使命
ぱらりや
使者
空虚な空に見えた。
痣を触りながらボロボロの服を羽織って、地面に散らかった下着を着けずに空を仰げば、誰だって空虚に見えるのだけれど。
心は既に麻痺したのか、不思議だな、昨日よりも落ち着いていられる。
「……ず…」
日の当たらない路地裏は寒く、私は鼻をすする。
下半身の痛みは増すばかりだけれど、それだけだった。痛みは痛みであり、体は体なのだ。そして心も心だ。
この場から立ち上がって家に帰ればいいものを、私はどうして居座るのか。
おかしいじゃないか。心も体も麻痺していくのに家に帰らないなんて。
きっと『何か』が私の中で訴えかけている……のではないだろうか。何かをここでしなければ後悔するぞ! みたいな。
そう思うと同時、空の彼方から小さな点が見え、時間が流れると共に大きくなる。
そしていつの間にか白銀の羽根が私の前をひらりひらり落ちていくのに気を取られていると、目の前の地面にフクロウが立っていた。
フクロウは私を見る。まるで天の使いのような気配を漂わせて。
今の私は弱かった。普段なら無視したそれに反応して、口を開いてしまう。
「……ギリシャ神話の女神アテナはフクロウを使いにしていると聞いたよ。ねぇ、あなた。もしかしてアテナ様の使いなの……?」
フクロウは不自然に口を開けた。
「やぁ、エリカちゃん。エリカの花言葉に負けない孤独なエリカちゃんにアテナ神からの使いとして僕が来てあげたよ」
まさかと私は内心驚く。神様も少しは信じれば、こうして目にすることが出来るのだ。
私は怖くなりながらも、フクロウさんに話しかけ続ける。
「あの……フクロウさん。どうして私の所に来たんですか……?」
「決まってるじゃないか。恋する乙女でもない小娘のレイプなんて見て誰が悦ぶのさ。せめて大好きな彼氏に処女を捧げる乙女を徹底的にいたぶってくれないとオカズにならないよ」
ひどい言い方。けれど、私はそういう知識をクラスメートの男子達の会話から聞いたことがあるので、このフクロウさんの言うことが少し理解できる。
「だからこの僕が、エリカちゃんのレイプ劇場を盛り上げてあげるよ。幸いエリカちゃんは誰もが羨む美少女、食わずにいられない妖艶な少女だから、映えると思うよ」
「そんな……、私は自分を可愛いなんて思ったことないよ……」
「周りがエリカちゃんをそう言ってたじゃないか。周りの言うことが君の存在を固定させるんだ。意志の弱い君の言葉なんて、大して効果はないね」
フクロウさんはそれから数秒天を仰ぐと、私の目を見た。
「エリカちゃんはさっき、僕をアテナ神の使いだと当てたね。だったらさ、僕が使いとして君に何を授けるか、当ててみなよ」
「えっと……なんだろう」
私はここでアテナ様がどういう神か思い出す。
レイプをされたのなら、戦わなくては気が済まない。
「アテナ様は戦いと知恵の女神。フクロウさんは私に戦いと知恵を授けに来たんですね……」
「そうさ。君は僕達を楽しませる為に生きてるんだから、君を助けるのは当然だろ?」
「え……?」
「分からないかな? 人間というのは神の玩具なんだよ。玩具は玩具らしく、僕達を悦ばせてくれよ」
何を言い出すのだと不満に思っても、実際に神の存在を証明されては言い返せない。
私はフクロウさんに従う。神様の使いの言うことが一番正しいのは世の理なのだから。
「まずはさ、君の隣にあるゴミ箱をあさってよ」
私は言われたとおりのことをするため、靴を履いていない靴下だけの足で立ち上がり、ふらふらな足を支えるように壁に手をつきながらゴミ箱の前に立つ。
その蓋を開けると、生物の臭いと汚らわしい中身に吐き気を感じた。
「武器を探すんだ」
フクロウさんの言う武器を探してゴミ箱を倒し、中をあさる。
きっと何かがあるのかと思いきや、ゴミしか見つからない。
「あ、あの、フクロウさん……」
「何をしてるんだい。刃物の武器がその中に入ってるはずがないじゃないか。君は武器になるものを探せばいいんだ」
そう言われると使えそうなものが見つかる。
縄だ。カビが生えているけれど、頑丈そうだし、全力で首を絞めれば誰であっても殺せるだろう。
「やったね。これで君は自由になれる。後はあの男がこの路地裏を再び今夜通るとき、暗闇から絞めれば良いんだ。そうして君はようやく家に帰れるって訳なんだ」
「フクロウさん、ありがとう。私、やっぱり怖いから家に帰ります……。やり返しても逆に絞め殺されかねないし……」
「は? 君は玩具なんだよ。僕は君より偉いんだから、僕の言うことに従わなくちゃならないよね?」
……。
……。
空虚な空。空虚なフクロウ。空虚な会話。
静かな時間が流れている。
「フクロウさん。あなたは私の怒りの象徴なんですね……。どうやら、私の心は完全に麻痺していないようでした……」
「……なんだい、そんな涙を流して」
「ゴミ箱をあさる時点で、私は正気ではなかったんです。……意志は確かに弱いです。弱いですけれど……意志はあります。どんなことをされても、それがこんな、何時間も、か、下半身をいたぶって、ひ、苦しめられたとしても、誰にだって強弱があれ意志があるんです……! 思いがあるんです……! 人間は玩具じゃない……! フクロウさんとはやっぱり違うんです……!」
私の想いは全て言葉に替えられた。だからフクロウさんは私の想いの全てを受け止める。
かわらない表情で聞くフクロウさんは、口……いや、くちばしを開く。
「君さぁ、僕に同情しないでくれる? 僕のことなんかただの妄想にしてさぁ……」
……広がる翼。天に飛ぶ。
フクロウさんはアテナ様の元へ帰って行った。
「ねぇ、君。大丈夫? 寄るとこないなら僕の家で少し休みなよ」
地に跪き、ゴミの上に手を置き、下着も着けず、服は羽織る程度の私に誰かが声を掛ける。
見上げるとそこには同い年くらいの少年が居た。
優しい言葉、優しい雰囲気。
私を安心させる。
「あの……大丈夫です……」
嘘くさくてそう言ってしまうと、少年はポケットから財布を取り出し、中の五千円札を私に渡した。
「じゃあこれあげるから」
「あ、いえ、やっぱり休ませてください……」
使命 ぱらりや @kusabunenotsuki
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