第17話

「なんか、僕たちって、逃げて、ばかり、じゃ、無いかな?」


 人気の少ない路地裏で、僕は壁に背を預けて、息を荒げる。

 イグニスの力が半覚醒だったことで、疲労は幾分減ったけど、それを挽回するために長時間覚醒させていたので、疲労度は相変わらず。

 掌から感じる彼女の波動は今にも消え去りそうなもので、これじゃ暫く人間形態には戻れないだろう。


 さてどうしよう、この街は悪徳の街、イグニスの力の源となる、平和への祈りなんて、雀の涙程しかありはしないだろう。

 人間形態を保つことが出来れば、ご馳走をモリモリ食べさせればいいのだが、生憎今はそれすら困難。

 元・最強の聖剣には、色々と制約が山盛りだ。


「自然回復を待つしかないか? いやそれだと多分手遅れになる」


 それとは勿論、アリシアの事だ。ルサットさんは何をどうしてか、剣の力を封印する方法を編み出した。そしてそれを屋敷のあの部屋に仕込んでいたんだ。

 その罠に掛かったアリシアはおそらく捕縛されている事だろう。その上、その事を知った僕たちを逃がしてしまった。彼が強硬手段に出ることは容易に予想が出来てしまう。


 さてさて、どうするどうしよう。八方塞がりどん詰まり。毎度毎度のピンチ到来だ。





 上が何だか騒がしい。拘束状態のアリシアは唯一つ自由な耳だけを使って屋敷の様子を探っていた。


(なんだか一悶着あったようだ。マフィアの抗争か、あるいは……)


 彼女は想像力を働かせる。それこそが彼女の武器。彼女は何時だって、生きたいと言う情熱をエネルギーに、想像力の翼をはためかせ生き延びて来た。


(甘ちゃんたちが、何かしでかしたのか?)


 ローグレンとのリンクは切れたまま。いや完全に切れたのであれば、かの魔剣はまた別の場所へと姿を隠すはずだ。

 自分が彼と出会った時の様に。


 彼女は注意深く、己の内へと意識を巡らせる。


(……あった)


 それはホンの僅かな希望の糸、蜘蛛の糸よりも細い、反逆へのヒントだった。


 屋敷の地下構造がどうなっているのかは分からない。だが、自分とローグレンの置かれている場所はそう遠く離れている訳では無い事が感じ取れた。


 とは言え、現実的には手足を拘束され、目隠し猿轡のフルセット。芋虫の様に這っていくしかないと言うのが現状だ。


 燃える燃える怒りが燃える。

 何にか?

 勿論自分自身にだ。

 最強の剣を持ちながら、こんな状態になっている自分自身にだ。


 彼女は唇から血を滲ませつつ、猿轡を噛みしめる。

 鉄錆の味は傲慢の味、気を緩めた自分に対する罰の味だ。


(俺は生きる、俺から奪う奴は許しちゃおかねぇ)


 真っ暗闇の牢屋の中、彼女の復讐の炎がチリチリと燃えていた。





 急速に力を奪われた。それはかつての魔王との戦いにおいて、体がへし折れた時と同じ感覚だった。


 人間の進歩は凄い。

 仮とは言え、契約者と同じ場所にいたのに、これほど見事に自分の力を奪われようとは、自分には想像も出来なかった。


 彼女はその事に、怒りよりも感心を得ながら、独り静かにまどろんでいた。


 そして気が付く。自分が考えることが出来ていることに。


「……マスター?」


 目を開ける。そこには自分の手をしっかりと握りしめ、地面に付した彼女の契約者マスターの姿があった。


「マスター! しっかりしろ! マスター!」


 イグニスは、滅多に出さない大声を出しながら、彼女の契約者の体をさする。彼の体は冷たく冷え切っており、まるで死人のようだった。


「まだ、生きている」


 イグニスは、彼の胸に耳を当て、微かな鼓動を感じ取る。

 生きているのは当然だ、彼がもし死んでしまえば、自分は現世との楔が解き放たれ、またどこぞと知らぬところへと消え去ってしまうだろう。


 だが、そんな当たり前の事すら思いつかないほどに、彼女は、混乱しきっていた。


「くっ……冷静になれ」


 彼女は自分自身に活を入れる。ふらつく体で、契約者を抱き起こし、冷たく冷え切った路地裏を後にする。

 この街にはまだ来たばかり、さらには行動範囲もごく僅かなものだ。そんな自分が知っている安全な所と言えば……。


 ずるずると引きずる様に契約者の肩を支え、彼女は少しずつ歩き始めた。





「店主! 居るか!」


 ここは、昼間にイグニスたちが訪れた寂れた道具屋、イグニスたちは何とか無事にそこまでたどり着くことが出来た。


 夜も更け、締め切ったそのドアを、イグニスは苦労しながら叩き続ける。


「んだよ鬱陶しい! 今何時か分からねぇのか!」


 店内から怒号が響いて来る。だが今はそれどころの騒ぎではない。


「店主! 昼間の客だ! 急ぎここを開けろ!」

「昼間のー? って昼間のですか! 何か問題でもございましたか!」


 不意に店内が慌ただしくなる。客入りの少ないこの店だ、昼間の客と言うキーワードと低く鋭いその特徴的な声で、その主に思い至った。


 ガタガタと、モノを蹴散らし、急いでドアが開けられる。


「店主、済まない。暫し匿ってもらおう」

「へっ?」


 イグニスは訳が分からないと言う顔をした店主の脇を無理矢理通り、ずかずかと店内へと侵入したのだった。





「あのー、そろそろ説明しちゃいただけませんかね?」


 無言で彼女の契約者の看病を続けるイグニスに、店主は特大のトラブルを感じつつも、揉み手で、下手に問いかける。


「ふむ、まぁ私自身上手く説明は出来ない」


 彼女が目を覚ましたら、彼女の契約者が倒れていた。彼女に分かるのはそれだけだ。


「ふむ……そうだな、取りあえずは……」

「取りあえずは?」

「腹が減った、何か用意してくれ」


 あっけにとられる店主に対し、イグニスは腹を鳴らしながらそう言った。


「もひゅ、うむ、わふぁい、もむ」

「あー、あーいいから、先ずは口の中の物を収めてからにしてください」

「もひゅ」


 あきれ顔の店主を他所に、イグニスは用意された食料を、手当たり次第に口の中へと押し込んでいく。


「もふ……うむ。馳走であった」

「へえへえ、それは何よりで。そんでお客人、一体何がどうなったってんです?」

「うむ、短期に言えばだな。我々はルサットに裏切られた」

「へえへえ……って……え?」

「この我々と言うのは、ここにいる私達と言う意味ではない。ローグレンとその主も含めてだ」

「えっ! えええ!?」


 店主は驚き後ずさる。とんでもない事になったと言う所では無い。ルサットの敵を匿ったと言う事は、自分たちもルサットの敵になると言う事なのだ。


「かっ、勘弁してください、客人、いや嬢ちゃん。そんな事ならここにはおけねぇ、今すぐ出てってくれねぇか」

「む? そうなのか?」

「そうなのか? じゃねーよ! ウチみたいな零細道具屋、ルサットの旦那に一にらみされただけで終わっちまう!」

「ふむ……」


 その言葉に立ち上がったイグニスは、棚に陳列されていた保存食を、むしゃりと一口。


「あーあーあー、もういいから出てってくれ!」

「そうか、世話になった。この恩は忘れない」

「今すぐに忘れてくれ!」





 たらふく食べたおかげで、イグニスの力は大分元通りになっていた。そしてそれは彼女の契約者も同じこと、暖かい店内でほんの一時とは言え休んだおかげで、その体温は幾分上場していた。


「マスター、起きろ、マスター」


 イグニスは優しく彼女の契約者に語り掛ける。それは母親が自分の子供に声を掛ける様な、暖かい言葉だった。


「う……う……」

「マスター! 気が付いたか! マスター!」

「う……おはよう、イグニス」

「マスター!」


 彼女は片腕でしかりと契約者を抱きしめる。心もとない左側に、今この時ほど、自分が隻腕だったと言う事を悔やんだことは無かった。


「わわっ、苦しいよ、イグニス」

「我儘を言うな、マスター。私がどれだけ心配したと思っているのだ」

「ふふ、ありがとう、イグニス」


 彼はそう言って、優しく彼女を抱き返した。両手で、しっかりと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る