第2話 私は動かなくても周りは動く
サザエさん症候群という言葉を生み出した人は天才だと思う。仕事に行くのは嫌だという気持ちを上手く代弁している。月曜日の朝、乗客たちの顔はほとんど悲愴感に溢れている。そんな顔を見ていたら私の気持ちも急降下してしまう。満員電車に揺られながら、ただただ窓から景色を眺める。
週末で私以外の4人は作品を投稿していた。ブックマークや感想を貰っている作品も結構あった。対する私は、1文字も書けなかった。プロットがどうとかあらすじがどうとか、そんな話以前に何も思いつかなかった。何をしているんだろう。置いてかれてしまう。そんな気持ちはあったが、焦るだけだった。
「今日やることないから昼休み長めにとっても良いよ、本読んだりパソコンでネットサーフィンしたり、ここに居てくれるなら好きにして。僕も1時半くらいまで上に居るから」
「はい」
正午になり鳩時計が鳴ると社長はいつも通り2階の自宅へと向かった。きっと奥様の手料理を食べるのだろう。相変わらず仲が良い夫婦だ。スマホを開くと彼氏からメールが来ていた。週末は小説を書くことで頭がいっぱいで連絡を疎かにしたことが不服だったらしく、かなりご機嫌がナナメなようである。メールを開くとすぐに電話がかかってきた。
「夜電話できる?」
「なんで?」
「週末のデートの予定を話し合いたいんだ」
「わかった、8時くらいなら大丈夫」
「じゃあその時かける」
メールでも良かったのに電話をかけてくる時は、だいたい彼氏が寂しがっている時。以前ネット記事で見たうさぎ系男子という言葉がピッタリ合う男だ。この言葉を生み出した人物も天才だと思う。対する私は、何系女子だろう? 少なくともうさぎ系やいぬ系ではないことは分かる。ねこ……いや、ねこもないな。
「ペンギン系なんてピッタリよ」
「そうだな、彼女にしたい感じが合っている」
「社長、奥様、私はそんな立派な性格していません」
1時過ぎに仲良く降りてきた社長夫妻は年齢は50代なかば程だが見た目で判断できないほど若く、私やそれより下の現場の人たちが話す言葉にも興味津々である。これくらい色々興味津々だったら小説のネタもバンバン浮かぶのだろうか。そんなことを考えて気持ちが落ち込みかけたので、頭から小説の話を振り払う。
「あいつはねこ系だな」
「そうね、あの子はねこね」
あいつ、とは夫婦の一人娘である。旦那さんの転勤を機に本州へと移住したそうで、私の仕事の前任者である。お会いしたのは業務の引継ぎをした時だけで、あまりこちらには帰ってこないようだ。社長は娘さんの話をする時に悲しい顔をする。きっと定期的に帰ってきて欲しいんだと思う。
「そうだ、前君が貸してくれた本読み終わったんだ。今持ってくる」
私も忘れているくらい前に貸した本を取りに、社長が小走りで階段を上っていく。奥様いわく、年末の大掃除で見つけて出張の移動間にせっせと読んでいたらしい。急がなくても良かったのに、と思いつつ好きな作品の感想が話せる相手が増えたことを嬉しく思った。午後はずっと本の話だろうか。
小説や新書の話は大好きだ。大学で専攻していたのは近代文学で、在学中は毎日明治から昭和にかけての作家の小説を読んでいた。結果、現代作家は読まなくなってしまったが、就職してから少しずつ大学に居る間に話題となった作品を読み進めている。本屋さんに入ってすぐの話題の小説の棚は素通りして、事前に買おうと思っていた本の置かれている棚へと歩みを進める。目的もなく歩くのは昔から苦手で、本屋は特に情報の海に溺れそうな感じがして嫌だ。
「ウェブ小説の短編沢山読んでみれば? 俺も暇な時に探して面白そうなの送るから」
「ありがとう、確かに色々読んで感想を直接作者さんに送るの楽しそうかも」
「作者と読者の距離感が近いのがウェブ小説の面白さだと思うよ。反対に、悪い点でもあるけど」
彼氏が自他共に認める本の虫で、私と付き合うまで休日ずっと図書館に引きこもっている生活だったとは聞いていたが、ウェブ小説にも手を広げているとは思わなかった。女子会で話題に上っていた異世界転生というジャンルの話も色々聞かせてもらった。心強い相棒ができた気分だ。
「俺を頼ってくれて嬉しい。作品出来るの楽しみにしてる」
彼氏には「新刊の辺りをウロウロしていればインターネット上の投稿サイトが原作の本と出会えただろう」と言われたが、送られた表紙の画像を見る限り書店に置いてあっても漫画かなと思って素通りしていた気がする。周囲から全く理解されないが、漫画はコマの進み方が分からなくて読んでいても内容が頭に入ってこないのだ。
次の日からずっと電車の中や昼休みはせっせとネット上の小説を読み歩くようになった。情報の海に沈んでいる感じがする。やっぱり苦手だ、落ち着かない。だが、書くための勉強というなら仕方がない。面白いと思ったものには積極的に評価をつける。面白くないと思ったものは、ノートにまとめてどこが面白くないと思ったのか分析した。設定が理解できないのか、会話が多いのか、誤字が多すぎて見る気が失せるのか、面白くないと思う要因は多岐に渡るようだ。
バレンタインデーは木曜日だったので、翌日金曜日に晩御飯を食べに行くことになった。私も彼も食事にお金をかけることに対して抵抗を感じる人間なので、中高生がよくいるようなお店にいつも行く。今日は相手の職場から近いハンバーグレストランにした。
「何か思いついた?」
「全く」
「次の女子会22日だよね? まであと一週間だよ」
「……無理な気がしてきた」
頭を掻きむしっていると「その癖直そうね」と優しい声で言われる。直せたら苦労しないよと言い返したくなったが、会って早々喧嘩したくないので水を流し込んでその言葉もどこかに流した。
「その様子だとネタも浮かんでないんだね、もう書けないって連絡したら?」
「いやぁ……空気壊す感じがして言えない」
「そういう所で無理しちゃ駄目だよ、お酒のノリで趣味で楽しくやるために始めたんでしょ?」
「分からないかもしれないけど女性の集団って怖いよ」
「それ4年間女子大に通ってた人が言っても説得力皆無だよ?」
「お待たせしましたー!」
元気に店員さんが登場する。相手はハンバーグにカレーがかかっているもの、私は大根おろしがハンバーグの上にのっているもの。たまに相手が食後にデザートを頼むことがあるくらいで、だいたい同じメニューを頼む。
「ねえ、俺は君と結婚したいと思ってる」
「……あの、ちょっと待って。なんでここで?」
「変に高いお店とか予約したら分かるでしょ? 本当はもう少し後にしようかと思ったけど、ちょっと気分が変わった」
「気分……?」
「今プロポーズしたタイミング、場所は世間的なカップルではありえないでしょ? どこかの芸能人カップルはプロポーズのシチュエーションが気に食わなくて何回も断ったって言ってたくらいだし。この世間的にはあり得ないプロポーズをされて思ったこと、本当ならどんなプロポーズをされたかったか、考えて小説にしてみたら良いんじゃないかな」
彼はそう言うと、何事もなかったかのように手を合わせてからご飯を食べ始める。私も慌てて手を合わせ、中央のケースに入っているフォークを手に取る。
そこから何を話したか、どうやって家まで帰ったのか、全く覚えていない。お酒を一滴も飲んでいないのに。びっくりしすぎたんだろうか。携帯を見たら「小説書き終わったらプロポーズの答え教えてね」とメールが来ていて、なんと返信したら良いか分からずメールの画面を閉じた。あれ、本気だったんだ……。
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