Never.
豆崎豆太
プロローグ
神の存在証明
神の存在証明というものがある。
地域や個人によって信仰の程度に差はあれど、話題としては世界共通と言っても過言ではないだろう。神の多い国はあれど――アジアのどこかの国には数え切れないほどの神がいると聞いた――神のいない国はない。
「神様」
男が絞り出した言葉に、その場の誰もが失笑をこぼした。男の言葉がどこの国のものなのかは誰も知らないが、「神様」という単語だけはわかる。どこの国の人間も、死の危機に瀕して溢れるセリフは皆同じだ。
神とかいうものがいたとして、それが男の味方でないことは明白だ。神が男の味方だったとしたら、男は無事に逃げ切れたはずだろう。あるいはもっと前の段階で救済されている。男は古い友人の頼みで借金を負い、そのまま友人に逃げられ、膨らんだ借金に首が回らなくなって逃げ出したはいいもののすぐに借金取りの手にかかり、気丈にもそこから逃げた先で――道を塞ぐ集団の中にいた彼女を突き飛ばした。
「おやめなさいな、人の信仰を笑うなんて下品なこと」
男たちの背後で、先ごろ男に突き飛ばされた一人の女が表情を歪めた。黒く豊かな髪、すらりと通った鼻筋、艷やかな唇。そこだけ鋭利な刃物で切り裂いたかのような切れ長の目には、短く揃った睫毛がびっしりと並ぶ。スーツをまとう男たちの中にあって、ドレス姿の女はひときわ目立っている。
女はそのまま命乞いする男に近寄ると、膝を揃えてしゃがみ、当惑と恐怖が揺れる男の目を至近距離で覗き込んだ。細い指が男の荒れた唇をなぞる。
「うちの子たちがあなたの信仰を笑ったこと、本当にごめんなさいね。悪気はないのよ」
もちろん、男には何ひとつ伝わらない。なにしろ言語圏がまったく違うのだ。ただその優しげな微笑みと甘やかな声に救命を期待したのだろう、男の表情がわずかに緩む。
「でもひどい神様だわ、あなたがこんなに願っても命ひとつ助けてくれないなんて」
もしも本当に神がいるのなら、男がよりにもよって彼女を突き飛ばすような自体にはならなかったはずだ。何しろ彼女は男に金を貸し、借金のカタに誘拐して売ろうとしたマフィアのボスその人なのだから。
「さよなら。次は信じる神を間違えちゃだめよ」
そう言って踵を返した女の背後で、乾いた銃声が響いた。
「
「そうねえ、大した失態でもないし、かといって罰がないのも――夕飯抜き、ってところかしら」
「了解」
神がいるかどうかは、誰も知らない。
マムと呼ばれた女は思う。
――こんな街でいちいち命乞いなんて聞いてたら、きっと神様だってカローシしちゃうわね。
天上で電話対応に追われる「神様」の間抜けな姿を想像してみて、女はひとり笑みを零した。
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