第2話 噂話


 十一月に入り、朝の空気も随分冷え込んできた。外を歩く人々には、コートやマフラーを着用する者も増えている。

 そんな中の一人である少年、岸原きしはら慶太けいたは、建物と建物の間から吹いてきた冷たい風に、マフラーに顔を半分ほどまで埋めて「寒っ」と小さくぼやいた。

 この調子では、冬本番の寒さは耐えられるのだろうか。朝のニュースでも、今年は寒冬になると言っていたな、とぼんやりと考えていると、後ろから駆けてくる足音が聞こえてきた。次いで、肩を叩く少し強めの衝撃が。


「おっはよー、慶太!」

「びっくりした……。おはよう、友樹」


 後ろからやって来たのは、友人の大澤おおさわ友樹ゆうきだ。「なんか冷えてきたなー」と言いながら、彼は嬉々とした表情で慶太の隣に並ぶ。大抵、朝は眠そうな顔をしている彼にしては珍しい。

 慶太は目を瞬かせながら訊ねた。


「朝からご機嫌だね。何か良いことでもあったの?」

「おっ。分かるー?」

「だって、朝なのになんかテンション高いし」

「そりゃあ、『あんな事』聞いたらテンション上がるって! でさ、今日の放課後、時間あるか?」


 慶太は、童顔のせいでまだ高校一年か中学三年に見られるが、れっきとした高校三年生だ。部活動も引退した今、放課後は受験勉強のために真っ直ぐ帰宅をするか、友樹か他の友人に誘われた時に寄り道をするくらいだ。

 友樹の言う「あんな事」に嫌な予感がしつつ、今日は何かあったかと記憶を探る。誰かとの約束もなければ、家族に買い物を頼まれているわけでもない。


「うん。まぁ、何もないと言えばないよ」

「よし! じゃあさ」


 慶太の返事に顔を輝かせた友樹は、辺りを気にした後、慶太の肩に腕を回して顔を寄せる。

 小声になった彼が口にしたのは、最近、町に流れているある『噂』だった。


「『狐男』を探してみないか?」

「やだよ。僕がホラー嫌いなの知ってるくせに」

「だからいつまでも『女みたい』って言われるんだよ!」

「うっ」


 嫌な予感が的中した。

 友樹から少し体を離して断った慶太だが、彼は簡単には引き下がらなかった。自身が気にしているところを突かれた上、事実なので否定もできずに言葉に詰まる。

 それをいいことに、友樹は慶太を丸め込みにかかった。


「大丈夫だって。まだ嘘か本当かも分かんねぇし、噂が本当だったとしても、狐男ってかなり美形らしいから怖くないだろ」

「いや、美形だろうがなんだろうが、よく分からないのは怖いし嫌だ」

「とーにーかーく! 探しに行くぞ!」

「えー……」


 どうしてそこまでして確かめたいのか。そう思った慶太だが、幼馴染である友樹の好奇心に振り回されるのは日常茶飯事だ。今までも、都市伝説を確認することに付き合わされたことは何度かある。


(そういえば、ずっと前に「古い神社で変な声が聞こえる」って言ってたの、あれどうなったんだっけ……?)


 ふいに思い出したのは、何年も前の出来事だった。

 慶太達が小学生くらいの頃、山奥にある小さな神社についての噂だ。その神社は、参拝する者はおろか、管理をする者もおらず、慶太達が訪れた後、間もなく取り壊されてしまった。

 ただ、確かめに行ってからの記憶が曖昧で、結局、噂の真偽は定かではない。今となってはどちらでもいいが。

 何故、今になって思い出したのかと疑問に思ったものの、それは縋ってくる友樹の声によって中断した。


「なー。頼むよー」

「うーん……」


 諦めるしかないのかという気持ちと、怖いものには関わりたくないという気持ちが混ざり合う。


「今まで、こういうの何度も見に行ったけど、そんなの一回も起こらなかったじゃん」

「そうだけど……」

「ホントにヤバかったら逃げるって」

「こういうのって、逃げられるの?」

「大丈夫、大丈夫。俺がいるし」


 その自信はどこからくるのかと問いたくなったが、もはや行く気の彼の気持ちを変える術はない。

 慶太は深い溜め息を吐き、渋々頷いた。


「分かった。でも、勉強もしないといけないし、陽が落ちたら即帰るからね」

「よっしゃ! じゃ、終わったら速攻で行くぞ!」

「はいはい」


 上機嫌に約束を取り付けた友樹に力なく返せば、彼から「もっと元気出せよー!」と強烈な張り手が背中に入れられた。



   * * *



 時間が進むにつれて友樹のテンションが上がる一方で、慶太はいっそ体調不良にでもならないだろうかと気分は沈んだ。

 そして、放課後。ホームルームが終わるのとほぼ同時に、友樹は慶太の腕を掴んで学校を飛び出した。

 慌ただしさに目を丸くするクラスメイトを見て、誰か誘えば良かったと思ったが、気づいたときにはもう遅かった。


「さーて、まずはこの公園だな!」

「本当に探すんだ……」


 やって来たのは、学校から徒歩二十分ほどの所にある広場だ。

 山の麓に作られた広場は遊具はないものの、芝生が敷かれた広いスペースと、幾つもの岩を組み合わせて作られた人工の小さな滝がある。滝の両隣には奥へと続く遊歩道があり、両脇に木々が植えられていた。

 夕方に差し掛かろうという今、園内は近道として通る人や犬の散歩、ジョギング中の人と人通りはある。

 こんな状況下で果たして出てくるのか、と慶太は一抹の不安と一縷の希望という正反対の感情を抱いた。一人意気込んで歩き出した友樹は会う気だが。

 慶太は早くも疲れを滲ませながら後を追った。

 友樹が向かっているのは、滝の横にある遊歩道の方だ。ジョギングコースにもなっている道だが、少し逸れると裏にある山にも入れる。


「狐男に会ってどうするの?」

「んー? ……特に考えてねぇ」

「それなのに探すんだ?」


 一瞬、答えに迷いを見せた友樹だったが、辺りを見渡していた慶太は気づかなかった。

 遊歩道に踏み入ると、木々が多いせいか空気が他よりも澄んでいる気がした。


「ただの好奇心だよ、好奇心。でも、噂じゃあ狐男に会ったら、その後の生活がガラッと変わるんだってさ」

「そりゃあ、ある意味変わるだろうね」


 非現実的なものを見てしまえば、物の見方は変わるだろう。慶太はともかく、友樹がオカルト的な物にさらにのめり込んでしまう可能性は大いにある。

 すると、友樹は少し前にも起こった事件について口を開いた。


「一昨年くらいのさ、すげえ大雨の日に起きた事故って覚えてる?」

「うん。夫婦が亡くなったってやつでしょ? ニュースでやってたし、同じ町の事だったからよく覚えてる」


 見晴らしの良い広い交差点で、信号待ちをしていた乗用車に大型トラックが追突した事故だ。雨での視界の悪さや路面が滑りやすかったこと、車の整備不良など、見晴らしが良いとはいえ、不幸が重なった事故だと誰もが口にしていた。

 その事故が何か関係しているのかと友樹の言葉を待つ。


「そうそう。でさ、その事故の時くらいから、『狐男』の目撃情報が多いんだ」

「じゃあ、死んだ人が狐男になったってこと? 夫婦だから、一人なのも変だけど……」

「さあな」

「『さあな』って。本当に死んだ人だったらどうするの」

「すっげー謝って逃げる」

「ええ……。祟られたりしない?」


 友樹は至って真面目に答えたものの、相手は生身の人間ではない。逃げる方法などあるのかとまた溜め息が口から出る。

 しかし、友樹はあくまでも楽観的だった。


「まあまあ、そんとき次第だって。……なぁ、ちょっと奥に行ってみねぇ?」

「奥?」

「この遊歩道を逸れたら、山に続いてるだろ? さすがに、この道だとジョギングしてる人とかが通るし、出てこない確率のが高いだろ」


 野生のモンスターだって、草むらとか町の外とかに出てくるし。と付け足す彼は、果たして何のゲームを重ねているのかと突っ込みを入れたくなった。

 慶太はちら、と西の空を見る。太陽はもうすぐ山に差しかかろうというところだ。


「もうすぐ日暮れだし、あまり暗い所は……」

「ちょっとだけだって。ほら、行くぞ」

「もー……」


 慶太がホラー嫌いだと知っていてもなお、友樹は連れて行く気だ。

 気が引ける慶太だったが、友樹に万が一、何かあってはいけないからと後に続く。

 遊歩道を外れると、生い茂る木々によって周囲は一層薄暗くなった。当然のことであり、容易に予想できることだが、実際にその場に行くと肌寒さが一段と増したように感じた。

 足元も、道が舗装されていないせいで少し歩きにくい。道の両脇のように、草が生い茂っていないだけ、まだマシではあるが。


「狐男が出るのと蛇が出るのと、どっちが早いかな」

「どっちも嫌だ。……あ。でも、蛇はそろそろ冬眠してるか」

「お前、ホントに怖いもの多いよな」

「普通だよ普通」


 呆れた様子の友樹だが、慶太からすれば「怖いものはない」と豪語する彼のほうが普通とは言えなかった。

 木々の間から空を見れば、オレンジを通り越して紺色へと変わりつつある。

 小さく息を吐いた慶太は、ふと、木の枝に大きな塊を見つけて視線を止めた。『それ』が何であるか、認識した瞬間に心臓が大きく跳ね、冷や汗が流れ始める。


「もう陽が落ちたぞ。早く帰ったほうがいいのでは?」

「ええ? まだちょっと進んだとこだろ。もうちょい!」

「明かりはあるのかい?」


 愕然として足を止めた慶太と違い、前を行く友樹は気づくことなく歩き続けている。さらに、声に対して返してもいた。

 慶太はなんとか友樹に気づいてもらおうとするも、驚きと恐怖から言葉が出てこない。


「スマホがあるから平気だろ。まあ、出てこなかったら、また明日か明後日にでも仕切り直せばいいって」

「なるほど。明日は一部の人間は休みの日だったか」

「土曜だからな。っていうか、お前、声とか喋り方なんだよ? なんかおかし、い……え……?」


 違和感を笑いながら指摘して振り返った友樹は、慶太と離れていることにやっと気づいた。そして、その間に降り立った『異様な青年』に。

 現代にそぐわない白と紫苑の狩衣は、教科書や歴史博物館で見たことがあるくらいだ。腰ほどまである金髪はしなやかで、暗がりの中でもまるで輝きを失わない。

 動揺する二人の様子に、金色の切れ長の瞳が楽しげに細められた。


「私を探していたようだからね。出てきたのだけど?」


 頭の上にある狐の耳と、腰から生えた九本の金色の尾。

 異様な存在感を放つ『それ』は、間違いなく、友樹が探し求めていた「狐男」だった。




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