第五章 お姫様に魔法をかけるのは魔女

第17話


 空は日に日に、雲を厚く仕上げてくる。

 毎日がどんよりとした灰色の空で綴られる。強い木枯らしが秋を連れ去り、朝のもやに冬の匂いが混じり出す。肌を刺す空気が、冬の訪れを伝えた。


 今年は客が多いので、蝋燭をもっと作る必要がある。薪ももう少し仕入れておいたほうがいいだろう。

 冬用のキルトを、どこに仕舞ったかも思い出さねばならない。


 畑に蒔く籾殻と麦藁も、街に下りて作物と交換したかった。しかし今年は村人に顔が割れてしまったので、多少面倒になるかもしれない。


 はぁ、と息を漏らせば、白く染まる。

 珍しく忙しそうに、ロゼが冬支度に駆け回る。庵の中も外も、時に地下に、時に屋根裏部屋にまで、頭に埃や蜘蛛の巣を貼り付けたまま、行ったり来たりとしていた。


 そんな最中、チリンと来客を伝える鐘の音が耳に届く。


 ハリージュがまた来たのだろうか。


 心底理解不能だが、惚れ薬をわざわざ再注文した彼は、また入り浸るようになった。


 全く意味のわからない貴族の遊びに付き合わされている気分のロゼは、近頃、嬉しさ半分怖さ半分といった思いで彼を受け入れている。


 なんというか、喉元にナイフをちらつかされたまま、カードゲームでもしているような気分なのだ。刺すならもう、ひと思いに刺してってほしい。


 長年抱えた恋はしぶとく、だからこそ根性が座っていた。

 幾度となく「もう好きでいるのは止めよう」と泣きながら夜を明かしても、毎朝ちゃんと好きなのだ。


 ロゼは荷物を抱えたまま、鐘の音に背を向ける。

 どうせ客なんか、ハリージュかティエンくらいしか来ない。

 彼らなら一人でここまで来るだろうと、ロゼは鐘の音を無視して動き続けていた。


 ようやく一息ついたころには、辺りは薄暗くなっていた。


 太陽は分厚い雲の隙間で輝き、山の縁を黄金色に染め上げる。

 人参色と、茄子色と、山梔子で染め上げた絹の色の雲が流れていく。その全てが湖に反射して、一面が鮮やかだ。

 まるで虹の中に住んでいるような気分になるこの瞬間を、ロゼは愛していた。


 空を見ながらぼうっとしていると、冷たい風が吹き抜けた。

 日が沈むのが随分と早くなった。襟元のショールをたぐり寄せ、そそくさと庵に入ろうとしたところで、ロゼは昼に訪れていた来客の存在を思い出した。


 そういえば、誰もロゼを呼び止めることはなかった。


 また獣だったのだろうか。だが、獣にとっても冬前の忙しいこの時期に、わざわざこんな所までやってくるとは思えなかった。

 では、もう一度整えさせられたテーブルで、優雅に茶でも飲んでいるのだろうかと庵の中を覗いても、誰もいない。


 やはり獣だったのか、と森の方を見ると、布の塊が桟橋に落ちていた。


 ロゼは少しの面倒臭さも感じながら、小舟を引き寄せた。疲れた体に鞭打って、茜色の湖を進む。


 森まで辿り着くと、フードを深く被り直した。舳先へさきにつけていたランタンを外し、もっこりと膨らんだ布に呼びかける。


「もし――お客様ですか?」


 声を掛けられた布は、もぞもぞと動いた。


 やはり客だったかと、ため息を呑み込む。


 鐘の音が鳴ってからは、随分と時間が経っている。基本的に送迎サービスは行っていないのだが、ずっと待ち続ける客もたまにいる。この客もしゃがみ込んだまま、待ちぼうけしていたらしい。


 魔女の秘薬は高額だ。

 その為、客の割合はほぼ上級階級がしめている。


 基本的には使用人を寄越すのだが、魔女の秘薬なんかを欲しがる物好きの中には、こうして御自ら出向いてくる物好きも存在するのだ。


 そして、そう言う物好きな客は、総じて面倒なのだ。


「ん……ようやく迎えが来たか」

 続くのは罵声か怒鳴り声か。ロゼは真顔で待った。


 しかし、布の隙間から覗いたのは、幼いが理知的な輝きを纏った瞳だった。

 音もなく立ち上がると、ロゼと目線は同じほどだった。赤い外套をずらした客が、顔を見せる。


「そなたが魔女か。客ではないが、迎え入れてほしい」


 冬の空気のように凜とした、水晶のように美しい少女だった。図々しい物言いは、香る気品にしっくりと来すぎていて、違和感もない。


 しかしその顔は青ざめ、唇は紫色に変色していた。

 長く薄着で森にいすぎたせいだろう。湖の近くはただでさえ寒く、慣れているロゼでさえ対策が必要だ。

 ロゼは微かな罪悪感に引っ張られ、少女を庵へと案内した。


「ちょっと散らかっていますが……」

 部屋の汚さについてこんな風に切り出したことは、今まで一度も無かった。

 しかし、散々引っかき回した庵はいつも以上に荒れていて、とてもではないが、一言付け足さねばならないだろうと思わせた。

 編み途中で「こんなことをしている場合じゃない!」と思い出して止めた藁の束を、足で蹴って部屋の隅に押しやる。藁がぴょいぴょいと部屋に散らばった。


 案の定、少女は玄関扉で唖然としたまま立ち尽くしている。

 しかし少女は気丈にも胸を張ると、まるで戦地に赴く戦士のような顔をして、未開の地に足を踏み入れた。


 ローブからはみ出た靴はなんと、室内履きのままだった。彼女の身近なもの達は、さぞや目を回していることだろうと同情する。


「妾のことはラウーと呼んでほしい」

 キリリ、と引き締めた顔は若干の緊張が滲んでいたが、それは魔女を侮蔑するものではなかった。


「わかりました、ラウー様。私のことはどうぞ、そのまま魔女とお呼びください」

 とりあえず彼女が座る場所だけでも確保せねばと、ロゼは室内を見渡した。


 いつもの椅子やテーブルは、”ひとまずのもの置き場”として大変有効活用されている。

 積み上がった荷物は、軽率に触れば全て崩れ落ちるだろう。今すぐ、どうにかは出来そうに無い。


 一番冬支度の魔の手が伸びていなかったのは、ロゼの寝台だった。

 上に載っていたものを適当に床に下ろすと、キルトを手で叩いた。

 多少埃は舞うが、仕方が無い。ここは魔女の庵なのだ。

 

「外は寒かったでしょう。どうぞ」

 ラウーは戸惑ったように一度視線を泳がせたが、覚悟を秘めた顔をして頷いた。

 通り過ぎ様に「神よ……」と祈りの言葉が聞こえたが、残念ながら魔女の庵まで、神は見守ってはいないだろう。


 ロゼの寝台にラウーがそっと腰掛けた。

 キルトカバーは、森の落ち葉と同じ様々な色で複雑に編み込まれている。


「……存外、悪くない」

「気に入っていただけてよかったです」

 キルトカバーは、数年前にロゼを気に入った客から、プレゼントされたものだった。

 ロゼの薬を気に入ってくれた高貴な方々の中には、こういうおまけをぽんとくれる人もいる。

 物の価値に無頓着なロゼは、使えそうなら使うし、使わなければ物置につっ込んだり、ティエンに買い取って貰ったりと、まちまちだ。


 ロゼが暖炉に薪を足している間、ラウーはキルトカバーを撫でることに全神経を使っているふりをしていたが、やがて、気まずげに口を開いた。


「……突然やってきて、驚かれたろう」

「お客様は皆、いつも突然来店されますから」


 暖炉の上に置いていたヤカンの湯と水を、たらいに入れる。丁度いい湯加減だ。戸棚から小瓶を取り出し、”デートの前に首にふりかける薬”も入れる。この薬は、ほっとするような、いい匂いがする。


 湯気の立つたらいを、ロゼはそっとラウーの足下に置いた。

「少し、失礼してもよろしいでしょうか?」

「よい」

 出鼻を挫いてしまったかもしれないが、そんな空気は微塵も見せずに、ラウーは頷いた。


 ロゼはそっとラウーの足に手を伸ばす。泥や草の汁で汚れきった室内履きを、そっと脱がせる。

 装飾に重きをおいた美しい室内履きは、冬の森からラウーを守るには少々力不足だったようだ。

 ロゼの予想通り、爪の一本まで美しく整えられた足だったが、色は暖炉の灰よりも白かった。所々うっ血したように紫色になっている。


 普段なら知ったこっちゃないが、若い女の子が一人でこの痛みに耐え続けるのを傍観するのも、後味が悪い。それに、長いこと外で放置してしまっていた罪悪感にも勝てそうに無い。


「随分と寒かったでしょう」

 青白いラウーの足をさすりながら、たらいにはった湯に浸ける。反対の足も同様に湯に入れると、すぐに湯が冷めてきた。

 コップに熱い湯を注ぎ、たらいに足す。じんわりと足が温もったことで人心地がついたのか、ラウーの頬にも赤みが戻ってきていた。




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