第4話「3月11日」

哲学ゾンビというものを知っているだろうか。

ある人間について反応や行動は人のそれと全く変わらないが、その中身に意識というものがない人間のことを指す。早い話が人間のふりをするロボットみたいなものだ。

なぜこんな話を思い出したのだろう。俺はシャーペンをくるくると回しながら益体もなくそんなことを考えた。そんなことよりも目下取り組まなければならないのは目の前にあるこの紙、「進路調査票」である。仲のいい友達に聞いたところ、就職や大学進学がほとんど。ほんの一部だけが実家の家業を継ぐなどと答えていた。予想していた通り、特に面白みのないものばかりだ。

いや一人だけ、この季節になってもまだ何も考えていない人間が俺を含めて2人

居る。

「何やってんだ」

紙から目を上げると今まさに考えていたその人、津雲がいた。

「進路。おまえはどうすんの」

「え?いやーおれは大学とか会社とかそんなもんに興味なくてなー。いかに楽して

だらだら人生を生きるか考えるのに忙しいのよ」

そうか、と津雲の返事を薄く返した。こいつのことを自由とかのんびりとか評価する人間がいるのだが、そうじゃなくてただ単になんも考えてないだけではない

だろうか。

じゃ忙しそうだしまたな、と津雲は手を挙げ別の男子グループのところへ向かって

いった。俺なんかよりも交友関係が広く、男女問わずどころか学年や学校を超えて

友人がいるらしい。

そんな友人を見送り再び目の前にある調査票へ目を向けた。中学生の頃はほぼ全員

高校進学していたため、自分が受験して合格しそうなところを適当に見繕った。

その前、中学時代の塾は市内で一番有名な塾を親に薦められ、異論もないので3年間ずっと休まず通った。部活は津雲がサッカー部に入ろうと誘ってくれたためそのまま入部した。大きな成績も残すことはなく、大会で1度ゴールを決めることが出来た

のが目立ったものだろうか。

小学生時代も、幼児の時も、与えられた環境に身を任せ逆らうことなく生きてきた。そのことについて後悔なんてあるはずはない。そのおかげでそこそこの学力とそこそこの運動能力も得られ、それなりの人生を歩んできた。

だが振り返って考えてみると、そこに「意識」はあっただろうか。

俺が、意図して、選択してきた人生だろうか。

いや、多分俺みたいな人生を送ってきたものが大半だろう。このクラスにいる人間は皆、意図して選択してきた人生を送ることは出来ていないだろう。

恐らく津雲でさえも。

自分から選択肢を創らず、周りの環境に流され生きてきた我々は「哲学ゾンビ」に

近しくはないか。

先程なんとなくで書いたそこそこの第一希望、第二希望の大学名をぼぅっと眺める。

俺はこの大学に行ったとして、果たしてどんな人生になるのだろうか。恐らく

変わらず意識のない人生を送ることだろう。生きながらにして意識のない命を

生きることになるだろう。

悪いことではない。寧ろそれなりの人生が送れそうなだけ、幸せな方なのだろう、

俺は。

でも、と反芻する。回していたシャーペンをピタッと止め、しっかりと持つ。

俺は、

紙に書いた先ほどの文字の羅列を消し、第一希望に今の自分の選択を書いた。

俺は。

第二希望の欄には何も書かず、紙を握りしめ立ちあがった。先生に俺の志望を伝えるためだ。教室から出た所、津雲が話しかけて来た。

「よ。結局大学進学?」

「……」

ん、と俺は紙を手渡した。少し不思議な顔をしながらも黙ってそれを受け取る津雲。

読み終わった後紙から顔を上げ、にっ、と此方に笑いかけてきた。

「正直他の奴ならふざけてんだろって笑うとこだけど。お前のその顔を見りゃそんなこともできんわ」

少年は紙を俺の胸に押し付け返してくる。それを受け取った俺の方をポンと軽くたたいた。

「どうしたらそうなんのかおれにゃ分かんねぇ。でも、応援はしてる」

そう声を俺に掛け歩き去っていった。その背中を見送り廊下を歩きだす。

進学でも、就職でも構わない。


俺が、自分が選んだなら。

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