名もなき力をもつワレラ
adtoigr
第1話 気づき
思い返せば力に気づくはずの場面は幼い頃から何度もあった。ただ、それには全て、「確証」が伴っていなかった。
例えば。ちょっとした霊感のようなことや助けてくれる存在がいる事を悟ること。いくら人知を超えた存在を感じても、『実際に見えるわけでもなく、他人が感じるわけでもない』ならば誰でも出まかしを言えるということだ。そうなると、誰でも「気のせい」にする。いやでも、そうしてしまう。
学校に通っていても、おかしなことはよく起こった。席替えのクジで毎回なりたい場所を引いたり、教室に入ってきた虫に念を送って嫌いな奴のとこに動かしたり。できると思ってやっていたなら、力はその時からあったことになる。でも俺はただ、「ドラゴンボールを読んだ子供が『かめはめ波』を撃てるような気になって練習する」みたいな気持ちでそれをやっていた。いや、試していた。ただ、念じた。もし『かめはめ波』を一度でも撃てたなら家が破壊され、「かめはめ波を撃った証拠」が都合よく出来るのだが、
俺が、席替えで「俺がなりたかった席」を引き当てようが、誰も「俺がなりたかった席」を毎回事前に知るわけじゃないし、「嫌いな奴」なんか友達にわざわざ言うタイプでもなければ、ましてや「クモに念を送る頭おかしい奴」とも思われたくないから絶対言わない。そうなると力の「証拠」は一つもない。そうすると誰でも、それを「偶然」にする。いや、するしかなくなるのだ。経験上。
あとひとつ。力の兆候としての才能の種類。俺は絵を描くことや楽器を弾くことが物心ついた時から好きだった。自分の中を表現するようなもの。運動会の出し物のダンスは習ってもいないのに誰よりもうまく踊った。水泳を習っていたのだが、水の中の静けさみたいなものに、何か心がくすぐったくなる幸せを感じることがあった。ただ「自分を表現するのが得意な人」といえばそれまでだが、「そう言う人間」がみな、名のない力をみんなより多く働かせている(無意識のうちに)人間だとすれば。これも当たり前に「確証」はない。
けれど、この全てに「確かな感覚」を覚えていた。人間であるあなたにはそれを踏まえた上で聞いてほしい。(なぜかというとこれを読んだあなたにも何かを感じてほしいからだ。たとえその感覚に「確証」が伴わなくとも。なぜならその力こそは、俺にあった力は、「感覚」そのものだったからだ。(もちろん他にもあるが、一番強かったものが)
とうとう俺は19才にして自分の力の「確証」に出会った。
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