第44話「月の光の照る辻に ピエロさびしく立ちにけり」
旅芸人という存在は決して歓迎だけされる存在ではない。夜盗が
遊牧の歴史を持たず、農業、漁業を基幹に持つこの国では、定住しない者の信用は低い。
故に牧場主を前にして、エルは恭しく一礼している。
「そういう意味でも私たちの仕事は、その土地土地に住んでいる方の善意で成り立っています」
二人が旅芸人を続けられる最大の理由は、顔役への繋ぎを得意とするエルの存在だ。
――殺し屋みたいな目をしてるっていわれるッスからねェ。
ただ頭を下げているファンは、自分が対外交渉に向いていない事を自覚している。一重瞼で切れ長の目は、よくいえば涼しげだが、悪くいうならば剣呑だ。しかも容姿が優れているとはいえないのがファンの欠点でもある。
「いいえ。大切な事だと心得ていますから」
牧場主は柔和な笑みを浮かべ、一礼で返した。
「この村は、皆で一から開拓してきた歴史があります。戦乱の時代を乗り越えた今、失ってきたものを取り返す必要があると思っているのです」
「失ったもの……ですか」
エルが聞き返すと、牧場主は「左様」と頷き、
「
所有する土地の拡張をいっているのだろうが、エルもファンも冷ややかな視線などは送らない。
「立派な村だと思います。今まで方々を回ってきましたが、広く豊かな牧場をお持ちです」
エルの言葉は、媚びるような態度は潜めさせている。
広く立派である事に間違いはなく、また牧場主から次に出て来た一連の言葉は、真意を疑わなければ正しいからだ。
「もっと開拓を進めていかなくてはなりません。経営を大きく広げる事で、村が潤う事になる。悲しいかな、開拓民との衝突は少なからずありますが、耐える事も正義であると思っています」
「失われた豊かさ、ですか」
エルが
「それだけではありませんよ。諸悪の根源を、私は貧しさだと考えているからです」
椅子から立ち上がった牧場主は、さっと窓の外を示した。
「懐が貧しければ、人は他人から食事を奪います。心が貧しければ、人は他人から尊厳を奪うのです。故に――」
ファンとエルを振り向く牧場主。
「旅芸人には、人の心を豊かにしていただきたいのです」
牧場主の言葉は、ファンが常々、口にしているものと同じだった。
「それは重要な事と心得ています」
「自分たちも、そう思って回っています。戦乱で赤茶けた土地を街や畑にする人の、煤けた顔を笑顔にしたい。そうしなければ、この国は本当に終わってしまう、と」
双方共に、この言葉だけでは理想論に過ぎない事は共通している。
「素晴らしい」
牧場主が何を感じて柏手を打ったのかは分からない。
「そういってくれる方には、寧ろ興行をお願いしたい」
「有り難い事です」
もう一度、一礼して退出しようとしたファンに、牧場主は玄関まで送るという。
「もう陽が陰り始めています。山村の夜は早いですよ」
廊下も薄暗いから気遣いだ、と牧場主はいった。
――すべき事はするようですね。
その態度に、エルは内心、感心した。ただただ自分の土地を広げればいいというだけの野心しかないならば、旅芸人の二人など女中にでも任せてしまえばいい。しかし、そうしなかったのは、主自らが玄関まで送り出した方が器の大きさを示せるからだ。
「本当に大きな牧場ですね。何を飼っているのですか?」
そんな廊下を歩きながらファンが出したのは、少々、意地の悪い質問だったはず。この牧場で飼っているのはオーク――などとはいえない。
一瞬、牧場主も返事に詰まった。興味を持たれると思っていなかった訳ではないが、ファンが質問したタイミングは妙な具合にズレている。
「豚ですよ」
回答は廊下の向こうから聞こえてきた。
視線を向ければ、長身の男が一人いる。
「ああ、牧童頭の――」
牧場主が紹介しようとしたが、牧童頭の方が会釈して名乗った。
「ヒルです」
ヒルと名乗った男が不気味に映ってしまったのは、廊下が暗いから、という理由だけではなかろう。
――
ファンが直感した。牧童頭という事はまとめ役という事だ。最も優れた精剣を持っていると考えて間違いない。
「今度、興行させていただく事になったエルと申します。こちらはファン」
エルが口を挟んだ。
「よろしくお願いします」
挨拶するヒルの目は笑ってなかった。
「牧場では主に豚を飼っています。牛は特別な日にしか食べない。鶏は卵を産む、別の意味でも貴重な動物ですから。何でも食べて多産な豚は、養殖するには丁度いい」
ヒルのいう事は理に適っている。
「成る程。海ばかりの所から来たから、今ひとつわかっていなかったみたいッスわ」
ファンは戯けて笑ったが。
「どこから来たんですかい?」
「ドュフテフルスです」
エルが答えると、ヒルは「ドュフテフルス!」と大仰に両手を広げた。
「ドュフテフルスの男に、トゥーゲントインゼルの女。リーベスプリンツェッシンの魔術師、ホッホヴィッセンの剛戦士。大戦中の歌にもある」
「それは、ドュフテフルスの男はノンビリしているから、争い事には向かないって意味ッスよ」
ファンは苦笑いした。そういわれている事は確かだ。
「そうなのですか? てっきり、強いんだとばかり」
「いえいえ、そんなそんな……。第一、強いというのならば、ホッホヴィッセンの剛戦士という所、おかしくなってしまうッス」
ファンの返しに、ヒルは「それもそうですね」と笑った。
「どういう意味のある言葉なのですか?」
牧場主が訊ねると、今度はエルが苦笑い。
「ドュフテフルスの男は争う事が嫌いなのんびり屋の優しい人が多いから、婿を取るならそれがいい。トゥーゲントインゼルの女は働き者で男を立てるから、嫁に迎えるならそれがいい。リーベスプリンツェッシンの住人は凝り性だから、難しい魔術書を読ませると分かるまで勉強するから大成しやすい。ホッホヴィッセンは大酒飲みで乱暴者も多いけれど、涙もろくて人の情に篤いから、戦士になれば強い。そういうような意味です」
エルの出番がない例え話である上に、ファンの気質は、この例え話から解離しているのだから、苦笑いが出てしまう。
「それは頼もしい。興行でも、争う事よりも、優しさを見せて欲しいです」
「はい。全力で」
牧場主に微笑みかけ、エルはファンを連れて屋敷を辞した。
「……争う事より、優しさを……」
二人の背に向かって、ヒルは思わず笑ってしまった。
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