#38 フォーリナーズ・バイス


「ウロギリさん。彼をお願いできますか」


「……まあ、戦闘力順ならば拙者が補欠か。承った」


 俺とは異なる世界の、俺とは違うひとたちが、遠いところで何かを話していた。もはや俺には関係のないことを。


「しかし、実際勝算はあるのでござるか? いかにアイリスどのといえど、あんな輩を正面きって相手取れるとは思えんでござるが」


「いや。いかに操る能力が複雑多彩だろうと、源となる魔力や生命エネルギーはけして無尽蔵ではない。ここで我々が総力をもって追い詰め削りきれば、逮捕はけして不可能ではないさ」


 偉い誰かがそう言いながらドンと胸を叩いたが、本当にそうだろうか。魔法やスキルの中には、相手からエネルギーを奪い吸い取るたぐいのものもある。それが複数の能力臓器によって強化されたとしたなら。


 ……もういいや。俺が考えても仕方がない。

 俺はもう、彼らと一緒にはいられない。もう仲間じゃいられない。俺には今度こそ何もできないし、する資格もない。

 なのに俺は未練がましくも、ナイトラスとともに去りつつある彼女の背中をぼんやりと見つめていた。

 彼女はアイリスなのか、それともアルティアなのか。確かなのは彼女が俺にとって大切であったということだけだ。ずっとずっと憧れていた。逢いたいと思っていた。短くも決して忘れられない日々を共に過ごして、今は言いたいことがたくさんある。

 遠のくその背中に、思わず震える手を伸ばしてしまう。けれど届かない。彼女はまた、遠いどこかへ離れていく。幻想なんかじゃないとわかっているのに。彼女は間違いなく、俺と同じこの世界に生きているのに。


 ――離れたくない。


 そんな身の程知らずな願いが胸に湧いて、俺は自分で自分に呆れ果てた。

 アルティアは両脚からブースターを吹かすナイトラスに乗って天井の亀裂へ飛び込み、視界から消えた。


 ――俺も、行きたい。彼女と、一緒に。


 その姿を見届けたあともまた、泡沫のように意味のない願いが湧き上がる。

 だけど、こんなのは無駄なんだ。

 今から彼女はカノプスと戦うんだ。そこに俺がいたってなんの意味もない。戦えるような力はない、もうどんなオタク知識だってあのチート野郎には及ばない。遠野観行はもう盾にもならない役立たずなんだ。足を引っ張るのがいいとこだ。


 ――それでも、守りたい。


 ……無理なんだよ。俺には何もできない。だいたい腹を刺されてるんだぞ。こんな状態でまともにものを考えられてる時点で御の字だろ。

 身の程を知れ。俺は――おまえは何者でもない。彼女を守ることなんてできない。おまえの役目は終わったんだ。


 主人公になんて、なれるわけがないんだ。


 ――それでも。俺は彼女が大好きだから。


 何度潰しても、何度正論をぶつけても、その思いは絶えることなく胸の底から湧き上がってくる。もう泡沫どころじゃない。今やそれは厄介極まる灯火になりかけていた。

 それがあまりにも眩しくて、痛々しくて、格好良すぎて、何者でもない自分にはそぐわないものだから、俺は思わず床を殴りつけて叫んだ。


「ああもう! 全部無駄だって言ってんだろ!!」


「観行どの……?」


 手早く医療器具を用意してくれたウロギリさんが怪訝そうに俺を見るが、ちょっと今は放っておいてほしい。そんな場合じゃない。

 俺は諦めなくちゃいけないんだ。俺にはもうアイリスのそばにいる資格はない。もう何の力にもなれない。だから殺さなくちゃいけないんだ。この期に及んで何者かであろうとする俺自身を。


 ――大切なものを守れ。今度こそ、諦めるな。


 心が叫び訴えてくるそれがあまりにもやかましいものだから、俺はいつしか声に出して呟いていた。


「だって、俺は。俺はみんなとは違うだろ。主人公なんかじゃない。特別な力とかないだろ。神様みたいな誰かが選んでくれたわけでもない!」


 そうでもしなければ、俺の体は動いてしまう。今の自分の気持ちに従って戦ってしまう。何かをしようと、無様に挑んでしまう。


 動いてはいけないんだ。俺が行っても間違いなく何の役にも立たない。


 なぜなら俺は、何者でもないから。


「俺は普通の人間なんだ。どこにでもいるような奴って意味じゃない。平均より下、悪い意味での普通だ。俺なんかに、何も、できる、わけが……」


 ――だけど。それはきっと、アイリスも同じだったはずなんだ。


 心の声にはっとして、俺は夢から醒めたように顔を上げた。

 そうだ。アイリスは決して特別な主人公なんかじゃなかった。そりゃ初期設定の違いは色々あって、俺なんかとは比べものにならないくらい強い女の子ではあった。

 だけど俺は知っている。彼女だって辛いことがあれば当たり前に傷つく。カノプスを追いかけて戦う中で傷だらけになって、いつか自分で叫んだはずの大切なものさえ見失いそうになっていた。

 その本質は、その弱さはきっと。俺が持っているものと、さして違わないはずなんだ。


 ……だったら。俺とアイリスとの違いってなんだ?

 何者でない俺と、鉄騎姫アルティアは――アイリスは、何が違う?



 ――決まってるだろ。生まれ持ったチート能力。竜の力。生まれた世界。恵まれた容姿。俺と彼女は何もかもが違う。


 心の中の俺がせせら嗤って囁いた。やっぱりアイリスと俺は違うのだと、彼女が彼女である本質はそれなのだと決めつけて、何かを諦めさせようとした。

 よく見れば俺と同じ顔をしているそいつを、アイリスを侮蔑するそいつを、しかしもうひとりの俺が思いっきりぶん殴って否定する。


 アイリスはそんなに弱いやつじゃない。

 力がないからって、何もしないようなやつじゃない。


「そんなの、何もしない言い訳だ」


 いい加減血を流しすぎていたせいか、口からそんな言葉が不意にこぼれて――俺は、やっと気がついた。

 いつものように今さらに。もっと早くにわかっておくべきだった大切なことに。


 ――――言い訳。


 そうだ。

 言い訳をして逃げてきた俺と、立ち上がって戦い続けたアイリス。

 二人に何か違いがあるとすれば、俺に何か足りないものがあるとすれば、きっと答えはそれだったんだ。


「……そうだ。俺は、いつもそうやって、自分に何もないからって……」


 俺はいつも言い訳を重ねてた。自分には何もできない。何者でもない。そう言い張って、自分から何者にもならないことを選び続けてた。

 現実に抗うことなんてどうせ無理だと諦めて、物語と現実は違うんだと諦めて、自分は主人公なんかじゃないんだと諦めて。すべてに言い訳をして背を向けたその果てが、あの暗い引きこもり部屋だったんじゃないか。

 そのうち自分の存在すらも嫌になって、それでも何かになりたいって願いは棄てきれなくて、都合のいい異世界転生を求めるようになった。チートでハーレムな夢物語に逃げようとしたんだ。


 本当に大切なものが、欲しいものがなんだったのかも忘れて。


 異世界転生が現実にあると知った後ですら、俺は自分にできることを放棄し続けていた。遠い日にアルティアから受け取って胸に抱き止めたはずの大切なものを、俺は愚かしくも彼女の目の前で否定してしまったんだ。


「ああ、そうか。やっと、わかった」


 俺は何者でもないんじゃない。何もできないってわけでもない。



 俺は、ただ――――だけなんだ。



 アイリスに初めて出逢ったそばから手錠をかけられたあの日、俺は思った。俺が願う異世界転生とは、そんなにも重い罪だったのかと。

 でも、きっと答えは違うはずだ。

 転生を望むことも、遠くの世界で生きてみたいと夢想することも、実際にそうすることだって、きっと罪なんかじゃない。

 自分が生きていることを諦め、嗤い、言い訳の果てに棄てようとすること。

 ただそれだけが、俺という転生者の罪フォーリナーズ・バイスだったんだ。


 罪は償わなければならない。

 アルティアに、アイリスに、捜査局で出逢ったみんなに。何よりも自分自身に。

 だから、俺は立ち上がらなくちゃならない。戦わなくちゃいけない。自分にできることを、もう二度諦めたりなんかせずに。

 行ってしまったあいつはずっと憧れたアルティアで、だけどそばにいたアイリスでもあって、どちらにしてもこの残酷で退屈な世界の住人で、俺の大切な仲間だ。


 だから、守りたい。助けたい。救いたい。一緒にいたい。

 俺は両手両足を床に突っ張って立ち上がろうとした。だけどやっぱり傷と出血はいかんともしがたいようで、無様に床に転んでしまう。


「ちょっと、観行どの!? 先刻から何を……」


「ちょい待ち。今立ちますから!」


 俺は心配するウロギリさんを手で制して、もう一度床に膝をつく。近くの瓦礫にすがりついて、ふらつく足に思いっきりの力を込める。


 この世界は残酷で退屈だ。どこまで行っても、ロマンあふれる異世界まで行ったとしても、やっぱり辛いことや目を背けたくなるものは山ほどあるのだろう。

 

 それでも。

 喪くしても。壊されても。弱くても。それでもきっと、俺たちは。この残酷で退屈な世界で傷だらけになって、自分自身の主人公をやっていくしかないんだ。

 

 アイリスがそうだったように。

 

 あいつの姿が脳裏に浮かぶや、体中が熱くなる。力がわいてくる。俺はやっとのことで立ち上がって、ウロギリさんに向き直った。


「俺に考えがあります。うまくいけば、カノプスを倒せるかもしれない」


 奴のチートに満ちた肉体を目にして、ひとつだけ浮かんだ考えがある。それが真剣なものだと伝えるために、俺は彼の目をまっすぐに見た。けれどウロギリさんは厳格に反論した。


「観行どの。これはもはやレプリカ作戦ではない。おぬしがやるべき仕事はとうの昔に終わっておる」


「かもしれない。ですけど……」


「――おぬしが決めることではない!!」


 力強い叱咤に身を打たれて、思わずよろけた。ウロギリさんが声を荒げるのなんて初めて見た。きっと俺はそれくらいにバカなことを言ってるんだろう。

 だけど、譲れない。譲るわけにはいかない。


「よいか。観行どのと拙者らとは違う。戦場に身を投げたところで――」


 耳に痛く突き刺さるそれは、きっと真剣に俺を案じての言葉なのだろう。だけどそれをひとたび俺の弱い心に受け入れれば、また何もしない言い訳に化けてしまう。

 

 だから俺は無理矢理に叫んで、子供みたいなワガママを押し通した。


「違わない! 俺は俺にできることをするだけだ! 大切なもんを守るために!!」


 ああ、どうしようもなくクサくて恥ずかしい台詞だ。いかにも主人公が言いそうなカッコつけた台詞だ。何のヒネリも芸もない。

 だけど、今ならわかる。物語の住人たちが幾度も叫んできたそれは誰にも特別なことなんかじゃなく、サムい絵空事なんかでもない。

 まだ何者でもない俺が口にしたって何も恥ずかしくはない、どこにでもあるような当たり前のことなんだ。


 ウロギリさんは忌々しげに舌打ちして、それから長い溜息を吐いた。 


「……ああ、まったく。思うに観行どのは、長いこと拙者らの中に居すぎたのでござるな」


 確かにそうだ。もしもアイリスたちと出逢うことがなかったなら、俺はこんなバカにはなれなかっただろう。


「……まあ。そこまで言うならば、聞かせてもらうでござるかな」


 二カッと微笑んだウロギリさんに、俺は最後の切り札を手短に説明した。

 もっとも、大したネタじゃない。これまでたびたび役立ったオタク知識だって関係ない、とてつもなく単純極まる、稚拙と言ってもいい作戦だ。

 一通り聞き終えたウロギリさんは、俺の期待に反して難しい顔で唸った。


「見込みはあるでござるな。しかし……その体ではどのみち長くは保つまい」


 ……そうだよな。それが最大のネックだ。

 もうだいぶ血を流しすぎている。まだ意識こそ明瞭だが、歩くことすらままならない。今は瓦礫を支えになんとか立っているだけだし、それでも痛すぎて泣きそうだ。というか現在進行形で泣いている。

 ウロギリさんが広げた応急処置キットの中に輸血液のたぐいはない。ここで施せる処置といえば、止血と包帯ぐらいのものだ。


「それでも、俺は……」


 言いかけた俺を、ウロギリさんは「まあまあ」と黙らせて、崩壊した薬剤精製プラントの一角を指さした。つい先ほど、カノプスが目覚めたカプセルを。


「観行どの。生まれ変わる準備はできているでござるか?」


 そばに横たわる、遠野観行の体を。




 ……妙な気分だった。

 俺はカノプスがそうしたようにヘッドギアをかぶって、ウロギリさんが何やらカプセルを操作して。

 すると次の瞬間には俺はカプセルの中に寝かされていて、外を見るとまた俺がいるのだ。腹を刺されて死んだように横たわる、ついさっきまでの遠野観行が。

 いや、中身が抜けているのだから、もう死んでいるようなものなのか。

 自分の死体。足元に横たわるものがすでにそうなのだと悟ると、言い知れない気持ち悪さが喉までこみ上げてきて、危うく吐き戻しそうになる。

 目を背けたい衝動をねじ伏せて、そばにかがみ込む。やはり、どう見ても遠野観行の死体だった。捜査局での日々を過ごした俺は、今やどうしようもなく死を迎えていた。顔の筋肉はだらしなく緩みきり、四肢は糸の切れた人形みたいにねじれ、腹からは血と臓物の臭いを漂わせて。


 今まで転生を夢見てこそきたけれど、真剣に考えたことはなかったかもしれない。

 

 人が生まれ変わるということは、一人の人間が死ぬことなんだ。


「……ごめんな」


 魂のない肉体だと、さっきまでは自分だったモノだとわかってはいても、そう謝らずにはいられなかった。

 この肉体に限って言えば、俺が殺したようなものだ。俺はカノプスを倒すために肉体を捨て、俺自身を殺した。それまで自分だったひとりの人間を。それもまた、忘れてはいけない俺の罪だ。


「観行どの」


 準備を終えたウロギリさんに急かされ立ち上がると、膝がバキッと鳴って痛んだ。

 久々に戻った地球人としての肉体はやたら使いにくい。長いこと外に出ずに引きこもっていたせいだ。運動不足ってやつはここまで健康に悪いものなのかと、まだ十代なのに年寄りじみたことを思わされる。


 とはいえ充分だ。カノプスを倒すのに、優れた能力やスキルや魔法なんてものはいらない。何より、そのたぐいはもう充分すぎるくらいにもらってきたんだ。

 アイリスと、捜査局のみんなと出逢ったこと。

 それがきっと、俺という転生者に与えられた運命チートと言えば奇跡チートだったんだ。


 だから、あとはただ。残酷な必然がひとつあればそれでいい。


 俺は最後の戦いに向かうべく走り出したが、やっぱりすぐに息が切れた。

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