もなくの事だった。


「うーん、おいしい」

一口飲み、沙羅は幸せそうな笑顔を浮かべる。損ねていた機嫌は直ったようだった。

ケイトはそんな沙羅をぽかんと見つめていた。


「どうしたの、ケイ君?」

視線の意味が分からず、沙羅は首を傾げる。

「いや、あまりにもがっつくように手をつけたものだから……」

見ると理香までもきょとんとしていた。


「あ、ご、ごめんなさい。すごくおいしそうだったから、つい」

沙羅は顔を真っ赤にして俯いてしまう。

そこに取り繕うように理香がフォローを入れた。


「い、いえ、お気になさらないでください。うちのコーヒーは本当に定評がありますから。それにお嬢様にそこまで喜んでいただけたとあれば、私たちとしても光栄です」

「お、お嬢様って……」

お嬢様と呼ばれる事にまだ慣れないようで、沙羅は別の理由で再び赤くなった。


「ご主人様、コーヒーに砂糖とミルクは入れますか?」

ケイトの前にコーヒーが置かれる。見た目、香り共に確かにおいしそうだった。

「ああ、両方もらうよ」

ブラックで飲んでこそコーヒー本来の味が分かるのだが、缶コーヒー派のケイトにはそこまでのこだわりはなかった。

ケイトがミルクポットを受け取ろうと手を伸ばすと、理香はそれを持ったまま片膝を付いた。


「ではご主人様。ミルクをお入れしますので、いいところでストップと声をかけて下さい」

「え?」

ケイトの様子にお構いなしに、理香はミルクを注ぎだした。予想していなかったサービスに、ケイトは思わずア然とした。


「……あの、ご主人様?」

理香はためらうように声をかけた。その言葉の意味は、すぐに理解出来た。

「あ、ああ、もういいよ。ありがとう」

思わぬ事にストップを言うのを忘れていたため、カップからミルクが溢れそうになっていた。ご主人様に忠実なメイドとはいえ、気を遣って声をかけてくれたのだ。


「では、砂糖もお入れしますね」

気を取り直して理香は砂糖を入れ、かき混ぜてくれた。ケイトの前に出された物は、もはやカフェオレのようになっていた。


「あ、ありがとう。いただきます」

とりあえずケイトはコーヒーを一口飲んだ。

それは口当たりが良く、ほろ苦さと甘さが上手く融合した、缶コーヒーとは比べものにならないほどの美味だった。


「おいしい」

「本当ですか? ありがとうございます。ご主人様に喜んでいただけて光栄です」

理香はケイトのそばに片膝を付いたまま、満面の笑みを浮かべていた。


「ああ、それはいいんだけど……いつまでそうしてるんだ?」

「はい、ここからは私個人のサービスで、この時間は神山様だけのメイドになります。ゲームや占いなど出来ますので、お望みとあればお申し付け下さい」

「おれだけのメイドって……別にそんなもの求めてないけど」

「神山様は、今朝私の事を助けて下さりました。ですから、そのご恩返しがしたいんです。ぜひ、ご奉仕させて下さい」

「そんな大げさな……」

別に助けるつもりなんて全くなかったとケイトは内心で呟いた。

ふと沙羅の方をちらりと見やると、沙羅は複雑そうな表情を浮かべていた。


(そう言えば、沙羅の好感度を下げるためにここに来たんだよな)

ケイトは当初の目的を思い出すと、理香の厚意を利用する事にした。

「お礼ならサービス券だけで十分だったんだけど、あんたがそう言うなら楽しませてもらうよ。沙羅と二人だけじゃ退屈だしな」

「はい、喜んで」

嬉しそうな理香とは反面、沙羅は悲しそうに俯いていた。最後に漏らした皮肉も効いているのだろう。

その後ケイトは沙羅をそっちのけで、理香とオセロを楽しんだ。理香は沙羅を気に掛け三人で出来るゲームを提案していたが、私はいいからと沙羅の方から遠慮したため、二人の会話にすら挟まる事はなかった。


「楽しかったよ。ありがとう」

「こちらこそ、ご主人様と一緒に過ごせて幸せでした」

遊び終え、ケイト達は帰り支度を整えていた。

結果はケイトの圧勝だった。接待としてわざと沙羅が手を抜いていたのかもしれない。


「気が向いたらまた遊びに来るよ。コーヒーごちそうさま」

「はい。行ってらっしゃいませご主人様」

理香に見送られ、ケイト達は店を後にした。



「コーヒー、おいしかったね」

帰り道、どこか元気のない声で沙羅は切り出した。浮かべている笑顔がぎこちなかった。

「ああ、そうだな。あのコーヒーならまた飲みに行ってもいいよ」

それはケイトの正直な感想だった。


「ねえ、またケイ君があそこに行く時は、私も一緒に行っていいかな?」

「一緒に来たって退屈するだけだぞ。おれはメイドと楽しく過ごすからな」

メイドを指名するつもりは全くないが、沙羅の好感度を下げるためあえてそう口にした。


「それでも、ケイ君と一緒なら構わないから」

「一緒って言っても、おれからすればお前なんていてもいなくても同じだけどな」

ケイトの一言に、沙羅は足を止めた。その表情は今にも泣きそうなぐらい沈んでいた。


「……私、お邪魔なのかな? ケイ君のそばにいたら、迷惑なのかな?」

沙羅の声は震えていた。あと一押しで本当に泣き出しそうだった。

「うっ……」

ケイトは狼狽した。芹沢結衣の時は面白半分で泣かせたが、自分のことで泣きそうになってる沙羅を見ると、現実にいる女の子を泣かせてるような錯覚を受け、罪悪感を感じずにはいられなかった。

ゲームのキャラだと頭では分かっていても、一緒にいる時間が多かったためか、少なからず感情移入をしてしまっていた。


「ま、まあ、邪魔とまでは言わねえよ。一緒にいて迷惑だとも思ってねえし。そんなくだらない事言ってないで、さっさと帰るぞ」

ケイトは慌てて沙羅を促すが、沙羅は立ち止まったまま動かなかった。


「ぐっ……何してるんだよ。帰らないんだったら置いてくぞ」

この状況に耐えきれなくなり、ケイトは逃げるように歩き出した。すると少しして沙羅がついてきた。


「あ、待ってよケイ君。置いてかないで」

置いて行かれそうになった事で気持ちが切り替わったのか、沙羅に少し元気が戻ったようだった。ケイトは少しほっとしていた。

(詰めが甘いな、おれも)

自嘲気味に笑い、ケイトは帰路についた。

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