*終焉の予兆-しゅうえんのよちょう-

 ──ベリルは、三食の食事以外は車を走らせた。途中にある街などで給油と買い物をして、少しばかりの休憩をとる。

 その体力に感心するジーンだが、いざフォージュリと対峙した時の体力は残っているのだろうかと心配にもなっていた。

 話し合うつもりでいるようだけれど、これまでの接触で話し合いは不可能であると解っているはずだ。

 施設から逃げたあと、ジーンはずっとベリルを探していた。

 とはいえ、傭兵に引き取られて数年は探し出すすべが解らず、傭兵としてのノウハウを学ぶ事に専念していた。

 十八歳で師から離れ単身、アメリカに飛び民間軍事会社に所属した。ジーンを引き取った傭兵はイタリア人で、ジーンは彼の養子としてイタリア国籍を取得している。

 どういう経緯なのかは不明であるが彼は孤児とみなされ、幾つかの手続きのもと養子となっている。

 とはいえ、フリーの傭兵と民間軍事会社ではほぼ接点がなく、ジーンがベリルにたどり着くことはなかった。

 民間軍事会社はその性質上、国や軍の側に寄っている。

 ジーンが所属する会社は戦闘行為が伴う業務を行う企業ではあったけれど、国が関係する戦闘などには極力、距離を置いているベリルと出会う確率は極めて少ない。

 それでも、どうにか一年前に見つけ出し、それからずっと様子を窺っていた。

 名乗り出るタイミングを計っていたところにフォージュリが現れ、ベリルを守るために出て行くしかなかった。

 感動的な再会と出会いになるはずだったのに、失敗作が邪魔をして全部めちゃくちゃにした。

 大切な父さんオリジナルを殺そうとしているあいつを、僕は絶対に許さない。



 ──深夜、練炭と薪をくべて星空を見上げたベリルは、背後から放たれる強い意識に素早く振り返る。

「勘が良いね」

 振りかざしていたナイフを素早くベリルの腕に滑らせた。

 油断をしていた訳ではなかったが、ジーンの思考は読み取りづらく、判断が鈍り避けきれなかった。

「ジーン」

 押さえた左腕から鮮血が流れる。やはり、この方法を選んだか。

「あいつの相手は僕がするから。父さんは大人しくしててよ」

 ジーンはナイフの切っ先をベリルに向け、滴る血を恍惚と見つめた。

「どうせ邪魔するんでしょ」

 だから、怪我をしてもらうよ。縛るだけじゃあ、すぐに抜け出すでしょ。

「僕があいつを殺そうとすれば、父さんは必ず邪魔をする。だから、少しの間だけ動けないようにするよ」

 足にちょっと傷を付けるだけだから大丈夫だよ。父さんは医師免許を持ってるよね。

「殺し合いをするために行く訳ではない」

「解ってるよ。でも、無駄だって」

 あいつに説得なんて意味無い。こんな茶番、さっさと終わらせたいんだ。

 ベリルを守るためにベリル自身を傷つける。一体、何を守るためなのか、ジーンの行動は支離滅裂とも思えた。

 しかしジーンにとっては、ベリルを失う事のないように、命を狙うフォージュリを殺してベリルを守るというハッキリとした理由がある。

 それは、ベリルがジーンの手によって重い後遺症を背負うかもしれない可能性には触れていない。

 どんな状態であれ、生きてさえいればジーンには満足なのだろう。

「あれ……?」

 体勢を立て直したベリルにふと、怪訝な表情を浮かべた。

「なんで、血が止まってるの」

 そんなに浅くはなかったはずだけど。

「血が止まるの。ちょっと早すぎない?」

「これは──」

 咄嗟の言い訳が出てこない。下手な嘘も通用しないだろう。

「どういうことかな? 隠さないで教えて欲しいな」

 溜息を吐くベリルに近づき、切れた服の隙間から傷口を確認してジーンは目を丸くした。

「うそ」

 たった今、付けた傷が、どこにもない。



†††



「不死だって!?」

 ベリルから聞いた言葉にジーンは二の句が継げない。

 ただでさえ世界に認められない存在であるベリルが、さらに信じられない能力を得ていた。

 唖然と見つめるジーンにベリルは苦笑いを浮かべる。

「二年前──? つい、こないだじゃないか」

 偶然、出会った少女が一度だけ使う事の出来る不死を与える力を持っていて、ベリルの死の淵にやむなく使用した。

「なにそれ」

 なんて馬鹿げた理由なんだ。とても信じられるものじゃない。けれど、現にベリルの傷はあっという間に消えている。

「なんだ。じゃあ、僕が必死で守らなくてもいいんだね」

 ベリルはそれに目を細めた。

「生きる意味を与えてくれ」と言ったジーンから、それを奪う事になるのではと胸が痛む。

「やっぱり父さんは凄いね」

 思ってもいなかった言葉にジーンを見やる。

「まさに、神が創り出した芸術品だ」

 まるで、信じている神が降臨でもしたかのような恍惚な表情を浮かべていた。ベリルは、その顔を知っている。


 ──施設にいたころ国の上層部から送られてくる、年に一度の視察員の中に奇妙な男がいた。

 視察員はいつも同じ人間とは限らなかった。ベリルが六歳のときに訪れた男は、一見して不思議に感じるほどその端々が異様だった。

 灰色の髪と同じ色の瞳に端正な顔立ちの、二十代後半の青年だったと記憶している。その男はキメラを見下す他の視察員とはまるで逆の態度をベリルに見せたのだ。

 自分が付けた名前でベリルを呼び、他の誰に対するものよりも丁寧に接してきた。

 ベルハースがいぶかしげに思いその青年に注意を促すと、彼は語気を荒げて半ば叫ぶように意味不明な言葉をまくしたてた。

 ベリルは目の前で聞いていた訳では無かったが、教授に向ける青年の横顔には狂気が宿っているのではないかと思われるほどぎらついた目をしていた。

「お前たちは本気で、彼を自分たちの成果だと思っているのか!? 馬鹿者どもめ! 彼は、神が創り出した神のための存在だ!」

 目の焦点は合わず、どこを見るでもなく青年は両手を大きく天に広げて語り続けた。

「神がお前たちの手を使い、この世に生み出した神の恋人だ! 彼には執着心が無いと言ったな。それは当然だ! 神はルシフェルで懲りている。それならばいっそ、愛する心など無くせばいい」

 ベルハースはその青年の表情に不安を覚え警備員を呼び寄せた。

「見ているがいい! いつか、神は彼を迎えに来る。貴様たちは用無しだ!」

 狂信的な言葉を叫び続け、警備員の手を振り払い通路の角でじっと無表情に見ていたベリルに気付き駆け寄る。

「見ろ! この美しい瞳を! 神が彼のために与えたエメラルドだ!」

 そう言ってベリルに手を伸ばす。

 寸でのところで青年は警備員に押さえられ、次の年には別の視察員になっていた。

 彼は、私のことをなんと呼んでいたのか。確か、あれはヘブライ語でヨヒ──「私の神」だったろうか。


 ──あの時の、彼の言葉は馬鹿げているとベリルは今もそう考えている。

 神の存在にではなく、己が神に創られたという部分にだ。ベリルはそこまで自分を確たるものであるとは思えなかった。

 そして、許される存在でもない。

 のちの世には人工生命体など、何らおかしくもない時代になっているかもしれない。けれども、現在ではそうはいかない。

 狂信的な信仰は、本当の救いとなっているのだろうか。多くは、自滅を辿っているように思われてならない。

 世界の隅々を知っている訳ではないが、そのほとんどが凄惨な結末を迎えているのを見てきた。

「ジーン」

「何?」

「解ったなら、私を守る必要は無い」

「守るよ」

 目を眇めたベリルにジーンは感情のない目を向ける。

「そうやって、あいつを殺さずにいるのはどうだろうね。あいつが死ぬまで逃げ続けるつもり?」

 そんなの冗談じゃないよ。ジーンは笑みを見せつつ、その瞳に怒りを灯していた。

「そんなの、僕が許さない。僕の時間まであいつに奪われるってことじゃないか」

 折角、こうして父さんと一緒にいられるのに。失敗作なんか、すぐに殺せばいいんだ。

「お前がそのつもりなら、私はお前とはいられない」

 その言葉にジーンは目を見開いた。

「それ、本気で言ってるの?」

「私に従えないのなら、そうする他はない」

 途端にジーンは涙をためて体を震わせる。

「嫌だ。父さんと離れるなんて嫌だよ」

「ならば、私の指示には従う事だ」

「きくから。言うこときくから。僕を、一人にしないで」

 ベリルは泣きながらすがりつくジーンを一瞥し、荒野に目を配る。

 フォージュリを殺す事も、殺さない事も正しく、そして間違っている。どちらの選択が正しいのかは解らない。ただ、時間が欲しかった。

 明日の朝、車を数時間走らせればバリングラに到着する。

 ずっと考えてきた答えは──未だ出てくる事はなかった。

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