第21話

 ぐっすり眠った。

 馬鹿かって言いたいぐらい、眠った。


 翌朝、ロゼはベッドの上で一人頭を抱えていた。口の端に、よだれが垂れた感触がある。


 窓の外では、森から遊びに来た小鳥が、羽をばたつかせながら鳴き喚いている。朝っぱらからチュンチュンと。朝から! チュンチュンと!


 最低な気分で目を覚ましたロゼは、ここ最近なかったほど、最高に体調がよかった。体が軽いし、頭もスッキリしている。気付いていなかったが、もしかしたらとっくに、自分は限界だったのかもしれない。


 自分がこんなに弱くなれることなんて、知りたくなかった。


 ずっと強いつもりでいたロゼは、泣きそうな思いを、ため息と共に枕に吐き出す。


「起きたのか」


「へいっ」


 衝立の向こうから、ハリージュが声を掛けてきた。びくりと体が震える。

 自分は甘やかされるがままに、彼の前で寝こけてしまったのだ。

 よもや、いびきはかかなかっただろうが、不安で堪らない。だが、聞く勇気も無い。


「ご、迷惑を、おかけ、しまして……」

「もにょもにょとやかましい。身支度して、ゆっくり起きてこい」


 魔女に立派な身支度などないが、ベッドサイドに放り投げられていた魔法の鏡で、起き抜けの顔をチェックする。目やにとよだれのあとを拭き取ると、髪を手ぐしで整えた。


 衝立から、ひょっこりと顔を出す。

 鼻をクンクンと動かした。動かすまでも無く、この家に未だかつてないほど、いい匂いが漂っていることがわかる。


「出てきたのなら、椅子に座れ」

「へい」

 上官に従う下級軍人のように、ぱたぱたとロゼが小走りでテーブルまで向かう。

 テーブルの上に乱雑に置かれていたものは、床に整然と並べられていた。人が歩く通路と、人が食事を取るスペースが出来ている。


 たった一夜で何が起きてしまったんだと、恐る恐る座る。すると、サンドウィッチの盛られた皿がテーブルに置かれた。ロゼは思わず息を呑む。


「これはっ――!! ……なんですか?」

「湖で釣った魚を先日の残りの林檎バターで焼いて、同じく置いていってたパンに挟んだ。畑のパセリと、そこの小瓶の塩やスパイスも貰ったぞ。畑には水を適当にやっておいた。――それより、パンの減りが遅い。ちゃんと食っているのか」


 どこから突っ込んでいいのかわからない言葉をつらつらと並べられ、ロゼはポンコツのように首をぶんぶんと縦に振った。我が家に釣り道具があったことも、ハリージュがそれほど釣りが上手だったことも、食材の在庫で体調管理されていることも知らなかった。


「美味しそう……こんな朝ご飯……信じられない……」

 朝食の匂いと、魔女の家の匂いが溶け込む。


「こんな……まるで、おばあちゃん――」


「は?」


 ぽつりとこぼしてしまった言葉に、ハリージュは驚愕の表情を浮かべてこちらを見た。慌ててブンブンと首を横に振る。


 まるで、祖母が生きてた頃のようだった。


 朝の光が舞い込んだ魔女の家で、鳥と共に温かい朝食を囲んでいたあの頃。

 ロゼはまだ幼く、いつも眠い目をこすりながら朝食の席に座っていた。

 ぼさぼさの髪を祖母にみっともないと窘められつつ、祖母の作ったスープに口を付けていた。


 そんなこと、もう何年も、思い出さなかったのに。


 止まっていた心は、たった一人の行動で、勝手にどんどんと動き始めていく。

 あとで絶対に後悔するとわかっているのに、今まで生きてきた中で一番幸せだと思う時間をくれる。


「ありがとうございます。ゆっくり眠れました。それに、朝食まで……」

 言い終わらないうちに、ことんとカップが手元に置かれる。淹れてくれた紅茶は、ロゼの紅茶そっくりの香りがした。


 あの歌を思い出しながら、淹れてくれたのだろうか。


 嬉しくて、泣きたくて、たまらない。


「ご馳走になります……」

「ああ」

 前の席に座ったハリージュも、カップを持つ。


 人生で最高の朝食になることを、ロゼは食べる前から知っていた。




***




 朝食を片付け終えると、ロゼは早速、製薬に取りかかった。

 一度目よりも切なく痛む恋心を、全力で見て見ぬ振りする。前回作っていた混合液の残りを慎重に取り出すと、最後の素材である月の光を注ぎ込む。


 ぽわん、と光が舞って、出来上がる。


 魔女の秘薬が、完成する瞬間だ。


「どうぞ、お納めください――惚れ薬です」


 ロゼが突き出した出来たてほやほやの薬を、ハリージュは唖然としたように見つめた。


「……いや、早くないか?」


「以前のご注文の際に、混合液を多めに作っていたので、あとは調整だけだったんです」

 ハリージュは、ロゼの説明に納得いったような、いっていないような、非常に形容しがたい表情を浮かべている。


「素材はほぼ前回、お客様に集めていただいたものですし、お代はけっこうです。散々お世話にもなりましたから」

「勝手に物を持ってきていたのは、こちらが好きにしていたことだ。代金は支払う――と言いたいが、今は手持ちがない」

「承知しております」


 魔女の秘薬は高価だ。

 むしろ先日は、よく持ち合わせていたなと思ったほどだ。


「更に悪いことに――昨夜のこともあって、姫様の輿入れが早まった。国境まで送り届けるため、来週には国を立つ」

「あら、薬が完成して丁度よかったですね。代金は本当に、お気になさらず」


 さぁ、持って帰れとばかりに薬をぐいぐいと押しつけるロゼを、ハリージュは信じられないものを見る目を向ける。


「あんたは、薄情だと言われたことはないか……?」


 そもそも、薄情だと思われるほどの絆を、魔女は余人と築かない。

 客とこんなにも、顔をあわす事も、会話を交わすことも、一切ない。


 前回薬を渡した時に、本気でもう無理だと感じていたのだ。

 ハリージュとこれ以上過ごすことが。


 それが、何故かなあなあに日々を過ごし、また一緒にご飯を食べている。

 離れがたく、手放しがたく、思っている。これからもずっと、こんな奇跡のような幸福な日々が続けばいいなんて、馬鹿げたことを思っている。


 この間簡単に片付けられたこのテーブルクロスを、ロゼは今度こそ、片付けることが出来ないかもしれない。


 そんなこと、魔女には許されない。


「これまで生きてきて、一度だって薄情だなんて言われたことは――ちょっと失礼致します」


 ロゼが言葉を止めたのは、チリリンと聞き慣れた音が鳴ったからだ。

 窓を覗けば、森に人影が見えた。

 二人の男が、向かい合って話をしているようだった。





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