最終話 瞳に映る、煌く星の輝き
「お迎えが遅ぐなって、ごめんねぇ」
北海道初山別村。札幌よりはるか北に位置する村に、星乃は向かっていた。既に日は落ち、辺りは暗くなり始めていた。
「いえ、大丈夫です……」
星乃は疲れた笑顔を農家夫婦に向ける。彼女は上下ジャージ姿にすっぴんで、老夫婦の車の後部座席に座っていた。
「ワシらにとっちゃ、有り難い話だよ。隣の内田さんとごの息子も、南さんが来るってんで、札幌行がずに、こごに残るって言ってんだぁ」
「アンタ、星乃ちゃんは……」
老婆は夫の肩をつついた。
「あー、んだな! ごめんごめん、まあ、ゆっぐりな! そのうぢ治るべ!」
運転しながら、老人はバックミラー越しに、困った様な笑顔を見せた。
「……ありがとう、ございます」
星乃は田上に勝利した後すぐに、多額の報酬を受け取った。しかし、それは田上の娘の手術代にあてるはずの金。それを返す事で、星乃は闇の世界から足を洗った。
北竜会はポーカーキングを始末できたからか、あっさりと星乃を解放してくれた。
数多の欲望を乗せて暗躍した闇のカジノは、あまりにも悪目立ちしていた。そのため、北竜会は麗華をオーナーにした時点で、早々に闇賭博場を閉鎖する事を彼女に告げていた。
そうなれば田上の収入は途絶え、娘の手術は難しくなる。あの勝負は、田上の娘を救う……苦肉の策だった。
ところが田上の娘は、2人で海に行った日の一週間前に、その幼い命を散らしていたらしい。
田上はその事を何も言わなかったが、彼がタバコを吸い始めたのは、気を遣う相手がいなくなったからだろう。
ではなぜ、彼はその後も闇賭博場に足を運んでいたのだろうか。今となっては、田上の真意は分からなくなってしまった。
もう二度と、彼と話す事は出来ないのだから。
田上はあの日、北里に連れられて行った。星乃はそれを止められなかった。
愛する人を、殺した。
その後、星乃は田上に言われた通り、真っ当な仕事を求めて札幌のコンビニで働いた。
20代の男性客。
「56番のタバコ1つ」
「はい。480円です」
張り付いた様な笑顔で、星乃は接客する。
500円玉が差し出された。
「20円のお返し、で……す……」
男性客の手に触れた瞬間、指先に違和感。
「うわっ!」
男性客の驚いた顔が歪み……真矢の顔になる。
「怯えたままでいいから……」
真矢の笑顔。
頭痛。吐き気。目眩。
星乃は倒れた。
星乃は、男に触れられない体質になってしまっていた。
星乃を襲った男。
〝麗華〟を作った真矢。
路地裏で襲ってきた男。
北竜会幹部。
言い寄ってきた男達……
自分が、殺した男。
〝麗華〟の仮面が剥がれたせいなのか、それとも自分に課した罰なのか。星乃は男に触れると、全身にひどい蕁麻疹が出る様になっていた。
アルバイトは退職。その後は当然、どの職場でも、うまくいかなかった。
そして、星乃は田舎にやってきた。
農家なら、人に触れる機会も少ないと考えた。事情も話して、それでも雇ってもらえた。
「ちょっと休憩してくべ」
そこは、道の駅だった。明かりのない空には、満点の星空。
「ここにゃ天文台があるんだ。今日はそんなに客も居ないから、見ておいで」
老夫婦は優しく微笑んだ。
星乃が天文台に着くと、先客がいた。
先客には男女連れが多く、星乃は万が一を考え、近づくのをやめる。
表の公園はキャンプ場になっていて、テントがいくつか設営されていた。
海沿いにも観光客。輝く星々を眺める、男と女。
星乃はあの日、田上と見た星空を思い出す。
二人で見た星空。
本当に好きになった人を諦め、愛した人の娘を愛すると決めた、冬の夜。
今は夏。あの時とは違う星空が、空に輝いている。
この輝きを一緒に眺めてくれる人は、もういない。
涙が流れそうになるが、顔を上げてなんとか堪えた。
星が煌いている。
「優さん、どこかのお星様になってるといいな……」
その後、星乃はうろうろと天文台の周辺を彷徨うが、男のいない場所は無かった。
諦めて引き返そうと踵を返したその時。
誰かにぶつかった。
「あっ……すいません」
「こちらこそ……申し訳ありません。最近目が見えなくなって。慣れないものですから……」
蕁麻疹は、出なかった。
「あ……」
星乃は相手の顔を見上げる。そこにあったのは、
──瞳に映る、煌く星の輝き。
それは、女が探し求めた、自分の本当の姿。
それは、男が守ろうとした、最後の星の煌き。
盲いた彼のダークブラウンの瞳の中に、その輝きがキラキラと映り込んでいた。
「瞳に映る、煌く星の輝き」 完
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