第30話


 幕切れは、唐突だった。


「ロゼ」


 ――終わりの合図だと、すぐにわかった。


 その声色は、明け方の湖畔のような静けさを伴っていた。


「ありがとう。落ち着いた」

 ロゼの頭を、ポンポンとハリージュが叩く。

 その触れ合いは気安い。惚れ薬の効能が切れていることを、如実に伝えていた。


 気が紛れるからと話し始めて、いくらも立たない内に、突然ハリージュは黙り込んだ。そして次に口を開いた時には、もう正気に戻っていた。


 あまりにもあっけない、結末だった。


 ロゼの肩を持って距離を取ると、ハリージュが立ち上がる。

 彼に倣って、ロゼもゆっくりと立ち上がった。


 先ほどまで、ハリージュと密着していた部分が、じっとりと蒸れている。驚くほど冷たい空気が服に入り込み、ロゼは身を震わせた。


 さっきまで、溶け合いそうなほどくっついていたというのに、もう指一本触れていない。


 当たり前の距離が、すごく寂しい。


 薬の効果が切れたハリージュとは違い、ロゼは現実についていけていなかった。


 ――驚いた。


 自分の薬の効力は知っていたし、まやかしの幸せはすぐに終わると、わかりきっていたことなのに。


 ロゼは今、心から落胆していたのだ。


「ロゼ」


 聞き慣れた、芯のある声で名前を呼ばれる。

 向かい合って立つと、ロゼはハリージュの顔を見ることが出来ずに、俯いた。

 失意を隠すことも出来ないまま、小さな声で返事をする。


「はい」


「俺と結婚してほしい」


「は……――い?」


 ロゼは咄嗟に顔を上げた。聞いた言葉の意味が、てんでわからない。


 だが、見上げたハリージュは、真剣な顔でロゼの返事を待っている。もう魔法に惑わされている様子でも無い。


「さっき、言いましたよね……? これは、そういう言葉を奪うための薬だって……」

「ああ、聞いた」


 撤回しないところを見ると、惚れ薬に呑まれていた時の感情に、まだ心が支配されているのだろう。

 忠告を聞き入れるつもりは無いようだ。

 ロゼはきかん坊に言い含めるように、ゆっくりと話す。


「私は魔女なので、魔法で心を変えることを悪いこととは、思いません。ですが――」

 言葉に詰まったが、ロゼは観念して本音を話した。


「僭越ですが、お客様には、幸せなになってもらいたいと、思っています」

 ロゼにとって、ハリージュの幸せを願う言葉を素直に告げることは、非情に勇気のいることだった。

 何しろハリージュは、ロゼの発する言葉は全て、彼女の本心だと知っているのである。


「あんたと結婚すれば、俺は幸せになれる」

「それが本心だとしても、駄目です。私は魔女ですから」


 きっぱりと断ると、ハリージュが眉をつり上げた。


「魔女だから、何故駄目だと言うんだ」

「何故って……魔女は、人と違います」

「嘘をつけない人間なんか、ゴロゴロいる」

「それだけじゃありません」

「では何だと言うんだ」


 ロゼは途方に暮れた。

 貴族としてこの国に生まれ育ったハリージュなら、当たり前に知っている事実を、確認するかのように口にする。


「ご存じの通り、魔女は国に属しません。人の定めた法に従うこともありません。国のために生きる貴方が、国に属さないものを妻としますか?」


「全く気にもしていない。法も宗教も違う国同士で結婚してる人間なんか、腐るほどいる」


「ご、ご存じだとは思いますが、法に従わないということは――人を害す薬を作っていても、誰に譲っても、貴方は私を裁けないんですよ」


「武器を作る鍛冶屋だってそうだろう」

 ハリージュの言うとおりだ。ロゼとてこれまで、そう思って生きてきた。


「でも……貴方は、騎士です。騎士としての務めで、貴方の倫理観で、私が裁かれねばならぬことをした時だって、無罪となるのを許せるのですか?」


 それはハリージュにとって、屈辱的なことなのではないのだろうか。

 正義を守れないということは、彼にとって耐えがたい事なのでは無いのだろうか。


「知らん。その時は俺の心で行動を決める。あんたを許すかもしれんし、法以外の方法で決着をつけるかもしれん。それをあらかじめ、あんたに避けて貰う必要はない」


 ハリージュの心情ばかりを慮っていたロゼを、ハリージュがぴしゃりと撥ね付けた。その通りすぎる彼の主張に、ロゼは一瞬息を呑むが、往生際悪く言い募る。


「そ、それに魔女は、基本的に結婚をしません」

「なら、どうやってロゼは生まれたんだ」

「母が、何処かで子種をもらって……祖母も、そのまた祖母もそうでした。だから私も、いつか自分の魔法を伝える時が来たら、どこかで子種を――」


 最後まで言うことは出来なかった。ハリージュが信じられないほど恐ろしい顔で睨んでいたからだ。

 萎縮したロゼに気付いたハリージュは、そっとため息を吐き出す。


「なら、それが俺でもかまわないわけだ。ついでに、結婚すればいい」

「でも、魔女は……」


 言うことをわかってくれないハリージュに、途方に暮れる。

 ロゼは心底困り果てて、口を開く。


「魔女は、死を、喜ばれるような存在なんです」


 こぼれてきた本音に驚いた。


 慌てて口を両手で覆う。

 普段は忘れていることだ。もう乗り切れたと思えていたことだ。


『まぁなんにせよ、これで安心だわな!』


 なのに、四年前あの言葉を、自分がそれほど苦に思っているなんて知りもしなかった。


「死を、喜ばれる?」


 ロゼは、ブンブンブンと首を振る。

 何を話しても、しょうもないことを言ってしまいそうだった。


 ハリージュはしばらく悩んだ後、何かを思い出したようにロゼを見た。


「――四年前、街……あの時か」

 思い当たる記憶があったのか、彼は酷く苦しそうな顔をした。


「あの言葉を聞いていたのか」

 ハリージュにとっては、些細なことだったに違いない。

 よく思い出せたなと苦々しく思いながら、ロゼは仕方なしに頷く。


「……なら、辛いことを聞いたな」


 何よりもまずロゼを慰める優しい声が、かさぶただらけの傷を撫でる。


 そう、あの時、ロゼは辛かった。

 辛かったことさえ無意識に忘れようとするくらい、どうしようもなく辛かったのだ。


 ハリージュは、魔女の秘薬に嫌悪感を持っていても、魔女であるロゼ自体を不当に扱ったことは一度もなかった。

 年頃の少女だとわかってからは、それこそ女性に接するかのように対応してくれた。


 高い所にあるものを取ってくれて、体を心配してくれて、いつも甘いものを持ってきてくれた。


 四年前は憧れだけだった恋が、動き出すには十分だった。


「話は戻すが」

「へっ!?」


 驚きすぎて、口を塞いでいたのに叫んでしまった。


 今のでロゼは、完全に話を終えたつもりでいた。

 ハリージュが覚えていたのなら、なおのこと。沢山の人が魔女を嫌っていることを知っているのだ。


 誰だって、死を喜ばれるような妻が欲しいわけが無い。


「何を驚いているんだ」

「何をって、だって、魔女は、死んで喜ばれるほど……」


「あのな。もしロゼが死んで喜んでるようなやつがいたら、俺は片っ端からぶん殴っていくぞ」 


 ぶん殴って。普段のハリージュからは考えられない物騒な言葉に、ロゼは顔を引きつらせた。 


 そんなロゼを見て、ハリージュが呆れた顔を浮かべる。


「魔女だ魔女だとうるさい。魔女に依頼に来たんだ。そんなことは、最初から知っている。貴婦人になれなんて言ってない。俺は、魔女のロゼがいい」


「へ?」


「本当に、わかってないのか。俺が着替えずにここに来た理由を、考えはしなかったか?」


 ハッとして、ロゼはハリージュを見た。

 そういえば昨夜は、夜とは言え、まだ村人は起きているような時間だった。

 そんな時間に騎士姿で魔女の家に訪れては、なんと評判が立つかわかったものではない。


 脱いだ服の中に、身を隠すためのローブはなかった。

 それどころか、身分を示すための青いマントさえあった。


 ぱちぱちと、ロゼが瞬きをした。


「いいかロゼ。覚えておくんだ」


 まるで子供に言い聞かせるように、ハリージュが辛抱強く言う。


「魔女は多大なるお節介の詰まった親切で、俺のために嘘をつこうとするかもしれないが――男が命をかける時は大抵、下心がある」


 ハリージュが一歩近づいてきた。

 ロゼはぴくりと身じろぎする。


「惚れても無い女を助けるために、冬の湖に飛び込むような男は、いない」


 苦笑交じりに言ってはいるが、その目は真剣な光を宿したまま、ロゼを捕らえている。

 ロゼを怯えさせないようにゆっくりと近づき、頬に手を当てる。


「あんたは、これだけ答えてくれればいい。俺が好きか?」


 ロゼは魔女だ。


 魔法を扱う魔女は、嘘をつけない。


 そして、ハリージュはそのことを、よく知っていた。


 彼の真意に気づき、ロゼは顔を真っ赤にした。膝を折って魔女の顔を覗き込んでくる男を、涙目でキッと睨み付ける。


「――嘘になるから、答えたく、ありません」


 それはかつて、ハリージュがロゼに示してくれた優しさだった。


『言いたくないことが万が一顔に出ても、『嘘になるから言いたくない』と正直に言える相手は、俺しかいないのだろう?』


 魔女の秘密を知ったハリージュにしか言えない言葉であり、ハリージュを信頼しているからこそ、言える言葉だ。


「あんたは存外、意地っ張りだな」


 ロゼの精一杯の甘えを受け止めたハリージュは、口ではそう言いつつも、嬉しそうに笑う。


 ロゼは「嫌い」ならきっと、簡単に言えたはずだからだ。


 林檎色のロゼの顔に、ハリージュがそっと顔を寄せる。


 薬が抜けているのに、未だ熱く濡れた瞳が近づいてくる。


 ロゼはぎゅっと目を瞑った。

 惚れ薬が効いている時に、ハリージュに「目を瞑るな」と言われた理由を知る。


 そして――


「食らえ! 泥爆弾!」


 べしゃっと、ハリージュの後頭部に泥玉が投げ付けられた。


 呼吸を止めたロゼとハリージュは、ゆっくりと、玄関を見た。


 そこには、腕一杯に泥玉を抱えた子供達が立っていた。後ろには、クワやナタを持った大人達がいる。

 大人達は明らかに申し訳なさそうな顔をして、視線を逸らしている。


「いやすまないね……子供達が、魔女が男に乱暴されてるって言うから……。何かあったなら、助けてやらにゃと……」


 焼き芋に恩を感じているのか、子供達は村人を呼びに戻ってくれたらしい。

 気まずそうな村人の言葉に、ロゼは顔を真っ赤にしてハリージュから離れる。


「魔女から離れろ! 魔女もただの女の子なんだぞ!」


 子供達が大きく振りかぶる。

 ロゼは勢いよく、その場に蹲った。





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