エルドラゴニアSIDE-B 魂の台帳
遊眞
Case1.円居藤也
第一話 シュレディンガーの社員証
「えっとですね。一回ノートの裏のバッテリー外して起動ボタン長押ししてください。それで放電できますんで。いやコードも抜いて。いや点かないです。点かなくていいんです、はい」
その日から。
もう一週間が経つというのに、今日も朝から怒涛のような電話とメールの応対で、昼の休憩もまともに取れない有様だった。
ただ連絡のほとんどは緊急ではあるがクレームというものでもなく、むしろ先方のほとんどは「ごめんねぇこんな忙しい時に。こっちも参っちゃってさあ」といった調子で拝み倒すような依頼ばかりなのである。
なにせこんな異常事態に巻き込まれているのはウチの会社だけではないわけで、関東一円のITやネットワーク関連、電子機器関連の取扱会社は、まだ。
三月六日の異常気象の余波が拭えていない。
翌日の気象庁の発表では急激な積乱雲の発達によるガストフロントがどうとか熱界雷がどうとか意味のわからない、厨二病を多分に刺激しそうな用語が頻出した。それにまたぞろネットが「カッケー!」と野鳥のような鳴き声で食らいついて、SNS界隈では「
「ホンット勘弁してほしい」
朝から途切れなく鳴る会社のスマホを机のフェイスタオルにぺいっと投げて、そのまま左手でMacBookの三十ぐらいタブの重なったブラウザをCommand + Qでぱんっと閉じる。
一段落した。というか少しは調べてほしいと思う。メーカーのサポートもてんやわんやで繋がらないのは分かってはいるのだが「それはウチに聞いてもわかんないよね?」って電話が多すぎる。いや違う。「それはウチに聞かなくてもわかるよね?」って内容の方が圧倒的に多い。再起動の仕方とか。無理かそれすら。つい口に出る。
「無理かなあ」
「なにが無理なんだ
「あ、いや、こっちのことです」
医療機器販売代理店「株式会社メディックワーズ」営業部の
そもそも同じ営業部であるのに藤也は加世田の業務内容を知らない。デスクも一人だけ窓際に離れて日がな一日ノーパソを見ながらぼおっとしているのでいわゆるソレな人事を受けた人なのかと思いきや、時折ちょろっと幹部から呼ばれて出かけていったりもするのだ。
そして業者関係のお偉いさんからも、たまにちょこちょこと「章ちゃんいる?」なんてフランクな呼び方で電話が掛かってくる。
還暦前で章ちゃんってなんだよとか思いながら電話を繋ぐのだが、察するに。どうも昔はバリバリの営業マンで、その頃の人脈を財産に今はご意見番的な立場で居座ってんだろうなあ、というのが藤也の想像の落とし所だった。
実際、今の会話もちょっとだけ「気になりますかあ?」と含みを持たせたつもりの返事だったのだが、当の加世田は、
「そうか」
とひとこと言ってパソコンの画面に目を戻しただけである。関係ないんですねそうなんですね午後三時過ぎてんのに自分まだ昼飯も食ってないんですけど関係ないんですねとさも言いたげなため息をついて藤也が投げたスマホをまた手に取って連絡先を探す。朝から繋がらないメーカーにダメ元でもう一回掛けてみようとした、その時。
ぽるるると加世田のデスクの子機が、珍しく鳴った。
「はい。加世田。どうした……警察?」
藤也のスマホを弄る手が止まった。ひとことふたこと話した加世田が最後に「今行く」と言って電話を切り立ち上がったので、不謹慎にワクワクして軽く声をかける。
「どうかしましたか?」
「いや」
どんだけコミュ障なんだこのおっさんと呆れる藤也には構わず加世田は部屋を出て行ってしまった。今日は他の営業も出払って部屋には二人しかいなかったので、一人になった藤也はへえっと息を吐いて。しばし天井を見て。
「ほか弁買ってこよ」
と独りごちて、席を立ったのだ。
————
「それが飛行機にはひとつも落雷しなかったんだってよありえないんだって。奇跡的な確率らしいぜ」
「へー。じゃ飛んだんでふか。ほんで田坂先生も乗ってたんでふか?」
「そうそう札幌からの学会の帰りでさ。最終便でさ。窓から見てたんだって。もうね、もう一生忘れられないって。生きた心地しなかったってさ」
藤也が唐揚げ弁当を机でもりもりと食べている時に帰ってきたのは二期上の飯島である。こちらもクライアント対応で一日中社用車で走り回ってヘトヘトの
確かに一週間前のあの落雷は、おかしな話が多い。ネットのまとめサイトでも「雷まで俺を避けて落ちるんですけどそれは」とか「三六轟雷って某国の気象兵器じゃね?」とかオカルティックな記事がいくつもアップされている。
とにかく人を避けて落ちたというツイートが異常に溢れて騒ぎになったのを藤也も覚えている。だったら電子機器にも迷惑かけないで欲しいんだけどと思ったところで、加世田が部屋に戻ってきた。
振り向いた飯島が挨拶する。
「あ。おつかれさまっす」
「お疲れさん。田坂先生のところはレントゲン見れたのか?」
「はい。年度末前だからクラウド入れたんですよねあそこ。ただ新人がクラウドの意味を解ってなくて大騒ぎしてただけっすよ。問題なかったです」
「そうか。手間だったな。日報あげとけよ」
「了解でっす……なんすかそれ?」
飯島の質問に、藤也も顔を上げて加世田を見る。右手に持っているのはメディックワーズの社員証——だが、なにか焼けて半分ほど焦げているようである。加世田の出がけに掛かってきた電話の件を思い出して、興味津々に藤也が尋ねる。
「なんか事故でもあったんです?」
「いや、拾得物だ。そこの二丁目の歩道橋のとこでな」
「わざわざ社員証を、ですか?」
「まあ普通なら届けたりはしないんだろうが。ちょっと、な……最近、特に事故った社員とか、いなかったよな?」
「ええ。なんも聞いてないですね。てか名前書いてないんですか?」
当然のことを飯島が聞いたのに黙って加世田が現物を差し出す。受け取った飯島が「げっ」と呻いた。横から藤也も覗き込む。
ぞっと。鳥肌が立った。
焼け焦げているのは正確に、顔写真と名前、そしてICカードの部分なのだ。だから誰の社員証なのか、見た目にまったくわからない。
「交番に届いたのは今日の午後二時頃だそうだ。拾った人間も、受け取った警官も、何か事件性があるんじゃないかと気になったんだろうな」
「確かにこれ、なんか薄気味悪いですね……」
「まあ特段変わったことは起きてませんとは話しといたが。それと、ああ、円居はMacBookだったな」
「え? ええ、そうですが」
「これ開けられるか?」
そう言って加世田がポケットから取り出したのは、小さなUSBのフラッシュメモリである。確か去年の開業十周年で社員に配られた特注の、会社名が名入れされたメモリであった。これも表面のプラスチックがやや溶けている。
「うえ、焼けてますよこれ。開くかなあ? いいですか?」
返事の代わりに加世田がメモリを差し出す。それを受け取りデスクに戻って、弁当ガラを横にやった藤也がMacBookのスロットに差すとデスクトップに「Untitled」のHDフォルダが現れた。
「あ、いけそうですね……げえええ、なにコレ?」
声をあげた藤也の肩越しに飯島と加世田も覗き込むと、フォルダ内部に残っていた数点のファイル名は全て文字化けを起こしていた。拡張子も
「テキストで開けてみろ、一番でかいファイルでいい」
「はい、これかなあ」
後ろから加世田に言われて藤也が2Mbほどのデータをデスクトップにコピーしてエディタで開く。ずらずらっと内部データが画面に現れた。一行目に「[Content_Types].xml」の文字があり、十数行下には「ppt/_rels/presentation.xml.rels」の文字があった。
「これ多分パワポですね。拡張子つけます?」
「頼む」
ファイルの名称に拡張子を付け直すと、アイコンはPowerPointのそれに変化した。藤也がダブルクリックすると果たして問題なくスライドが開く。
それは特に変哲も無いプレゼン資料で、最初のページにはタイトルと脇にサブタイが記されている。
医療法人綾西会 様
——DICOM画像 レセコン統合システム
「メディカル・ターフ」導入のご案内——
3・7FMMTG資料
株式会社メディックワーズ
「
飯島が首をひねった。藤也も覚えがない。噂には聞いたことがある。
西綾谷総合病院はかなり業者に対しては無理難題を押し付けることで有名で、ただ結構大口の仕事が舞い込むこともあるので背に腹は変えられず買い叩きのリスク覚悟で営業をかける猛者もおり、業界では「西綾谷は毒まんじゅう」と揶揄されていた。
幸いなことにメディックワーズはそこまで売上が低迷しているわけでもないので、あまりリスクの高いクライアントには飛びつかずに済んでいるのだが、だとすればこのプレゼン資料の意味がわからない。
総合病院で診療画像ビューワとレセコンの医科用統合システムの導入となれば、ソフトハード含めて下手したら一千万円越えの案件になる。毒まんじゅう相手にそんなプレゼンが進行中であるなら、同じ営業部の飯島や藤也の耳に入っていないのは、どう考えてもおかしい。というよりも。こんな内部情報を誰かがUSBで外に持ち出したのだろうか?
もう一度、加世田が二人に聞き直す。
「この案件に、覚えがないんだな?」
「はい」「ないですねえ」
「そうか。円居、あとのファイルも復元できそうなら、やっといてくれ」
「わかりました……それで、このUSBも一緒に落ちてたんですか?」
藤也の問いに加世田が黙り、そして珍しく笑う。
「えぇ、なんですかその笑顔。気持ち悪いなあ」
「すまん。社員証と一緒に落ちてたんだ。というか、歩道に二つ重なって落ちていたらしい。どう思う?」
「え? だってこれ焦げてますよ?」
横から飯島が口を挟んだ。
「焦げてるな」
「三六轟雷の時に落としたってですか?」
「一週間前の深夜だな、雷は」
「それは無いっしょ。歩道に落ちた社員証とUSBが、一週間重なって歩道に落ちたままってことですか? おかしくないっすか?」
「おお? なんか探偵みたいですね飯島さん」
「えっそお? ナニ言ってんだよ照れるじゃん今度メシおごってやるよ。で。それっておかしくないっすか?」
びしいっ。とポーズを決めて飯島が言い直すのに加世田が答える。
「まあそこは置いといてだ」
「えええ振っといてそれはないそれはないっすよ加世田さん」
「日報書け」「ういっすー」
「……いや、だって落雷で焦げたんじゃないでしょ、いくらなんでも」
藤也が画面を見ながら言う。むしろそちらが気にかかる部分である。プラスチックが焼けるような高電圧などかかったら、フラッシュメモリの内部基盤など簡単に飛んでしまうはずなのだ。加世田も頷いて答えた。
「そのはずなんだがな」
「じゃあ3・6は関係なくって、ただ何かの拍子で焼けちゃった社員証とメモリが一緒に落ちた、とか。ポケットから。それなら昨日今日の話でもおかしくないんじゃないでしょうか?」
「それがなあ」
加世田がぼりぼりと髪を掻く。なにか歯切れが悪い。
「……どうかしたんですか?」
「雷かどうかはともかくだ。見てるんだよ。拾った人間が」
「は?」
「七日の昼にも、落ちてたのを見てるんだよ。その時は無視したらしい。で、今日また同じ場所を通ったら、変わらずそこに落ちてたので、気になって拾ったんだと」
「……え? じゃあ飯島さんが言った通りのことなんですか?」
「え? え? 円居ちゃんオレわかんないドユコト?」
「だから。雷の次の日に焼けた社員証とメモリが重なって落ちてて、一週間そのままの状態で歩道に落ちてたってことですよね?」
「えええ? だからそれはおかしいって。ないって。」
「もっとあり得ないことが、あるぞ」
「……まだなんかあるんですか?」
「事務の
「……見てない、って言うんですか? まさか」
「落ちてたら気付くって言ってる。そりゃそうだよな。ウチの社員証だ」
「社員証が落ちてたり落ちてなかったりするんですか?」
呆れ顔の藤也に、加世田が肩をすくめた。
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