白水と蓮水

youとユートピア

蓮水 一年前

 出発の荷物は少なく済んだ。なんせ、向こうでは住まいと衣服がただで支給されるとか。これから山道も通るのに、荷物が少なくて本当に良かったと。

 私は村の門に寄りかかって、最後になる村の様子を眺めた。まだ明け方。夜のような静けさが村には残っていた。この村は、農業が盛んだ。まだどの畑にも人がいないのは珍しかった。

「にいちゃん、あっちでも元気でね」

 十二になる弟の景水が別れの挨拶をしてくれた。弟には、私が稽古ばっかりに全く遊んでやれなかった。

「景水、ちゃんと母さんの畑仕事手伝えよ。って、お前はもうできてるか」

 最後に弟の頭を撫でてやった。背、もうこんなに伸びたのか。

「蓮、荷物はそれで全部? 忘れ物はない?」

「大丈夫だよ母さん」

「辛くなったら帰ってきてもいいのよ?」

 いや、それは流石に駄目だろう。

「大丈夫。もう大人なんだから、全部大丈夫だよ」

 母は終始心配そうだった。我が子が旅立つのが相当心配なのだろう。私だって、母と弟のことがとても心配だ。ただ、私が弱気になったら、より母を心配させてしまう。

 私の出発には、家族と武術の師匠が立ち会ってくれた。思えば、師匠とは、家族より長い時間過ごしていたかもしれない。

「師匠、白水はどこ行ったんですか」

 私は生まれてからずっと一緒にいる白水のことが気にかかった。本当は、今日一緒にこの村を出て行く予定だった。それが、私一人で出発することになったのには事情があった。

 師匠がため息をついた。老体に少し疲れが見える。しわしわの顔にも疲れが見えた。

「あやつはもう知らん。まったく、じじい相手に一日中暴れよって」

 その口調といい見た目といい、白水は相当暴れたようだ。彼女は村を発つ前夜に、一年村に残ることを言い渡されたのだった。そのときの彼女の顔は、思い出しただけでも胸が痛くなる。私だって一緒がよかった。

「どうする。あやつにも挨拶をしておくなら引っ張りだしてやらんこともないが」

「いや、いいんです。どうせ来年会えるのだし」

「そうか、お前らしいな」

 朝日が完全に顔を出し、私を暖めてくれる。それが私の後ろ髪引かれる思いを断ち切ってくれた。今こそ、出発しよう。

 私は荷物の麻袋を肩にかけた。中には多少の金と、母が作ってくれたお握りしかない。

「そろそろいくよ。師匠、今までありがとうございました」

「達者でな」

「景水と母さんも、行ってくるよ」

 こうして私は旅立った。


 私は、祖国を救うために生まれた。生まれた前から、その定めは大人たちによって決められていた。それは、私の親友の白水も一緒だ。私たちの未来は、将来は、私たちが生まれるより早くに決まっていたのだ。

 私たちは、その定めのことを幾度となく教えられた。聞いた話だと、神から受けた命だと言う。小さい頃は、それを胡散臭い話だと聞き流していたが、大人たちは、これを信じてやまない。

 私たちは、その天命を全うするためだけに日々稽古を続けてきた。武術、芸術、医学、哲学、礼儀作法までも、幼少期から十八になるまでに、余すところなく体にたたき込んだ。比喩でなく、実際叩かれながら学んだ。そこまでして、幼少から様々な事を学んだのには理由がある。それは、敵国の内部に潜入するという重要な目標を達成するためだ。

 さらに詳しくいえば、敵国の中枢機関である、『まもり』の精鋭部隊に入るためだった。

 私と白水は毎日泣きそうになりながら稽古をした。私たちに稽古をつけてくださる師匠方は、子供の私たちに微塵も容赦をしなかった。別に、師匠方は私たちが嫌いで容赦をしなかったわけではない。大人たちも二人にその天命を達成させるのに必死だったのだ。

 天命、神から授かりし命令。村の大人たちはきっと、その天命と私たちの未来とを天秤にかけたのだろう。結果、前者に傾いた。神は彼らにとって命より重要なものなのだろう。私はもともと神への信仰心は薄い。それもそのはず、私と白水は神なんぞにうつつを抜かす時間などなかった。村の住民が礼拝に行っている時さえ、私たちは稽古に時間を使っていた。天命を授かったとはいえ、その本人は神を拝む時間さえなかったとは、今考えればおかしなものだ。

 兎にも角にも、私は敵国、もとい『鳥の国』に仕えるために、今日古巣から飛び立った。白水と一緒に行けないのが残念でたまらないが、私に落ち込んでいる暇などない。都についてからは、もう稽古ではなく本番だ。そう考えると、なんだか武者震いがした。


 ー待ってるからな、白水。

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