肉はどこだ

flathead

肉はどこだ

——せんぱーい。せんぱーい


 俺を呼ぶ甘い声が聞こえる。ああその声はあまりにも優しく、日頃から俺を軽視している部下とは大違いだ。


——せんぱーい。起きてくださーい。


 ああ、今起きるよ。今日は休日だ。デートでもしようか。その後は……フフフ。


「起きてください」

「……」


 俺が寝ぼけたまま上体を起こすと、仕事場で聞き慣れてしまった声が聞こえてきた。先ほどまでの優しい声と比べるとあまりに無味乾燥な声色。


「あ、おはようございます」

「……望月。なんで俺の家にいる?」


 俺の目は一瞬で冷めた。モーニングコールを務めたのは俺が働く警察署内でも期待の新星とか呼ばれて良い気になってる俺の後輩、望月あずさだった。

 俺は一瞬肝を冷やす。昨日の記憶の曖昧さに気づいたからだ。まさか部下と一夏のアバンチュールを経験してしまったとあってはこちらの面目も立たないし、アバンチュールというより素直に過ちと言ったほうが正解だ。見かけは悪くないんだけどな。見かけだけは。

 しかし、望月はあまりにもビシッとスーツを着こなしていて休日の少しだらけた恋愛模様を想像するには物足りないものがあった。ということは俺は部下と関係を持ったわけではないことがわかる。


「何ってメール見てないんですか?」

「見てると思うか?」

「先輩ってフクロウ飼ってるんですね」

「話を逸らすな」

「これですよ」


 そう言うと望月はカバンから書類を取り出して俺の手元に投げる。


「これ。事件の捜査資料です。お昼になったら現場に行きますよ」

「はぁ? 昨日まで俺は十三連勤だったんだぞ? 久しぶりの休日も許されんのか、この国は」

「それが公僕というものです。さ、朝ごはん食べてください」


 一人暮らしの一室にある机を見ると既に朝飯が準備されていた。


「これ、お前が作ったのか?」

「いいえ、違いますよ? 私がここにいた時は既にありました。昨日作っておいたんじゃないですか?」


 一瞬でもこの女にときめいたのがバカみたいだ。


「いや、俺は作ってない」


 ほとんど家に帰ることがない俺は料理は全くと言っていいほどできない。


「じゃあ、誰でしょうね。昨日彼女でも泊めたんじゃないですか? 書き置きもありますよ」


 望月は机においてあった置き手紙を取って無礼にもちらりと内容を見る。一瞬顔を顰めて俺にその書き置きを渡してくる。その内容は……。


————————————

カズくん

 朝ごはん作っておいたよ。

 また指名してね(ハート)

————————————


 その瞬間、俺は昨日の出来事を思い出した。久しぶりの休日に羽目を外してしまって酔いに酔った俺はデリヘルを呼んだのだ。それも一晩コースで。金のかかる趣味もない俺は女を大金を叩いて買ってしまった訳だ。


 俺はなぜか寒気がした。本当なら暖かい食事と暖かいデリヘル嬢の気持ちに包まれて幸せな朝食を食べるはずであったのに……。


「先輩」


 顔を上げると冷ややかな視線で俺を見る望月がいた。


「気持ち悪いです」


 なぜ、不機嫌な顔で俺を見る! いいじゃないか。俺だって男だ。そういうことをしたい時もあるさ。酔ってたしな。

 そう言いたい気持ちは山々だが声を出す気も起きない。こうして俺は後輩に嫌われていくのだ。そういう定めに違いない。ふむ、冷静になってきた。


「飯食うわ」


 俺はそう言ってベッドから抜け出し、冷蔵庫へ向かう。冷ややかな視線を背中に受けながら。


「パンツくらい履いてくださいよ。みっともない」

「俺の家だ。自由にさせろ」


 デリカシーがないのはもう仕方ない。言われ慣れてるし、気にもならない。


 そうだ。先に福ちゃんに餌をやろう。

 俺は小さな冷蔵庫から飼っているフクロウの福ちゃんの餌を取り出す。フクロウは猛禽類、つまり肉食だ。餌としてはラットやひよこなどが一般的で、何より新鮮な肉が良いと聞いた俺は福ちゃん専用の冷蔵庫まで買ってしまった。流石に鼠は一緒の冷蔵庫に入れたくないしな。

 小さな冷蔵庫には一口大に切った肉が何枚かずつに分けておいてある。俺はそのうちの一つを取り出し、福ちゃんが泊まっているケージを開けて肉を差し出す。


「ほーら。ご飯だぞー」


 いつもならすぐに嘴を突き出し、食べるはずなのに今日は要らないとでも言いたげな目で俺を見る。


「どうしたんだ〜? 福ちゃん。ご飯いらないのか〜?」


 福ちゃんは餌に興味を持たず、そっぽを向いてしまった。どうしたのだろう?


「昨日たくさんあげ過ぎたか?」


 デリヘル嬢に良いところを見せるために何回も餌をやったからな。はい。この話は終わり。


 さて次は俺の餌だ。

 そして俺が飲み物を取り出そうと大きな冷蔵庫を開けた時、唐突に事件は起きた。


「あぁーーーー!」


 突然の俺の大声にびっくりしたのか望月がガタンと何か音を立てる。いや、そんなことはどうでもいい。これはどういうことだ!?


「俺の……俺のシャトーブリアンがない!!!」


 シャトーブリアン。それは肉の王。牛肉の中でも一番高い部位。それは牛一頭につき約六百グラムしかとれず、相場として百五十グラムで一万円超という一般市民には手を出せない幻の代物だ。

 俺は昨日、その最高級品の肉を酔った勢いで買ってしまったのだ。今日の晩飯は大層豪華になるぞと期待しながら眠りについたのも覚えている。

 それが無くなっている。


「せ、先輩? どうしたんですか?」

「……けんだ」

「え?」

「これは大事件だぞ! 望月!」


 俺は望月の方へ向き直る。そして憎悪の気持ちをこれ以上なく込めて望月に問うた。


「おい」

「は、はい」

「お前か? 食ったのは」

「ち、違いますよ! そんなものがあるってことも知りませんでしたし」

「じゃあ、誰が食ったってんだ? お前以外考えられんのか?」


 デリヘル嬢にはシャトーブリアンの存在を教えていない。見つかると間違いなく食べたいと強請るだろうからな。だから冷蔵庫の奥に隠しておいたのだ。……隠すというほど中身は詰まっていないが。


「朝食に使われていないんですか?」


 俺はその一言に反応し素早く、朝食のメニューを見る。

 卵焼き、ベーコン、ブロッコリー。食パン。簡単な食事だ。まさか朝からステーキを焼くほどデリヘル嬢もバカじゃない。


「無いな。ならやっぱり……」

「違いますって」

「証拠を出せ。お前が食っていないっていう証拠を!」

「証拠ですか……」

「そうだよ。無いだろ? ならお前が犯人だ!」


 俺は望月を指差し格好良く決めた。トランクス姿で。


「待ってください」


 俺がベッドの横に置いてあった縄を持った時、望月は冷静にそう言った。


「証拠ならあります」

「ああん?」


 そんなものがどこにあるというのだ。俺は縄を握りしめて望月ににじり寄る。


「フライパンを見てください」


 俺はコンロに置いたままのフライパンを見る。


「あれのどこが証拠なんだ?」

「卵焼きの汚れがついたままです。つまり、私がシャトーブリアンを食べた時間よりもあとに卵焼きを焼かないとこうはなりません」


 ふむ。確かに納得はいく。しかし。


「偽装工作したかもしれないだろ」


 望月がシャトーブリアンを焼いたその後に再び卵焼きを作ったのであれば簡単に偽装できるだろう。卵焼きなんてすぐに作れるからな。


「それに、私はこの家に来たばかりです」

「それを誰が証明できるっていうんだ?」

「大家さんです」

「は?」


 あまりにも早い望月の返しにあっけにとられてしまう。


「だから大家さんです。来る時に会いました」

「……」

「確かめに言ったらどうですか?パンツ一丁で、縄を握りしめて。というかなんで家に縄があるんですか?」

「……」


 ……言えない。流石にそれは恥ずかしすぎる。俺が口ごもっていると望月は何か察してしまったようだ。


「先輩。……ゆうべは おたのしみでしたね」


 冷や汗が出る。望月は先ほどよりも更に冷たい目をしている。その上、弱みを握ったぞとでも言いだしそうな薄気味悪い笑みを浮かべている。

——くそっさっきまでこっちが攻勢だったのに今は俺が責められている。これはなんてプレイだ?


「ま、とりあえず犯人が私では無いことはご理解いただけましたね?」

「ああ、そうだな。……でもそれなら結局誰が……」


 俺が頭を抱えていると突如として携帯電話が音を発した。音からメッセージアプリのものであることがわかる。俺は携帯電話を持ってメッセージを確認する。


—————————————


カズくんへ

昨日は楽しかったよ(*´ω`*)

朝ごはんちゃんと食べてね!

( ‘༥’ )ŧ‹”ŧ‹”


あとフクロウちゃんにもご飯あ

げておいたよ。冷蔵庫の奥にあ

ったお肉!(@ ̄ρ ̄@)

パクパク食べてて、可愛かった

なぁ。また会わせてね!(o‘∀‘o)


—————————————


「……」

「先輩?」

「あんの女ぁ!」

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