とある夫婦の10分間の勝負事 KAC1
ゆうすけ
夫婦が真剣に勝負する休日の夕方
土曜日の午後5時50分。
ある夫婦のマンションのダイニングには、そこはかとない緊張感が漂い始める。
これはその夫婦が毎週末行っている真剣勝負だった。
「そろそろ始めるか」
「いいわよ」
「まずは時間の確認だな」
「17時49分45秒」
「OK。今日の先攻は?」
「じゃあ、私ね」
妻の先攻で勝負が始まった。まずは軽いジャブを放つ妻。
「あなた、先週私の財布から千円抜いて行ったでしょ」
いきなりのハードパンチにうろたえる夫。
「あ、あれは万札しかなくてどうしても小銭が必要だったんで」
「返してくれるよね?」
「も、もちろんさ」
夫の狼狽ぶりを見ると、どうやら気付かれなければそのままにするつもりだったらしい。
「それだけで終わり? じゃ次は俺のターン ……」
「まだよ! 前々から言おうと思ってたんだけどね。あなた、100円玉とか500円玉とか私の財布からこっそり抜いて行くのやめてくれない? 我慢してたけど、さすがに1000円札抜かれたら私が困るから」
「…… 気が付いてた?」
「当たり前じゃない。私をなんだと思ってるの」
「…… ごめんなさい」
「全部分かってるんだから。なんなら言おうか? 月曜日が300円、水曜日が500円 ……」
「…… もういい。俺の負けだ」
「私の1勝ね。次あなたどうぞ」
妻は勝ち誇った。
現在17時53分15秒。
「それじゃ。俺のターンな」
夫は態勢を立て直すべく、うなだれていた姿勢をただし、凛とした声色で妻に告げた。
「おまえ、化粧品変えただろ」
「変えたわよ。それがどうかした?」
妻は平然と夫に言い返す。
ただどこかほんの少しだけ声に動揺が聞き取れる。
夫はそれを見逃さなかった。
「通販で買ったよな」
「…… 買った」
「2万4800円だよな」
「……」
「俺のアカウントで買ったんだろ。誰が払うことになるか分かるよな?」
「…… 悪かったわ。ちょっと急いでいたから、ブラウザそのままの設定で買っちゃったのよ。後で払うつもりだったの!」
「でも、払ってないよな?もらってないぞ、俺は」
「忘れてたの!」
「化粧品変えたのって先月だったよな?」
「払います! 払います! わざとじゃないの! 忘れてたの!」
夫は悠然としてうつむく妻を見下ろした。
「俺の勝ちでいいな」
現在17時56分30秒。
妻は敗北した。
しかし後を振り返っているヒマはない。
「じゃあ次、私ね」
妻の瞳はすぐ輝きを取り戻した。
負けるわけにはいかない。
妻の声にはみなぎる闘志が戻っていた。
「あなた、火曜日帰って来るの遅かったわね。残業だったの?」
「残業して資料作ってた。来週の火曜日重役会議だって言ったじゃないか」
夫は平然と答える。これくらいの攻撃は想定の範囲内だ。
「ふうん」
「もう終わりか? 俺のターンに行っていいのか?」
「ううん、じゃあ、あなたが火曜日の午後6時40分に発信したユキちゃんあてのこのメールは何?『ユキちゃーん、今日会いにお店行ってもいーい♡ 』 とか書いてあるけど?」
夫、あわててスマホを見て該当のメールを探す。
そして送付先を間違えていたのに気が付く。送った先は …… 目の前の妻。
いきなりクリティカルダメージが脳天を直撃する。
(…… まずい )
夫は焦る。
(…… でも、このまま逃げ切れば1勝1敗の引き分けに持ち込める。耐えろ。なんとしても耐えるんだ)
夫の目はうつろになり、冷や汗が流れる。夫は歯を食いしばる。
(…… ふくろうが、ふくろうが鳴くまで耐えるんだ!)
しかし、無情にも妻は追撃の手を緩めなかった。
「ユキちゃんてだれなの?」
「いや、その、ちょっとした知り合いで……」
「お店でもやってるの?」
「あ、ああ、つ、勤めてるっていうか、その……」
「ふうん。うちの旦那さんはどうやらキャバクラでもモテてるみたいね」
「いや、ちょっと上司にどうしてもついて来いって言われて……」
ぽー ぽー ぽー
結婚祝いにもらったふくろうの壁掛け時計の鳴き声。
タイムアップだ。
勝負は終わった。
妻はにっこり笑って、がっくりと打ちひしがれる夫に向かって言った。
「私の勝ちでいいわね」
「…… はい」
「キャバクラで女の子に愛想ふりまくのもほどほどにしなさい!」
「…… はい」
「じゃあ、あなた、よろしくね。私は録画のドラマでも見てよーっと」
妻は軽快に立ち上がると、鼻歌を歌いながら弾むような足取りでリビングに去って行った。
夫は諦めにも似た表情で呟く。
「また、今週も負けた……。5連敗だ……」
夫はエプロンを付けると夫婦の晩御飯の支度を始めた。
メニューはあらかじめハンバーグと決まっていた。
「あ、あなた、ソースはおろしポン酢にしてね!」
「…… おろしポン酢って、大根おろせってか。オニだよ、悪魔だよ」
しかし、敗者のつぶやきは、ソファで優雅にドラマを見ている妻には届かない。
おわり
とある夫婦の10分間の勝負事 KAC1 ゆうすけ @Hasahina214
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