20 夜のとばりの真ん中で
俺は地下牢の中にいた。手を伸ばせばやっと届くくらいの高さに明り取りの小窓がある。こちらも厳重に鉄格子がはめられていて、その細工が最初に通された客間と似ていたから、アンダンの家に地下牢まであることがわかった。
村人にかけられた猿轡と手縄は簡単に外れた。元々指先さえ動かせれば魔術をつかえる俺にとっては造作もないことだった。
アンダンの家から出た時のように、空間を歪めて外に出ることも考えたが、リウイがどこに居るかわからない。人質に取られている可能性まである以上、それも危険だと思った。たぶん、あいつは危険を察知して先に逃げることはできない。
これから同じように地下牢に連れてこられるかもしれないし、そうなったときに俺の姿がなかったら、アンダンの怒りがどこに向かうかは想像に難くない。
それに。俺は胸中で付け足した。
先ほど、酷く殴られたおかげで頭が痛む。これでは、完璧な魔術を行使できそうになかった。
壁を吹っ飛ばすだとか、風を起こすだとか、火を使う……なんていう魔術は、割合完璧を求められない。
完璧でなくても、起こる結果はさして変わらないからだ。
ゴミを爆発させて処理しようとしたら思ったより威力があって校舎が吹っ飛んだとか、突風のつもりがそよ風だったとかその程度で、命と命のやりとりである戦場でもないかぎり、そこに大した違いはない。
いや、戦場であっても「効果が大きい分には特に問題はない」のだ。
敵を適度に殺してしまうか、何も残らないほど粉々にするかの差でしかない。
けれど俺が先ほどアンダンの家から抜け出すために使った、空間変異は違う。
空間を曲げる大きさが大きすぎれば、町ごと別の空間に吸い込まれてしまう可能性があるし、小さすぎれば変異した空間に入りきれなかった末端の手足がちぎれ飛ぶかもしれない。変異した空間から戻れなければ、空間の狭間をさまよう羽目になるだろう。
どちらにせよ、集中できない状況でやるべき魔術ではないことは確かだった。
(そーいや、学校から突然消えた魔術師もいたな。同級生で同じクラスだった・・・まさかな)
考えを巡らせていると、どうでもいいことまで浮かんでくる。
それくらい、今の俺にはやることがなかったし、やれることもなかった。
明かり取りの窓が陰る。雲が出たのか、誰かのぞき込んでいるのか、それができればリウイであればいいが。
なんて考えながら顔をあげると、闇色の羽根の鴉と目があった。
「おいで」
俺が声をかけると、闇色の鴉は鉄格子なんて存在しないかのように、すり抜けて腕にとまった。これは、普段は離れて暮らしている協力者の使う、使者だった。
「その様子ならユエもアッシュも元気そうだな」
鴉の頭を軽く撫でてやる。俺は指先を鴉の額に近づけた。鴉は軽く目を細めている。
「直接繋げようか。どうせここには誰も来ない。魔術文字をかく時間なら売るほどあるさ」
光をまとった指先を、鴉の額に滑らせる。人間の文字とは違う、魔術のための文字が、鴉の額や体を包んでいく。
バグを倒したときのように、単純な文字ではいけない。単純な文字は単純な効果しか表さない。
鴉を媒体にして、遠く離れた他人と会話しようなどと考えたら、どれくらいの文字を、魔術のプログラムを、この鴉に書き込まなければいけないのだろう。
魔術文字の研究や解読をすすめる学者が、辞書と照らし合わせて読むような複雑な文字。それをスカイは苦もなく書き進める。
習ったわけではない、スカイにはその素養があった……としか言いようがないのだと師匠は言っていた。
それは、闇色の鴉が、真っ白な鳥にすら見えるほどの長い時間。
明かり取りの窓の上にあった夕日が、名残惜しそうに地平線の向こうに姿を消し、月が夜の帳をつれて出てきたころに、やっと完成した。
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