第68話

 意識を取り戻したロゼは、塔に捕らえられていた。

 出ることも叶わず、下りることも叶わない塔では、ただ空を見ることぐらいしかすることがない。


「魔女を法的に拘束することは、出来ないはずですが」


 ――魔女は人とたがい、魔女は国と違い、魔女は法に違う。


 古来より独立した自治を行う魔女は、人と違う世界で生きている。


 人を害したからと言って、彼らの法で取り締まられては適わない。


「ああ、そうだな。だが非常に迷惑な話ではあるが、痴情のもつれならば魔女との約束にも触れてはいまい。そなたに懸想する私が、おのが騎士との婚約を認めたくなく、閉じ込めた。筋としてはそれでいい」


 気持ち悪い筋書きに、ロゼは目玉が落ちそうなほどに目を見開いた。

 こんなに面白くない冗談を、ロゼは生まれてきて初めて聞いた。


「惚れ薬と偽り、貴族に売りさばいたようだな。魔女よ。本当はどんな毒薬なのか、何故無差別に人を襲ったのか――白状するまでここから出すことは無いと思え」

「そんなことしていないと、先ほどから何度も言っているではありませんか」

「では何故貴族ばかりを狙った。恋に落ち、魔女のプライドも失ったか」


 不可思議な顔をしたロゼに、ヤシュムは鼻を鳴らす。


「体調を崩したものの中に、かつてのハリージュの見合い候補もいた」


 なるほど、人間とは思われていなくても、女だとは認めてもらっているようだ。ロゼは笑いたい気分になった。


 嫉妬で飲ませるのなら、それこそ粗悪品など飲ませない。


 自分の全身全霊をかけた惚れ薬を、他の男の体液と共に、その令嬢に飲ませたことだろう。


「存じませんでした」

「嘘ばかりつくのはもうよせ」


 ロゼは魔女だ。魔女は嘘をつけない。

 だけれどそんなこと、この男は知るはずもない。


 真実しか話せないとばれないためにも、魔女は曖昧な物言いを好んだ。そんな魔女は、人間からして酷く胡散臭く見えるのだろう。


 人間は人間ばかりを信じる。


 やはり人間の中で暮らすなんて、無理だったのかもしれない。

 何度も削られた心は、やさぐれた思いを生み出す。


「随分と魔女の言葉を疑われるんですね」

「魔女なんてもの、私はずっと――ずっと、胡散臭いと思っていた」


 好き嫌いで閉じ込めたというのか。ロゼは笑いたくなった。


 面倒な手順を踏んだ魔法など使わなくとも、言葉一つで簡単に人を投獄してしまえる権力の方がよほど恐ろしいではないか。


 魔女ばかり恐い恐いと言って、王族は恐れないなんて、人とは勝手なものである。


「六人もの貴族が、”魔女の惚れ薬”が原因とみられる症状で倒れている。厳密には法でしばれんかもしれんが、そのような状況を野放しにするわけにはいかない――ハリージュの助けは期待するなよ」


 ロゼはフンと鼻を鳴らした。そんなこと、言われなくても知っている。


 ハリージュが助けにくるという考えは、ロゼには一切無かった。

 むしろ助けに来ないのは、当然だとさえ思っていた。


 ここにロゼを閉じ込めたのは、ヤシュムである。

 ヤシュムはハリージュの護衛対象であり、主人だ。

 主人の意向に反し、忠誠心をかけてまで、婚約者を守らねばならないという約束は彼と結んではいない。


 だからロゼは、窓の下を見なかった。もし、この塔を警備するものの中に、見知った姿を見つけたら――もしロゼを閉じ込めているのが、ハリージュ自身だとしたら、ロゼはもう、一瞬だって生きていけるとは思わなかったからだ。


「おい……おい、魔女! 聞いておるのか」


 ヤシュムが入り口付近で何か騒いでいるが、ロゼは彼を完全に無視した。

 よほど魔女が嫌いなのか、近寄れば呪いをかけられるとでも思っているのか、彼はこちらまで近づいてくる事は無かった。

 たった一つの出入り口である扉の傍から、キャンキャンと喚いている。



 窓際の椅子に座っているロゼは、手にしていた林檎をローブで擦り、囓った。

 紅い林檎に黄色の穴が開く。


 ――もし下にハリージュがいたら。


 そう思うだけで、ロゼは全身に震えが走った。強盗に殺されそうになった時より、よほど恐かった。ロゼが薬を偽り、多くの貴族を無差別に害そうとしたと、ハリージュも思っているだろうか。


 失望させることは、辛かった。


 ハリージュはきっと、ロゼに期待してくれた。善き魔女と名乗る魔女を、そしてロゼ自身を信じてくれようとした。


 林檎に噛みつく。自分の心に鈍感なふりをするために、一心不乱に咀嚼する。


 呪いなど、恐れる必要など全く無い。未だに扉の傍から離れずに、こちらに向かってなにやら話しかけているヤシュムを、心の中であざ笑う。

 頼みの綱である”魔女の秘薬”など、一つも持ってきてやいないからだ。


 身一つで塔から脱出できるとも、素手でヤシュムとゲオネスを倒せるとも思えなかった。ロゼの疑いが晴れるまで、この塔から出られないことは明白だ。


 やっていないことをやっていないと証明するのは、難しい。


 そして、言っても信じてもらえないことを主張し続けるのは、非常に傷つくのだ。


 きっと信じてもらえないだろう。その気持ちはこの短期間で芽生えたものでは無い。


 祖母が死んでから――あの日、「魔女なんか死んでくれればいいのに」と笑われた日から。

 消えては戻り、沈んでは浮かび、静かにロゼの心を漂っている。


 ただ漂うように生きていたロゼには、何も変えられなかった。


 街の人達も、屋敷の人達も、ハリージュの言葉添えがあったからこそ、魔女を信じようと思ってくれたのだ。


 魔女の――ロゼの言葉は、誰にも届かない。






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