第60話「森の中で泳いでいるニシンの数と同じほどさ」
出現した瞬間から、何もかもが変わったという程ではない。
時折、
その鋳つぶしていたコインやメダルを遺跡と結びつけた者が誰かは、伝わっていない。
遺跡から精剣が出現した時も、特段、優れたものではなかったといわれている。最初に出現したのがLレアやUレアだというのならば兎も角、大多数はノーマルだ。ファンの
違ったのは、レア以上の精剣が戦場に投入されてからだ。
騎馬に乗って疾駆する騎士が、か細い精剣から放たれた火球で、
精剣の格が上がるにつれ、その威力、規模は大きくなっていく。
エルフの魔道士が操る魔法でも、このような事は不可能だった。
倒せるのは騎士だけでなく、馬や牛でも持ち上げられる屈強なドワーフであっても同様。
それらを思い出しつつ、ミョンは杯を傾けながら
「25年か……」
今、並々と杯に注がれている酒は、ドワーフが
「長いようで短かったという事だろうな」
ムンも酒杯を傾けた。強いだけの酒だといわれるのだから、手っ取り早く酔えればいいというミョンとムンには丁度いい。
精剣が出現し、大帝家が戦乱を収めるまでに必要とした月日が25年だった。
人が生まれ、長じるまでよりも長いのだから、ミョンとムンが生まれた頃には状況が変わっていた。
精剣を持っていても、手柄を立てる戦場がない。
杯をテーブルに置きながらミョンから出る言葉は、いつもひとつ。
「生まれた時が悪かった」
常に溜息と共に出る。
成る程、確かに精剣が出現した時期と同じくして生まれていたならば、それだけで仕官も出世も道が
そしてムンの出身であるフリーデンスリートベルクは、始世大帝の第十子が治める地であるから、非常な名門が治める地だ。今の三世大帝から見れば叔父でもあるから、その権力は絶大。
時代さえ、とムンが思うのも無理はない。
歴史的にも、フリーデンスリートベルクは名僧が立てた大学があったり、また西の皇帝領にも近い事から、宰相時代から様々な人や物が集まってきた。
大学で学び、精剣を持つ身であるのに仕官すらままならない――ムンのプライドを酷く傷つける現実があった。
その現実をもっと酷いものにするのが、宰相時代以前からフリーデンスリートベルクに存在するエルフの集落である。
エルフやドワーフは今や
精剣の出現が変えたのは、戦場だけではない。
エルフが身に着けた魔法も、ドワーフが作る武具も必要性がなくなる。
それは即ち、人間の生活圏、経済圏がエルフやドワーフの圏内を侵す事に繋がり、宰相時代、一度は国内を全て平定した宰相は、エルフの征伐に乗り出した。精鋭を維持するために戦争が必要だったのだといわれているが、事の起こりや経緯は学者が追い求める事であり、大多数の者には関係ない。
結果、エルフは精剣の前に惨敗し、それ以降、エルフは被差別階級に落ちた。
それが二代目宰相を打倒した大帝家の政略により、エルフは保護されている――そういう事実はないのだが、少なくともムンはそう信じている。
「人には制限されている座や講が、エルフやドワーフというだけで制限を受けない。それは税を納めなくてもいいという事だ。自治を認めている事もそう。一体、犯罪者の何割が身持ちを崩したエルフだというんだ」
安酒の酔いは早く回り、それだけムンを饒舌にしていた。
「犯罪者、ホラ見た事か耳が長い」
ミョンも酔っていた。出来が良いとはいえない冗談に、二人共が大きな笑い声を上げたのだから。
ミョンが生まれたのは、北の果てにあるノートメアシュトラーセ。生家は漁師をやっており、ニシン漁で財を成した。とはいえ、このノートメアシュトラーセも歴史的に見れば、大帝家の経済的な侵略を受け、何度も叛乱が起きた土地でもあるが。
その二人にとって精剣とは、剣士とは――、
「まず精剣を手に入れ、大学に進み、精剣スキルを使いこなす術を習い、仕官して、仕事を熟しつつ出世の機会を伺う……こんな当たり前の事すらできない時代なんてのはなぁ」
ミョンがいうのは勤め人だ。
だが現実には、剣士という職業は有り得ない。
剣士とは、精剣を操るものを指す言葉であり、肩書き自体には仕事を得る効力は皆無なのだ。
しかし、それを文治主義への転換、また座や講を持つエルフやドワーフへの責任転嫁をしている二人は、今の世の中では当たり前の存在である。
格の高い精剣を持っている剣士に仕官の口があるのは当然であり、それがないのはおかしいと考えているからこそ、フミのような領主が現れ、ユージンの村は荒れ果て、インフゥの村は隣人同士で
それに二人は気付かない。
いや、気付かないといえば、もう二人。
「その通りだな」
店内に入ってきた男に、ムンが顔を向けた。
「クー・メーヘレン」
ファンにメーヘレンと呼ばれた男は、大股に二人が座るテーブルに近寄ると、ミョンが傾けていたグラスに残っていたエール酒を煽った。
そして遅れて入ってきた男に向け、ムンが残していたグラスを投げ渡す。
「ファル・ジャル」
ムンにジャルと呼ばれた男も、同様にグラスに残っていた酒を飲み干す。
「割と諸侯は上覧試合の誘いを断ってるらしいが、来るらしい」
ジャルはハンと笑い、
「ベアグルントからは、伯爵自らが来る」
それは大公が狙った不穏分子が網にかかった事を意味した。
即ち上覧試合は確実に行われる。
だが4人にとって、上覧試合の意味など上辺をなぞっただけに過ぎない。
「ベアグルントは南の要衝。仕官できれば……はははッ」
笑うジャルは、やっと本来の自分を取り戻せる、と感じていただろう。
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