#28 魔王が消えて、そのあと
「――アイリスさんってさ、ドイツのひと?」
「残念。違うわね」
「じゃあさ、ここでまさかのセーシェルってのは」
「違う。というかそれ、国名なの?」
「アフリカの島国。あー、だったらアラスカもコスタリカも違うよな……」
え。俺がアイリスと並んで廊下を歩きながら、何をしているのかって?
あえて言うならこれは『アイリスさんの出身地はどこでしょうゲーム』だ。名前は今考えたんだけど。
俺が一方的に国名を挙げて、アイリスの故郷を当てれば勝ち。外せば負け。ふとした会話の流れから始まったふざけ半分のゲームなんだけど、これがまた難しい。テキトーに挙げていけば正解に行き当たるかと思っていたが、今のところアイリスの故郷にはかすりもしていない。アメリカとか中国とかカナダとかいうメジャーどころは全部ハズレだったし、ドイツもたった今ダメになった。俺の拙い知識はこれでネタ切れだから、あとで地図帳でも見て学んでおこう。
俺が何かの折にこのゲームを持ち出しては、そのたびにアイリスからハズレを出されて悔しがる、というのがここ数日の俺とアイリスの日常になっていた。はじめのころを思えば、お互いにずいぶんと打ち解けたもんだよな。
難しい勝負ではあるけれど、地球上に存在する国には限りがある。ひとつひとつ潰していけば必ず俺が勝つことになるし、勝ちたいと思っている。
……少なくとも、捜査局を後にするその日までには。
そう。あの激動の一日から早くも一週間が経過して、俺は今も捜査局にいた。
結局、あれから捜査局はカノプスを逃してしまったんだ。おかげで俺の立場は保留状態となり、ただ遊ばせておくのもなんだということで、今はとりあえず風紀課のお手伝いをやっている。
なんでも上層部ではレプリカ作戦の協力者たる俺に功績を認めるべきか否か、異世界転生させるか追い出すかという議論が巻き起こっているらしい。どっちにしても、ここにいられる時間はそう長くないみたいだ。
「ただいま戻りました」
アイリスは書類がぎっしり詰まった段ボール箱を抱えながら、俺たち風紀課の(いい加減にそう言ってもいいだろう)ドアを押し開けた。俺も両手が書類でふさがっているので、アイリスに追随して入らせてもらう。
俺も抱えた箱の重さにえっちらおっちらとなりながら入室すると、中ではちょうどナイトラスとウロギリさんが話し込んでいるところだった。ヒロイックな巨体のロボ上司と忍者のおっさんという取り合わせにも、もうすっかり慣れたものである。
「……だがね、周辺空域に待機していた
「しかしボス。本職の忍びとして言わせてもらえば、完全な消滅などはいかようにも偽装できるでござるよ。必ずや何かのカラクリがあるでござる」
「……またこの話っすか、ふたりとも……」
俺はおっさん二人に聞こえるのも構わず、うんざりしながら口走った。
「だって気になるんでござるもの。ねえ、ボス?」
「私たちも決してふざけ半分じゃない。あくまで闊達な議論だよ、これは」
本当かなあ。傍目にはおばさん同士の井戸端会議みたいに見えるんだけど。
そう、二人が言うようにカノプスは消えた。強行班の必死の追跡にもかかわらず、奴らは忽然と姿を消したのだ。正確にはカノプスとアズエルを含めた十数名の構成員、それとあの謎の広間で昏睡していた人々が、アジトの中でいきなり行方をくらましたらしい。
ナイトラスが言ったように、奴らがいかなる手口を使って捜査局の目から逃れたのかは未だに明らかになっていない。と言うよりも、捜査局はあらかじめ奴らが使うであろう逃走手段のすべてを予測し封じていたのだ。そこから逃げおおせたということは、カノプスたちは捜査局さえ思いつかない何らかの裏技を使ったということに他ならない。
今や、このネタは捜査局じゅうで大人気のミステリーとなっていた。カフェテリアで飯食ってる時なんてひどいもんで、四方八方からキテレツな自説が聞こえてくるのに耐えねばならない始末だ。
もちろん、にっくき犯罪者の行方を話のネタにするなんてのは職務上問題なのだが、万が一にも謎を解ける奴がいたなら表彰モノの手柄ということで、不謹慎は公然と野放しになっているというわけだ。風紀課なんて責任者がこれだからな。
「でも、何度考えても謎なのよね。あの近辺に長距離間の移動や転移ができる設備なんてなかったわけだし。なのに、どうしてあんなに……」
あの一件を経て、俺とアイリスは捜査局の中でも最もカノプスに肉薄した二人になった。だからこそ、いつまでも奴らの行方はおろか、逃げた手段さえわからないことが悔しい。俺でさえなんだから、アイリスはなおさらだろう。
こういう時こそ、重篤なゲームアニメ漫画オタクであるところの俺が豊富な知識を生かして華麗に謎を解けやしないかと思いはするのだが、正直言って俺も皆目見当がつきやしない。オタクの妄想と実際の捜査じゃいろいろ勝手も違うからな。
そうやって胸につのるやるせなさにアイリスと揃って嘆息していると、風紀課のドアが突然もの凄い勢いで蹴り開けられて、
「ハ~~~ロ~~~~~~!」
ジャージ姿の金髪美人が凄いテンションで躍り込んできた。彼女こそは名作ゲーム『グリフォン』の主人公たる海賊姫マリナなんだが……慣れとは恐ろしいモノで、俺には彼女が『マリナ先輩』という全くの別人にしか見えなくなっていた。
それくらい、この人の実物はゲーム内の印象と違いすぎるんだ。服は劇中のフロックコート風ドレスじゃなくて芋ジャージだし、ここ数日徹夜続きのせいで髪はハネまくっているし、目にもうっすらクマができているし。それでいて、目にだけはぎらぎらと精気がみなぎっているから怖い。
「あ、マリナ先輩。コーヒー飲みます?」
ともかく、俺にとってはマリナ先輩の訪問は慣れたものだ。風紀課のお手伝いらしく、素早くコーヒーとお菓子の準備をする。
「いただきますわ。ブラックにミルクとレモンと砂糖いっぱいでね」
マリナ先輩は勝手知ったる様子で応接スペースに腰を下ろすけれど、注文が微妙に壊れている。やっぱ疲れてんじゃないだろうか。
「
アイリスはマリナ先輩の対面に腰掛けながら、拗ねたように言った。
「そうですの! あれほどの逸品の数々にこの手で触れて、ひとつひとつ丹念に造形特徴や物質組成を確かめて、いかなる世界の文化と技術の産物なのかを鑑定できるだなんて! これも全部観行さんのおかげ!」
危険なテンションで狂喜する先輩の言うとおり、レプリカ作戦は決して無駄だったというわけでもなかった。遺物課が徹夜続きで鑑定しているように、ローンニウェルの拠点からは山のような異世界間密輸品が発見されたからだ。
どうもあの拠点は捜査局の想像以上に重要な役割を占めていたらしく、あそこから押収したエーテルジャムの量はなんと数百キロにも及ぶという。素人には想像がつかない単位だな。
「……ま。カノプスは捕まえられなかったんですけどね」
だけど、あくまで俺は自嘲する。俺自身の結果だけを言えば、それがすべてだ。
カノプスは捕まらなかった。俺は偽物としての役割を果たせなかった。何もできなかったんだ。何者でもない俺には当然のことなんだけど。なぜか妙に心がうずく。
それに、レオナルドのこともある。どうやらカノプスはあの区画で臓器売買じみたことも行っていたようで、そこで腹を弄られたレオナルドにも著しい臓器の損傷がみられるそうだ。未だに意識は回復しないし、それを思うとどんなに褒められても喜べる気がしない。
「捕まえられますわよ」
今の今までそれこそ危ないクスリでも打ったようなテンションだった先輩が、急に落ち着きを取り戻して言った。やけに穏やかな、確信に満ちた声で。
「観行さんもアイリスも、間違いなくベストを尽くしましたわ。ふたりがカノプスに敢然と立ち向かったことは、捜査局のみんなが心に刻んでいます」
俺が出したコーヒーを優雅に飲み下しながら、先輩は断言した。それが何か動かしがたく当たり前の、世界の真理でもあるかのように。
「だから、元気を出してくださいな。ふたりとも」
先輩は何か俺には計り知れない深い優しさをたたえた表情で俺とアイリスに笑いかけて、コーヒーカップを置いた。
……そうだよな。何であれ、俺たちはできることをやったんだ。何もできなかったとか無駄だとか、そういう言い方で諦めるなんて弱腰だった。
アイリスのUSBだってある。暗号化されたデータばかりをかき集めたもんだから解読に時間がかかっちゃいるが、あれだってきっと役に立つはずだ。
「……そうですよね! ありがとうございます、せんぱい!」
思いは俺と同じだったようだ。アイリスはぱっと明るい顔になって、とりあえずの元気を取り戻したようだった。
その様子を見届けたマリナ先輩は満足げに微笑んで、
ぱったりと床に倒れた。
すぐさま風紀課総出で慌てて先輩をビル内の医療棟へ運び込んだあとで聞いた話によれば、先輩はなんとレプリカ作戦の直後から押収密輸品の鑑定にかかりきりで、ほとんどまったく寝ていなかったそうだ。
つまり、診断は過労。
異世界人だって同じ人間なんだから、そりゃ寝てなきゃ倒れもするわ。
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