*虫はささやく

 ──ベリルは荷物を積み終わると運転席に乗り込む。ジーンは当然のように助手席に腰掛け、シートベルトを締めた。

「なに?」

 いぶかしげに見ているベリルに眉を寄せる。

 解ってはいた事だが長年、共にいるように振る舞われるのもおかしな気分ではある。まあいいかと溜め息を吐き、自分もシートベルトを絞めた。

 ベリルはエンジンをかけ目的地までの道すがら、幼き頃の記憶を思い起こす。

 薄緑の高い塀に囲まれた薄い象牙色の建物──隠れるように、それは森の中にあった。

 軍の訓練施設に併設された、国家機密の遺伝子研究施設は、厳重なセキュリティのもとで運営されていた。

 科学技術を輸出しているアルカヴァリュシア・ルセタには、他にもそういった施設があるため、さして気にも留められることはない。

 しかし、この施設だけは異質であると気付いた者は誰一人、いなかっただろう。

 森の三分の一以上が国の所有地である事には、なんら違和感はない。けれど、この施設のためだけに訓練施設が建てられたことは、限られた関係者以外は知るよしもない事だ。

 ましてや、そのために訓練施設がただの飾りであったことも、のちの悲劇を生んだ要因ともなった。

 それでも敷地内はおろか、立ち入り禁止区域の手前には監視カメラも設置されている。それなのに何故、誰もギリギリまで侵入に気付かなかったのだろう。

 内通者がいたと考えるのが普通だろう。しかし、それを確かめる術はもう無い。

 あの襲撃で、唯一の成功例の姿は確認出来ずデータも全て灰となったため、国は施設を全て取り壊し、跡地には新しい木が植樹されて今ではただの森になっている。

 残されたごくわずかなデータだけが機密情報として国の管理するコンピュータの中に埋もれている。

 地下にクローン研究施設があった事には驚いたが、ジーンの話によると逃げ出す直前にガソリンの臭いがしたらしい。

 もしかすると、フォージュリが何かしらの処置を施したのかもしれない。もちろん、データを奪われないためではないだろう。

 ベリルへの強い執着だけではなく、科学者たちやその空間そのものを嫌悪し、憎んでいたのだとすれば、全てを消し去りたいと考えた行動だと思われる。

 結果的にはそれが功を奏した。データの流出を阻み、ベリルという存在を消し去る皮肉な結末となった訳だ。

 政府は人工生命体の成功に歓喜した。そして同時に、キメラの頭脳にも注目した。

 研究チームにとっても、思いも寄らなかったおまけ・・・だったのだろう。それが、政府をさらに喜ばせる事となった。

 人工生命体である事を伏せ、天才少年と称して政府はできる限りの専門家を施設に招きキメラに一日八時間以上もの教育を受けさせた。

 一種、異様な空間と環境であったにも関わらず、人工生命体は子どもらしい癇癪かんしゃくや不満を見せる事はなく、与えられる教材をこなしていった。

 年に一度、政府からの監視員が数日、施設に滞在しキメラを視察しに訪れる。監視員たちはベリルを人として扱わなかった。

 それはまるで、品種改良を重ねた犬や猫のように見下ろし、あざけりの名を呼んだ。

 天才少年に多くの知識を学ばせるため、少年の正体も知らぬまま──彼らは武装した集団に無残にも命を奪われた。

 あのときのベリルに、何が出来ただろうか。あまりにも無力な自分を嘆くしかなかった。流れぬ涙に苦しみ、その記憶が今のベリルを形成している。

 他人ひとから見れば、確かに異様な場所だったのかもしれない。それでも、私は愛されていた。ベリルはそれを肌で感じていた。

 愛情表現の下手な科学者たち。そして、少年の放つ存在感に怯えながらも、愛情を持って接してくれていた専門家たち。その全てを、ベリルは今でも鮮明に記憶している。

 されど、クローンまでは予想していなかった。襲撃のあと施設を全て回ったが、違和感のある場所は無かったように思う。

 そこでベリルは気が付いた。違和感が無かったのは、当然かもしれない。

 ジーンは言っていた。人工生命体の研究が着手されたと同時に、クローン計画はすでに持ち上がっていた。

 計画に必要な人材と施設はベリルが誕生した時点で開設され、一歳となった頃にそれが実行された。

 ベリルが五歳のときにフォージュリが産まれ、次の年にはジーンが誕生した。一体、何体のクローンが造られたのだろうか。

 ベリルが物心つく前からすでに実行されていた計画──初めからそこにあるものに、誰が違和感など覚えるだろうか。

 ベリルは科学者でもなければ国の関係者でもない。実験で生まれた生物に、全てを語る訳も無い。

 今更に自分が何者なのかを思い知らされ、突きつけられてベリルは薄笑いを浮かべた。

「ジーン」

「何?」

「クローン計画に携わっていた者の人数は解るか」

 その問いかけにジーンは人差し指を口元にあて視線を上げて少し考えた。

「確か~。バグチームは教育係を含めて、二十人くらいかな? 僕の方は五人くらい」

「バグ?」

 ベリルはその言葉に目を眇める。

「みんなそう呼んでたよ」

 ジーンは悪びれる事もなく笑顔で応えた。

 bugバグとは英語で虫の意だが、転じてコンピュータプログラムの製造コーディング上の誤り・欠陥を表す言葉である。

 失敗作をまとめるチームだからかとベリルは表情を険しくした。

 何が失敗で何が成功かなど、解るはずもない。果たして、私は本当に成功だといえるのか──

「それ以上、何を望むの?」

 放たれたジーンの言葉に喉を詰まらせる。

「どうして、自分は成功作だと認めないの?」

 抑揚のない声色は、酷く耳にこびりついた。

 何を認めろと言うのか。成功でも、失敗でも、私にはどうでもいい事だ。そんな事は重要ではない。

 私は、命を落とした彼らに恥じない生き方をしているのだろうか。私という存在が、彼らを無慈悲に死に至らしめた。

 襲撃の理由を未だ知り得なくとも、それだけは揺るぎのない事実だ。そうでなければ、あの施設を襲う意味など、ありはしないのだから。



 ──ジーンに何も言えぬまま、その夜は車のなかで眠ることにした。

 後部座席で横たわるジーンの寝息を感じながら、助手席の背もたれに体を預けて目を閉じる。

 建物の明かりも、街灯もない満天の空に輝く星の光がフロントガラスから降り注ぐ。ベリルは一度、目を開き暗闇に視線を送ると再び目を閉じて意識を遠ざけた。

 ──「それ以上、何を望むの? 俺たちには、何も望めないのに。何もかもを持っていて、何もかもを与えられたくせに」──

「違う!」

 声を荒げて目を覚ましたベリルは額の汗を拭った。

 普段はあまり夢を見ないというのに、ジーンやフォージュリが現れた影響だろうか。湿った襟元に眉を寄せる。

 まだ薄暗い風景に目を眇め、溜息を吐いて顔を伏せる。

 虫たちのささやき──ベリルの知らない所で繰り広げられていた生命の探求。

 それを、ベルハース教授は知っていたのだろうか。知っていたならば、それを止めてくれはしなかったのだろうか。

 彼もまた、国に翻弄された科学者の一人に過ぎない。それを解っていても、そう思わずにはいられない。

 解っている。人工生命体を研究していたメンバーには、クローン計画は知らされてはいなかったのだと。

 知っていたならば、ベルハース教授は断固、反対していただろう。彼ならば、きっとそうした。

 解っているのに、思考は何度も繰り返しぐるぐると同じところを巡って定まらない。起こってしまったものに正しいかどうかなど、無意味な論争だ。

 どうすべきかは、起こってしまった事柄の先にある。何が過ちで、そうでないか──私は記憶の中からそれらを引き出し、より良く活かせるようにと考えている。

 では、彼らはどうなのか。ジーンとフォージュリにとって、過去の記憶は未来の想いを繋げるものとは、ならないのだろうか。

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