第4話メイド見習いの少女
背筋をぴんと伸ばし、端の方をゆっくり歩いている。不可解なのは、頭に鞄を乗せている事だった。
だが姿勢が安定しているためか、鞄が落ちる様子は全くなかった。
「歩行訓練でもしているのか……?」
単純に考えればそう思うのが普通であろう。
とその時、一匹の犬がケイトたちの横を通り抜けていった。その犬は鞄を頭に乗せている少女の方へと歩いていく。
「まさか……」
ケイトはこの後の展開を瞬時に予想した。案の定、犬は少女のすぐそばで大きく吠えた。
「きゃっ!」
驚いた少女はその拍子に鞄を落としてしまった。端の方を歩いていたため、落ちた場所は運悪く川の中だった。
「大変、どうしましょう」
鞄は川の中の大きな石に引っかかり、流される事は免れた。
しかしそれを拾い上げるためには、川の中に入らなければならなかった。
少女は橋の上から鞄を見つめ、途方に暮れていた。
「あれを取りに行けばヒーローなんだろうな」
おそらくこれはあの少女と格好良く出会うためのイベントなのだろう。
自分が濡れてしまう事も構わず鞄を取りに行き、そんな主人公の男気に相手は惚れてしまう。そういう算段だ。
(甘いな。そんな手に乗るかよ)
ケイトは勝ち誇った気持ちでその少女を無視しようとした。しかし、
「ねえ、ケイ君。あの女の子、助けてあげようよ」
沙羅はケイトの腕を引っ張り、懇願するように言ってきた。
「無茶を言うな。あんなの、取れるわけがないだろう。お前はおれに川に飛び込めとでも言うのか?」
「そうじゃないけど、でもかわいそうだよ」
横から見るその少女の顔は、今にも泣き出しそうだった。
だが余計なキャラとの接触を避けたいケイトは、冷たく言い放った。
「そんなの、おれの知った事じゃない。所詮は赤の他人だ。おれがわざわざずぶ濡れになる義理はない。投げ縄でもあれば話は別だがな」
言い終えて、ケイトは首をかしげた。
(投げ縄?)
そのセリフは自分が意識して言ったものではない。無意識のうちに口走っていたのだ。
「ロープがあればいいんだね。ちょっと待ってて」
ケイトの様子にはお構いなしに、沙羅は周りを見回す。するとすぐそばの道の脇に、いい長さのロープが落ちていた。
「何で都合良くそんな物が落ちてるんだよ!」
思わずケイトはツッコミを入れていた。それに答える者は、その場にはいなかった。
「はい、ケイ君。これで大丈夫だよね?」
沙羅は拾ってきたロープで手際よく投げ縄を作り、ケイトに渡す。ケイトの中にはなぜ沙羅がこんな物をすぐに作れたのかという、新たな疑問が生まれた。
「せっかく用意してもらって悪いけど、こんな物渡されてもおれには……」
言いかけて、ケイトの腕は突如勝手に動き出した。
「えっ、ちょっと!」
ケイトは華麗に投げ縄を振り回し、橋のそばまで駆け出すと川に向かって投げていた。輪っかは見事に鞄を捕らえ、ケイトの腕の中へと引き戻された。
途惑うケイトだったが、記憶の中に自分が投げ縄を得意としていた事が浮かび上がった。
「どんな特技だよ!」
わけの分からない主人公の設定に、ケイトはスクリーン越しの若林に向かって叫んでいた。
「すごい、さすがケイ君だね」
今のケイトの叫びには触れず、沙羅は賞賛の声を上げる。ヒロインに関係ないセリフは、キャラクターたちの耳には入らないようになっているのかもしれない。
「あ、あの、私の鞄拾ってくださって、ありがとうございました」
鞄を落とした少女がケイトのそばに近づき、深々と頭を下げた。姿勢が正しく、どことなく気品の良さを漂わせる少女だった。
「好きで拾ったわけじゃないんだけどな」
ぶっきらぼうに言い、鞄を渡す。
(いや、待てよ)
ケイトは差し出した鞄を引っ込め、それを川に向かって思い切り投げた。バチャンと大きな音を立て、鞄は流されていく。
(これで一気に好感度が下がっただろう)
不敵な笑みを浮かべ、ケイトは少女に向き直った。
しかし、
「私は綾瀬理香(あやせりか)と申します。もしよろしければ、あなたの名前を教えてください」
少女の腕の中には、さっき投げ捨てたはずの鞄が収まっていた。
「そんな馬鹿なっ!」
思わずケイトは叫んでいた。鞄と川を驚愕の目で交互に見やる。少女、理香が持っている鞄は、間違いなくさっき投げ捨てた物だった。
たまらずケイトはゲームの停止ボタンを押した。回線が開くなり、怒りを込めて吐き捨てる。
「どういうことだ若林! 勝手なセリフは言わされる、勝手に腕が動く、あげく投げた物が戻ってくるなんて無茶苦茶にも限度があるだろ!」
すると少ししてから、若林の声が返ってきた。
「落ち着いてください。今のは強制イベントであるため、絶対に避けられないものだったんです。無茶苦茶なのは分かりますけど、むしろ君の取った行動の方が無茶苦茶ですよ」
若林は動じた様子もなく、逆にケイトを非難する。
責められた事により意表をつかれたケイトは、気勢を削がれたように落ち着きを取り戻した。
「おれのどこが無茶苦茶だって?」
「せっかく拾ってあげた鞄をもう一度川に投げ捨てるなんて、あんまりじゃないですか。いくら僕たちでも、そんな特異な行動を取る人がいるなんて考えも付きませんでした」
「しょうがないだろ。そうしないと好感度を下げられないと思ったんだから」
「それなら心配はいりません。先程も言いましたが、今のは強制イベントなんです。どんな事をしても、避ける事は出来ません。無理に避けようとすれば、君が体験したような理不尽な事を招いてでも執行させようとします。そして初日の強制イベントに関しては、自己紹介が目的なので好感度は全く影響しません。今後も強制イベントは発生しますから、その時は素直に流れに身を任せてください」
「だったらいいけど、あと場面が瞬時に変わるのも、やっぱりそういう風に出来てるからなのか?」
「はい。時の流れまで現実と同じにしては、クリアをするのに一ヶ月はかかってしまいます。イベント以外の時間は、ほとんど飛ばされると思って間違いないです」
「分かった。そう言う事なら納得するよ。……ところで一樹はどうしてる?」
最初に回線を開いた時と違い、一樹の乱入はなかった。一樹が騒ぎ出しそうなイベントをいくつか引き起こしているというのに、おとなしくしているのは不自然だった。
「彼ならちゃんと君の様子を一緒に見てますよ。ただ、あまりにも興奮するので椅子に縛り付けさせてもらいましたけど」
さらりと若林は言ってのけた。実は怖い人なのかもしれない。
「そ、そうなんだ。じゃあ、ゲームを続けるとするかな」
顔を引きつらせながら、ケイトは回線を切った。
止まっていた空間が動き出す。ケイトはついさっき理香から名前を聞かれた事を思い出し、何事もなかったかのように答えた。
「神山ケイトだ」
「神山様ですね? では神山様。私、ぜひ神山様にお礼をしたいのですが、あいにく今は何も出来ません。ですので、もしよろしければこれをお受け取りください」
理香は制服のポケットから二枚の券を取り出した。それはメイド喫茶の無料ドリンクサービス券だった。
「……何で君がこんな物を持っているんだ?」
「はい、実は私、そこでアルバイトをさせていただいているのです。私の家は代々メイドをしておりまして、私も将来はメイドを目指していますから修行の一環なんです」
「メイド? またマニアックな設定を……」
高校を舞台としていながらメイドとの日々を送るなんて、普通ある事ではなかった。その手のマニアを狙って強引に作ったキャラクターとしか思えなかった。
おそらくこのキャラと仲が良くなっていけば、そのうちご主人様とか言われるようになるのだろう。相変わらずのゲームである。
「券は二枚ありますから、ぜひそちらの彼女とご一緒に来てください。最近ではカップルで来るお客様も多いんですよ」
「カ、カップルって、私たち、別にそんなんじゃ……」
目を向けられた沙羅は顔を赤くして取り乱す。
理香はきょとんとして尋ねた。
「あの、違うんですか? あまりにも仲が良さそうなので、つい。失礼な事を言って、申し訳ありませんでした」
「いえ、そんな気にしないでください。全然なんとも思っていないですから」
(なるほどな)
理香の様子を見て、強制イベントが好感度に影響しないという事をよく理解した。
この時点では、まだ理香はケイトの事をただの恩人としか見ていないのだろう。
いくら理想を叶えるためのゲームとはいえ、いきなり自分に好意を寄せてくるキャラばかりがいるわけではないのだ。その辺りは、きちんとゲームとしての要素を含んでいた。
ついでに言えば、ここでのイベントは沙羅が主人公への気持ちを隠している事を匂わせる演出もあった。
おそらくはこれからもこういういじらしい素振りが何度も出てきて、最初から想いを寄せていた沙羅を選ぶか、違う女の子を選ぶかという葛藤に悩まされる事になるのだろう。ありがちな展開だった。
「でもいいんですか? 無料券なんてそんな風に気軽に配ったりして。お店が赤字になっちゃうんじゃないですか?」
落ち着きを取り戻した沙羅が、気遣うように言う。
「それなら大丈夫です。うちのお店、結構繁盛しているんですよ。それにサービス券をもらって初めて来たお客様などは、リピーターになってくださる事が多いんです。うちのコーヒーは特においしいですから、一度飲んだらやみつきになっちゃうんですよ」
「いや、目当てはメイドだろ……」
ケイトはぼそりと呟いた。どうやら理香は天然ボケか、物事をいい方にしか考えない純粋な心のキャラのようだった。
(どっちもマニアに受けそうな性格だな)
ケイトはそう結論づけた。
「なにしろ、うちのコーヒーはプロも認めて雑誌に取り上げられたぐらいなんですから」
「って、本当にコーヒーがおいしいのかい!」
思わぬオチに、ケイトはつっこんでいた。
とはいえ、メイドが目当てであるという事も間違いではないだろう。
「ええ。ですからぜひいらして下さい」
理香はケイトの様子には構わず、セリフだけに対応して笑みを浮かべた。相変わらず都合のいいゲームである。
「では、私はそろそろ失礼しますね」
理香はぺこりと一礼し、去っていった。目的地が同じなのだから一緒に行ってもいいようなものなのだが、これも一つの演出なのだろう。
「メイドさんだって。なんだか素敵な人だったね」
沙羅は気楽な感じで言ってくる。
「そうか? おれにはちょっと変わった人にしか見えなかったけど」
「じゃあケイ君は、メイドさんは嫌いなの?」
「ああ、嫌いだ」
もしここで好きと答えれば、理香の好感度が上がりかねない。本人がその場にいなくてもその人を肯定する発言をすれば、間接的にその人の好感度をあげてしまう事は、恋愛シミュレーションゲームにはよくあることなのだ。
「そっか。ああいう人はケイ君のタイプじゃないんだね」
沙羅はどこかほっとしたように呟いた。
(まさか)
ケイトの中に不安が浮かぶ。理香を否定したかわりに、沙羅の好感度が上がってしまったのではないだろうか。
だが沙羅はメイドの事を気に入っているような発言をしている。好きと答えても沙羅の好感度が上がっていた可能性もあった。
(そうだな。このゲームの事だからどっちを選んでも沙羅の好感度は上がっていたんだ。ただその大きさに差があるだけなんだろう)
そう判断すると、ケイトはゲームに意識を戻した。
少し歩くと、またもや目の前の景色が切り替わり、今度は高校の前にいた。門をくぐると、一瞬にして玄関へと移動する。
そこにはクラス名簿が書かれた大きな掲示板があった。
「また同じクラスになれるといいね、ケイ君」
沙羅は無邪気に笑い、自分の名前を探し出した。ケイトもまた、同じように名前を探す。
(って何でこんな面倒な事しなくちゃならないんだ? いくら新学期だからって、このシーンはなくてもいいだろ)
どうせこの後沙羅とクラスが同じになって、沙羅が喜んでくるのだ。そんなのは、教室に入ってからでもいいようなイベントである。
学生生活をリアルに表現するための演出も兼ねているのだろうが、現役高校生のケイトにとってはただ時間の無駄なだけであった。
「あったよケイ君。二年C組、一緒のクラスだよ。またケイ君と同じクラスなんて、嬉しいな」
(やっぱりな)
予想通りの展開に、ケイトは深々と嘆息した。
校舎の中に入ろうと歩き出すと、突如誰かがケイトの肩にぶつかった。
「え?」
いきなり現れた少女に、ケイトは目を丸くする。その少女の気配は、全く感じなかったのだ。嫌な予感がよぎる。
案の定ぶつかった少女は、ケイトに絡んできた。
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