勘次郎の茶碗
時は江戸時代。豪商に成り上がった浅野勘次郎の近頃の趣味は茶器集め。茶を嗜むわけでもないのに掘り出しものの噂を聞きつけては出かけて行き、せっせと買い漁っておりました。
元々は物を見る眼を養おうと始めたのですが、最近では気に入った物は手当たりしだいに持ち帰るので、とうとう保管する場所がなくなる始末。
しかし本人はどこ吹く風、まったく意に介しません。
困った奥様が懇意にしているお寺の住職、伝海和尚に相談したところ、和尚はそれならばと、親しくしていたある男とともに、浅野家を訪問しました。
伝海和尚が、是非その自慢の名器で茶を振る舞ってほしいと申し出ると、勘次郎はさっそく自慢の茶器をずらっと並べます。そして「これはどこどこのだれだれの作で――」と一つ一つ説明し始めたので、和尚は
「この中でそなたが最も価値のある品と思うのはどれじゃ?」
と尋ねました。
すると勘次郎は
「これですな。下総の名匠、結城藍三郎の傑作にござります」
そう言って大振りで見栄えの良い天目茶碗を出してきました。
「なるほど。菊花天目ですな」
和尚が手に取って眺めながら横目で隣を見やると、連れてきた男は一つため息をつきました。
「価値のない粗悪品でござる。ほかのものでお願い致す」
男の言葉にびっくりした勘次郎は、顔を真っ赤にして怒りました。
「和尚のお知り合いとはいえ、聞き捨てなりませんぞ! これは私が苦労して探し、大枚をはたいて頭を下げ、何とか譲り受けたもの。それを粗悪品とは無礼千万!」
その二人に和尚が割って入りました。
「まあまあ勘次郎殿。こ奴もこの類に関してはそれなりに名の通った者でしてな。わけを聞こうではありませんか」
そう言って和尚が男を促すと、彼は天目茶碗を和尚から受け取り、庭へ出て行きました。
大事な茶碗が気が気でない勘次郎の見ている前で、男は打ち水用の桶からひしゃくで水を救い、茶碗に入れます。
「な、何をするか!」
あわてて立ち上がった勘次郎の前で男が茶碗を両手で抱え持つと、茶碗の底から中の水がぽとぽととこぼれ落ちていくのが見えました。
「この器には元々、穴が開いておったのです」
「どういうことですかな⁇」
立ち上がったままの勘次郎に、伝海和尚が言いました。
「その茶碗を作ったのはこ奴じゃよ。若い時分、小金欲しさに自分の失敗作を世に出してしまったことをこれまで悔いておったのじゃ」
「ま、まさかこの方が結城様?」
「いかにも」
男はそう言って部屋の中に戻ると、手拭いでふいた茶碗を勘次郎の前に置きました。
「さて、藍三郎。この茶碗、いかがいたすかの?」
「すでに私の手を離れておりますれば、勘次郎殿にお決めいただきたく」
和尚の言葉にそう答えると。藍三郎は腕組みをし、目をつぶりました。
「では勘次郎殿。そなたはこの茶碗、いかがするかの? 藍三郎はここに来る前、できれば買い戻したいと申しておったがの。もちろんそなたが買うた額で、じゃが」
勘次郎は上を見上げ、少し考えてから答えました。
「申し訳ございません。お返しするわけには参りません。これは私にとっては宝にございます」
「なんですと?」
今度は藍三郎が驚きました。
「私は物の価値がわからぬ人間です。茶器とは茶を飲むためのもの。茶とはお客人をもてなすもの。そういったことが何一つわかっておりませなんだ。見た目、値段、作られた匠のお名前にこそ価値がある物だとばかり思っておりました。よもやこの器が水が漏れするなどとはつゆほども疑いませんでした。目が曇っていたとしか言いようがない。結城様のおっしゃる通り、この茶碗は粗悪品でしょう」
「ならばなぜ?」
「確かに茶器としては粗悪品やもしれませぬ。しかしこれに若かりし頃の結城様の情熱を感じたのもまた、事実でございます。これを粗悪品と知って売るということは当時、よほどお困りだったのでは?」
「…………」
「私も若い頃は苦労しましたので。その上でそれはそれ、これはこれで、良い物だと思いますれば」
その後勘次郎は茶器の収集をすっぱりと辞め、他の茶器を全て処分すると、初心に立ち返ってまじめに商売に励み、浅野家をますます盛り立てたそうです。そして藍三郎の菊花天目は家宝として、今でも浅野家で大事にされています。
※ちなみに山口県の萩焼は元々粗く焼かれているので、漏れることが多いそうです。茶を飲むことで茶渋が詰まり、漏れなくなるのだとか?
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