#27 切り抜けて地上
命からがら逃げ延びた地上は、惨憺たるありさまだった。
何せ古い地下水道を利用していたカノプスのアジトが炎上したのだ。地上のローンニウェルも決して無傷ではすまなかった。ある家屋は原因不明の火災に襲われ、ある家屋は突然の地盤沈下に倒壊しかけたとかいう話だ。
その被害に遭った人々への対処も兼ねて、捜査局は街中に簡易的な対策本部を設置していた。怪我をした市民への治療だとか、苦情および相談の受付だとか、被害への補償対応だとかがその主な役割だという。
そんな本部で俺たちが何をしていたのかといえば、じつに何もしていなかった。そもそも俺はもちろんアイリスも怪我人だったから、タコみたいな頭をした医療担当の先生直々に絶対安静を言い渡されたのだ。
言われなくとも二人とも体力の限界だったし、タコ先生にレオナルドを引き渡して治療を受けたあとは仲良く並んで座っているぐらいしかできることはなかった。
すぐにも疲れで入眠しそうだったけど、俺は自分でも驚くほどの精神力を発揮してレオナルドの治療を見守っていた。野戦病院みたいな清潔感も何もないテントで大丈夫かと思ったが、少なくとも放っておくよりはマシなはずだ。
「おい、君たち。誰かエーテルジャムをもらってないか? 押収品のやつ」
俺の視線の先、タコ先生が頭の冒涜的な触手をうごめかせながら尋ねると、看護師とおぼしき僧侶姿の少女が慌てて訊き返す。
「さっき強行班の方に貰いましたけど、使うんですか? 麻薬なのに……」
「まあ、回復薬として優秀であることに間違いはないからな。患者は依存歴があるから、やや薄めに希釈して。治癒効果は元より、免疫も高まる」
何やらよくわからない専門的な会話の中に不吉な麻薬の名前が混じっているけど、大丈夫なんだろうか、あれは。
「大丈夫よ。急場しのぎではあるけど、先生がたはプロだから」
どうやら無意識に疑問が口から出ていたらしい。アイリスは熱の冷めたような、どこか虚ろな口調で答えてくれた。
「そっか」
とりあえずは一安心、でいいのだろうか。そう思って肩から力を抜いてみると、ふと隣にいる少女のことが気になった。
アイリスが憔悴した様子なのは、カノプスを捕まえられなかった後悔もあるのかもしれない。というか間違いなくある。あそこまで懸命に追おうとしていたんだ。
奴のことは未だに強行班が追跡しているけど、望みは薄いって話だ。それを思うと、あの時アイリスにレオナルドの救出を手伝わせてしまったことが急に申し訳なくなってくる。
だったら、やっぱ。一言ぐらいは謝らなきゃな。
「……ごめんなさい」
だけどそれを言ったのは俺ではなくて、隣に腰掛ける銀髪の少女の方だった。
「え。どうしたの、いきなり」
今世紀最大に予測不可能だったその台詞に、俺はたじろいだ。こっちが謝る理由は山ほどあるけど、アイリスから謝られる理由なんてひとつもないぞ。
「……わたし。これまでずっと、あなたにひどい態度をとっていたから。だから、ごめんなさい」
ぽつぽつと吐き出されたその言葉を理解するには、ちょっとだけ時間を要した。
……そうか。俺はこの少女から、ひどい態度をとられていたのか。
納得する部分もあるにはあるが、最初からわりと扱いが手荒だったからもう気にならなくなっていた。そっか、異世界転生者が好きじゃないとも言っていたし、あの基本厳しめな態度はわざとだったんだな。てっきり素だとばかり思っていた。
だけど俺に言わせれば、アイリスは十分よくしてくれていた。これまで何度も命を救ってくれたし、レオナルドを助けたことだってそうだ。お礼の手紙を書くには原稿用紙が最低十枚は要るはずだ。
その自覚もなく『ひどい態度』だなんて言えるあたり、こいつはやっぱりいい奴なんだよな。
「さっき、わたしは間違えた。カノプスを追うことしか考えられなくなって、危うくあなたたちを見捨てるところだった。本当に大切なことがなんなのか、いつの間にか忘れてた」
急に話が変わって狼狽しながらも、だけど今さらにほっとする。
……そっか。だから、アイリスは俺を手伝ってくれたのか。無理に意志を曲げてたってわけじゃなく、あれはちゃんとした彼女の本心からの行動だったんだな。
「だけど、あなたは違った。迷わずに動いて、レオナルドを助けようとした」
アイリスの視線と話題が俺へと移り、急に顔が熱くなった。
「思えばレオナルドに逢ったときから、彼の本質をちゃんと信じていたのよね」
やめてくれ。別に無理して俺なんか褒めたりしなくても――
「……てっきり、転生だとか理想の人生だとか臆面もなく言っているだけの自己中心的なクズ野郎だと思ってたのに」
そして。熱くなったはずの顔が急速に冷めた。
なんだろう。意味だけ見れば身に余る褒め言葉ではあるんだけど、使われている言葉のひとつひとつは、その……
どう見ても罵詈雑言のそれでしかない気がするんだが。
「ちょっと待て。これまでいつもそんなに辛辣なこと考えて俺に接してたの?」
思わず訊き返すと、アイリスは『しまった』という顔で口を押さえた。
訂正、やっぱりこいつはいい奴じゃない。見た目はクール系美少女に見えなくもないが、腹の底では何を考えているのかわかったもんじゃない。
そんなイヤな事実が明るみに出てしまったことで、俺たちの間に都合何度目かの気まずい沈黙が訪れた。毎回何かあるたびにこうやってぎくしゃくしてるよな、このコンビ。
何を言えばいいかもわからずに口をつぐんでいると、アイリスがまたばつの悪そうな顔をして口を開きかけるので、俺はやむなく先手を打った。
「だから――」
「――――アイゼン、ブライド」
きっとまた気まずさを加速するのであろうアイリスの言葉に、頭に浮かんだタイトルをとりあえずかぶせて封じる。当然アイリスの頭にはハテナが浮かぶから、俺は最低限の説明を添えた。
「俺に……そういう、なんだろ。大切なことを教えてくれた物語の名前……かな」
自分で言ってて不思議に思う。なんでいきなり、アイリスにこんなことを話す気になったんだろう。自分の好きなものをわかってほしがるオタクの性か。それとも単に、こういうことでしか他人とわかりあえないコミュ力不足の成せる業か。
どっちにしろ、アイリスになら話してもいい気がしたんだ。なんてことない思い出話という意味でも、いくらなんでも褒めすぎだぜ、という謙遜の意味でもな。
「言いたいのはさ、俺はアイリスさんが言うほど偉い奴じゃないってこと。実際、ほとんど受け売りみたいなもんなんだよ。さっきカッコつけて吐いた台詞なんか、今思うとまんまだし……」
そう、あれは鉄騎姫ことアルティア=ラム=グラスタリアの台詞そのままだ。凄龍剣アンベルドルクを携えたアルティアが、罪を背負ってなお人を救い続けることを叫んだ熱いシーンの名台詞。
今でも勢い任せでそらんじられるくらいにはしっかり覚えているけれど、俺の強さとか優しさだとかはきっと彼女のそれの足元にも及ばない。しょせんは痛い受け売りや真似事にすぎないんだ。
「思えば、昔の俺ってのは痛い奴でさ」
アイリスが返事をしないので、俺は仕方なく恥ずかしい自分語りを始めた。彼女の中で変に上がった俺への評価を打ち消せるならなんでもよかったので、昔のことを思い出してはとりとめなく語る。
「ずっと、アイゼンブライドの……ゲームの世界に迷い込んだって設定の……妄想の自分を演じてた気がする。物語の中の素敵な奴らみたいになりたいとか……いや、なれるってバカみたいに思い込んでさ」
そう、今にして思えば本当にバカみたいだ。くだらないだなんて死んでも言うつもりはないが、それを置いても当時の俺はバカだった。だからあんな目に遭った。
「でも、物語のなかによくあるような、愛とか正義とか勇気とかいうものは。平均的学生の中じゃカッコ悪くてくだらないものだったみたいでさ」
中学や高校にもなって物語の主人公に憧れてカッコつけてるなんて、どう見たって変人というほかはない。それを普通に学生やってる連中がどういう目で見るのか、もっとわかっておくべきだった。
「それとも、俺がスポーツとかアイドルじゃなく、ゲームと映画とアニメとラノベが好きな、『気持ち悪いオタク』だったのが悪かったのか……」
もちろん、自分で自分が気持ち悪いだなんて思っちゃいない。どれだけ悪く言ってみたところで、変わり者がせいぜいだ。
だけど客観的に見れば、やっぱり俺はそういうカテゴリの人間だったみたいで。
「気づいたら、みんなに指さされて笑われるようになっててさ。カノプスの言う通り……俺は世界からはじき出されたみたいになって、みんなと同じ世界の人間じゃなくなってた」
決定的だったのが、あのディスク粉砕事件だ。オタクとワルの両方を売りにするようなよくわからない奴らに目の前で大切なものを砕かれて、俺はやっとわかったのだった。
俺は主人公にはなれないと。俺が大切に抱きしめているものは、残酷で退屈な現実においてはなんの意味も価値もないのだと。
もちろん、今はそうじゃないと――それだけじゃないと、叫ぶことはできる。だけど本当はどっちなのかと訊かれれば、やっぱり今の俺には自信がない。
「今思えばさ。異世界転生がしたいって思い続けてきたのには、そういう理由も混じってたのかもな」
「……『そういう理由』?」
いい感じに俺への申し訳なさが薄まったのか、アイリスから相槌が飛んできた。
「……ここじゃない、どこか別の世界なら。俺が大事にしてるものが笑われずに済んでさ。欲を言えば……それを大事にしていてもいいんだよって、認めてくれる仲間ができるんじゃないか。って」
だけど、本当の異世界転生はそんなには甘くなかった。こうやって異世界に来てみても、ろくでもない現実は相変わらず目の前に横たわっている。
かつて憧れた漫画の主人公は悪の組織の下っ端になっていて、おまけにクスリに依存していた。そこからなんとか立ち上がってくれたと思ったら、今度はカノプスみたいな奴のせいで酷い目に遭わされてしまった。
レオナルドの身に起こったその巡り合わせの半分くらいは俺のせいでもある。だから本当は、俺にはこんな夢を見る資格なんてないのかもしれない。
「でも、やっぱ。それは間違いだったのかもしれないな」
カノプスの言葉が蘇る。世界から見放され切り捨てられた無価値な人間、それが俺の正体だと。
やっぱり、アイリスの言うように異世界転生なんて望みはろくでもないもので、それを望むことは間違っているんだろうか?
考えても答えは出ない。代わりに「あーあ」と嘆いたところで、俺は隣のアイリスがじっとこっちを見つめていることに気がついた。話の流れからして呆れているんだろうな。
「えっ、あっ、ゴメン。変なこと言ったよな。自分でもさすがにちょっと浸りすぎでキモいかなと思っては……」
さすがに俺への評価が下がり過ぎたかと慌てて取り繕うけど、もう後の祭りかもしれない。明日から口を利いてくれなくなったらどうしよう。いくらなんでもそれはつらすぎる。
心配していると、アイリスははーっと長い溜息を吐いてから、ふと表情を緩ませた。それきりまた会話が途絶えるけれど、今度は不思議と気まずく思わない。
なぜだろう。もう少し続いてほしいとさえ思うほどの、穏やかな沈黙だった。
……と、思っていたのに。
「よし!!」
アイリスは出し抜けに立ち上がり、日頃のキャラからは想像もできない元気な声で吼えた。
治療を受けに来ていた怪我人たちやタコ先生の視線が、一斉に銀髪の少女へ集中する。
「いきなりどうした?」
「ぼんやりしてるのはこれで終わりってことよ。カノプスは捕まえられなかったけど、希望はまだここにある」
希望って、集めた資料は捕まったときに全部奪われたんじゃなかったか。それとも疲れすぎておかしくなったのか。訝っているとアイリスはおもむろにジャケットの襟を弄り初め、そこから一本のUSBメモリを取り出した。
「……あ!」
「手当たり次第にPCの中身をかき集めて、捕まる前に襟に隠したの」
俺はそのあまりに鮮やかな手口に舌を巻いた。そりゃそうだ。いくら潜入がバレたからって、こいつがただで捕まるはずがない。俺が殺されかけるまでやけに大人しかったのは、こんなところにジョーカーを隠していたからか。
気づけばアイリスはあまりにも晴れやかな笑顔を浮かべていて、俺もなんだかよくわからない安堵に満たされて、ついバカみたいに笑ってしまう。
「とりあえず、お疲れさま。帰りましょっか」
帰る。居るべき場所に。捜査局に。
その言葉がなんとなく、俺の胸の虚ろに心地よく沁みた。
思えば。
俺が最初に望んでた転生とか転移ってのはそういうものだった。愛と勇気と希望に溢れる異世界への純粋な憧れとか、キャラが好きとか、冒険がしたいとか。
まあ客観的にはキモいのかもだけど、それでもあの頃思い描いた異世界転生には、それなりにロマンとか夢とかいうきらきらした何かが内在していたように思う。
なのに、どうしてだろうか。俺が願う異世界転生の中身はいつの間にか、チートとかハーレムとか人生のやり直しとかいう、あまりにも俗で現実的なものに変わり果てていた。
別に悔いてるわけじゃない。自分でもわかってる。これはただ、欲しいものが変わってしまったってだけの話だ。
どっちが正しくてどっちが間違ってるかなんて、きっと誰にも決められない。
だけど、俺は。
自分がそうやって変わってしまった理由がなんなのか、帰途を走るアイリスのジープに揺られながら、ずっと考え続けていた。
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