#25 ライフスナッチャー②
なんかおかしいぞと眉根を寄せると同時に、ゴスッとかバキッとかいう不穏な打擲音がいくつか響いた。
見ればいつの間にか拘束を解いていたアイリスが、左右を固めていた黒ローブをノックダウンしていた。と思うや、彼女の背後にいた奴が慌てて拳銃を構える。けれどまたアイリスの拳が踊り、その驚愕の表情のド真ん中に叩き込まれる。
さすがに四人目の犠牲者は現れなかった。少なくとも今すぐには。カノプスを含めた奴の軍団はアイリスが油断ならない存在であると理解したようで、素早く距離を取って彼女を取り囲む。
しかしアイリスは怖じることなく、どこに仕舞っていたのか見覚えのあるキープアウトのテープが巻かれた剣を取り出して、力強く床に突き立てた。いつでもかかってこいという意思表示なのか。
「さて――ずいぶんと好き放題吹いてくれたわね」
なんだか頼もしい台詞が出てきたぞ。これは安心していいのか? アイリスはあまりにも雄々しいその姿に見とれかけた俺を一瞥し、
「あー……念のために訊くんだけど、あなたの方が遠野観行よね?」
「見りゃわかるだろ」
俺は脱力した。曲がりなりにも今まで色々あった仲なのに。今生の別れだと思って泣きそうになっていたのは俺だけだったのか?
「服装も顔も同じだから。ほら、わたしの名前は?」
「ブリトー大食い女」
「……なるほど、わかった」
アイリスは苦虫を噛みつぶしたような顔で敵の軍団へ向き直る。さっきまでは何かの流行みたいに銃を構えていた奴らだが、今はそのほとんどが得物をナイフや鎧貫きといった刃物に持ち替えている。当然といえば当然だ。この閉鎖環境じゃどうやっても人数の多い奴らの方が同士討ちの危険に晒される。FPSだったらそれでも迷わず撃つ奴もいるが、あいにくここは現実で、撃たれたらメチャクチャ痛いのだ。
「やっと、好きに暴れられる」
アイリスが言い放つや、刃物を持った奴らが数の有利を生かして襲いかかる。けれどアイリスは一切全く怖じることなく、最初に飛び込んできた黒ローブの腕を鷲づかみにしてねじり上げ、その手が握るナイフを次の襲撃者へと突き刺した。
苦悶の声が響き渡る中、倒れた仲間を顧みることもなく、数人がアイリスへと飛びかかる。アイリスは逃げ込むように床に突き刺していた幅広の剣――キープアウトブレードとでも名付けようか――へ向かい、その柄を踏み台に飛び上がった。
そのままひとりに殺人的な飛び蹴りを見舞って、アイリスはその手が棍棒みたいに握りしめていた自動小銃をもぎ取る。さらにもう一発蹴りをぶち込んだ反動を利用して、対面から向かってくる一人をストックで殴り倒す。
たちまちふたりを片付けたアイリスに怖じている他の連中が銀の猛獣の餌食になるのはもう時間の問題だった。黄色いテープが巻かれて刃を封じられた剣は床から抜き放たれるや凶悪な鈍器となり、幾人もの顎や額を打ち据えていく。
そして今、アイリスの足元は死屍累々の様相だった。いや死んではいないのだろうが、絵面としてはそれくらいに凄絶だ。
なのにアイリスは大儀そうに、ふう、と息を吐くのみだ。今に演じた大立ち回りが、なんということでもなかったかのように。
俺は今さらに、このレプリカ作戦の同行者がアイリスだった理由を理解した。彼女は強いんだ。ただただ単純に、もの凄く強い。こいつこそ何らかのチート能力の持ち主なんじゃないのか。
いや、俺だって常々アイリスの身体能力やら戦闘力が尋常じゃないとは思っていた。だけどまさか、ここまで鬼神めいた強さだったとは。
気づけばカノプスとその部下たちはアイリスから慎重に距離を取っていた。もはや俺たちを取り囲むことはなくしっかりと隊列を組んだうえで、銃や杖を構えている。何をするつもりなのかを察した瞬間、アイリスは聞き分けの悪い犬にそうするように俺を無理矢理地に伏せさせた。
そして、無数の銃火が、魔力の光が閃いた。顔を床にぶつけて目に涙をにじませる俺の頭上を、弾丸や火球や光線が切り裂いていく。アイリスは果敢にもその間を縫うように駆け抜け、火球のひとつをキープアウトブレードで打ち返した。
火球は黒ローブの一人に命中し、途端に陣形と射線が乱れる。そこへ飛び込んだアイリスは一瞬でカノプスに肉薄し、喉元に剣の切っ先を突きつけた。
瞬間、室内のすべての動きが止まる。
組織のボスの命を握ったんだ、これで詰みか。息を呑むカノプスは、しかし余裕の笑みを浮かべて――手振りで、俺を示した。
「しまっ――」
そう、アイリスが危惧し悔やんだ通り、俺の方は完全にがら空きだった。役立たずを人質に取りさえすれば、アイリスがいかに強くとも意味を成さないんだ。
だけど、むざむざ連中の思い通りになってやる気はない。カノプスの言う通り、俺は何者でもない無価値な人間だ。ここにいる意味なんてほとんど皆無なのはわかってる。だからこそ、これ以上迷惑なんてかけられない。
俺はこれまでの人生でもっとも俊敏な動きで、床に転がっていた自動小銃を拾い上げた。見よう見まねで構えながらカノプスの部下たちへと銃口を突きつけ、半狂乱になって泣き叫ぶ。
「撃っちゃうぞ!? 撃っちゃうぞコラ!」
撃ち方なんてわからないけど、とりあえずセーフティを外して、どっか引っ張って、トリガーを引けば弾は出るだろ。俺は昔の映画で見たキレた銀行強盗の姿を思い出し、もう一丁の小銃を拾って両手に構える。勢い余ってトリガーを引いてしまい、ばばばっ、と小さな花火が至近で上がる。
「オラ撃つぞ! 撃たれたら痛いぞ! こっち来んなッ!」
何をやらかすかわからないクレイジーな奴だと思われたのだろう。壁を背にしてやかましく騒ぐ俺を前に黒ローブたちは慌てて足を止め、優先順位に迷ったのかアイリスと俺を交互に見比べ始めた。あとはもう膠着だ。
荒くなった息を整えながら俯瞰してみれば、今や完全に形勢は固まっていた。
殺人マシンもかくやというくらいに圧倒的な戦闘力を誇るアイリスに挑みたがる奴はいない。かといって俺ならどうかといえば、完全にテンパって自動小銃を振り回している。何をするかわからんという意味ではアイリス以上に危険だ。
カノプスにはアイリスの王手がかかっているからこっちの優勢と見てもいい。とはいえ人数では負けているから、下手に動くわけにもいかない。だけど、俺たちがこのまま膠着状態を演じていれば、捜査局は必ず強行班を送り込むわけで……
あれ、もしかして、これは。俺たちの……勝ち……?
茫洋とした達成感が湧き上がって、全身から力が抜けそうになった瞬間。なんの前触れもなく、稲妻が迸った。
黒と紫の毒々しい閃光。それは蛇のように尾を引いて室内のあちこちを泳ぎ回り、最終的にカノプスのそばに控えるように凝集して、人の形を成した。
褐色の肌。栗色の流れるようなロングヘア。露出度高めの衣装。組織のナンバーツー、ユイリィ=アズエルの姿を。
「……ッ!」
突如として現れた闖入者を警戒し、アイリスは素早くカノプスから飛び離れた。すぐさま部下たちの敵意が彼女に向くが、俺は思うさま銃をぶっ放してそれを牽制する。
「全員動くな!」
声を張り上げて叫ぶけれど、それはカノプスとアズエルには通用しない。女幹部は俺を蔑むような一瞥を投げて、
「遅れました。申し訳ありません、カノプス」
「偽物にいち早く気づいてくれただけで充分さ」
脳裏につい先ほどのアズエルとの邂逅が蘇った。そうか。あの時点ですでに、俺は偽物だとバレていたのか。にもかかわらず、俺は何もかもが上手くいっていると思い込んでいたのか。
自責の念に浸っている暇はなかった。アズエルはその指で目の前の空間に複雑な図形を描き、軌跡は光となって、どこかのゲームで見たような魔方陣の形を成す。
途端に、魔方陣から幾つもの光が放たれた。暗い紫の光は蛇のようにうねりながらアイリスめがけて空を泳ぐ。アイリスはそれをすんでのところでかわしつつキープアウトブレードで打ち返していくけれど、変則的な軌道をたどっていた一筋を背中へモロに受けてしまう。
光の小爆発を受け、煙を吹きながら床に崩れ落ちかけたアイリスは、なんとか膝をついて踏ん張った。だけどダメージが深刻なのは誰の目にも明らかだ。
さらに二発、三発とうねる毒蛇の光線が放たれた。アイリスは苦し紛れの一閃で何発かを防ぐも、残りを次々と食らってついに床へ転がってしまう。
「アイリスさん!」
焦げ臭い匂いがした。俺は目を背けたい衝動をねじ伏せながら、今なお胸から煙を吹かせるアイリスに駆け寄った。彼女は雄々しくも立ち上がろうとするけれど、もはや戦力差は歴然だ。
アズエルが俺を見る目はもう、ボスに対するそれじゃない。暗い殺意に満たされた殺人者の目だ。女幹部は俺たちを見据え、処刑に続く一歩を踏み出した。なのにアイリスは立ち上がろうとする。
守らなくちゃ、と、心の中で誰かが言った。
けれど無駄だ。俺じゃこいつを止められない。
俺には何もできない。何者でもない俺には。
……ちくしょう。
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