#22 ある意味最強のゲートキーパー

 俺のやらかしはさておき。

 期せずしてアイリスが着替えてくれたのはいろいろな意味で僥倖だった。

 何しろ外見上は完璧にカノプスの部下だから、アイリスが俺を先導していてもまったく不自然ではなくなった。それに、さっきまでのように目のやり場に困らずに済むってのもありがたい。

 もちろん、この拠点の人間が見慣れぬアイリスの顔を不審がることもあった。

 だけどそういう時には俺がカノプスであることが効いてくる。いかにアイリスが怪しくとも、組織のボスと連れ立って歩いているからには、表立ってケチをつけるわけにもいかないからな。 


「……このあたりね」


 もうどれぐらい歩いただろうか。似たような雰囲気の通路ばかりで方向感覚が麻痺しかけていたところで、先を行くアイリスがようやく足を止めた。それから目の前のT字路にそっと近づいて、曲がった先を覗き込む。

 俺も彼女に倣ってそっと覗いてみる。通路の向こう側では自動小銃を胸に抱えた物々しい雰囲気の男たちが数人、最奥に置かれた鉄製の扉を守るように巡回していた。あれは誰でも歓迎って雰囲気じゃないな。


「例の、『偉い人以外はお断り』コーナーかな」


「それじゃちょっと語弊があるけど」


 アイリスは懐から拠点内のミニマップを取り出して、この先が間違いなく目的地であることを確認する。


「じゃあ、オープン・セサミをお願い」


「了解」


 リクエストに応え、俺はいかにも偉そうに歩き出し角を曲がる。さすがに銃持ってる奴が前だと緊張するが、こいつら相手に組織のボスを演じるのも慣れてきた。

 距離が近づくにつれて警備は俺が誰なのかを察したようで、頼むまでもなく扉を開けてくれる。目論見通り、まさに顔パスだ。アイリスはさすがに引っかかったが、俺が一瞥すればフリーパスも同然だ。

 そこから、通路を少し歩いたところでやっと目的の区画へ足を踏み入れる――その手前で、俺は困惑した。


「……なんでここまできて、こんな扉が出てくるんだ?」


 目の前にドンと鎮座していたのは、果たして医療施設とかによくあるスライドドアだった。大きめの取っ手がついていて、さほど力を入れなくても容易に開いてくれるタイプのやつ。

 なんでこんなところにこんなものがあるんだよ。

 ついさっきまでは典型的ダンジョンの雰囲気だったのに、ここにきていきなり世界観が変わってきやがった。

 まあ、ここに来るまでにも世界観を異にするものがなかったわけじゃないし、警備は銃器を手にうろついているし、そもそも奴らははじめから銃持って俺を追い回していたわけだから、拠点内の一部がこうなっていてもおかしくはないんだが。

 これは開けてもいいんだろうか。なんだかイヤな予感がして、アイリスに視線でそう訊いた。


「開けないわけにもいかないでしょ。扉なんだから」


 それはそうなんだけど……つい、考えてしまうんだ。急に世界観を狂わせたこの扉の向こうには、俺たちが想像すらしていない恐ろしい何かが――例えば反則級にクソ強いボスキャラとかが――待ち受けていたりはしないかと。


「警戒はしておくわよ。お願い」


 俺は身構えたアイリスに急かされ、覚悟を決めて取っ手に手を伸ばす。

 と、不思議なことにドアの方が勝手にガラッと開いた。

 え? と呆けながら、開いたドアの向こうに目をやる。やたら扇情的な格好の女がそこにいた。


「――カノプス?」 


 頭から肩まで流れ落ちるような栗色の髪、肌理の細かい褐色の肌。標準的人間のそれより集音性に優れるらしい尖り気味のエルフ耳。チャイナドレスの裾を短くしたような衣服の上から軽装鎧を着込んだ、色々な意味で玄人好みの外見。

 俺ではない俺の名前を親しげな声音で呼ぶこの女に、俺は見覚えがあった。

 捜査局で覚えたその名を、赤面しながら思い出す。

 ユイリィ=アズエル。

 この女こそはカノプスの側近にして組織のナンバー2と目される、レプリカ作戦における要注意人物だった。


 まずいことになってきた。側近でナンバー2ってことはカノプスを最もよく知る相手と言っても過言じゃない。一般の構成員とは比較にならないレベルで本物を知っているこの相手に、果たして俺の演技がどこまで通用するか。

 あるいはアイリスの腕っ節でどうにかしてもらうって手もあるかもしれない。しかし仮にも組織のナンバー2がそこまで大人しいとは思えないし、失敗のリスクが大きすぎる。

 となれば、最善策はやっぱりこれしかない。

 俺がなんとかカノプスを演じ切り、うまくこの場をやり過ごすこと。


「こちらにいらしたのですね。てっきり……」


 組織のボスに対する以外の何物でもないその言葉に、まず内心で胸をなで下ろす。

 大丈夫だ、バレてない。少なくとも外見上は。そもそもが他人の肉体を乗っ取ってコロコロ外見を変えているやつだから当然か。

 だったらこの場をうまく切り抜ける目もないわけじゃない。俺は捜査局でウロギリさんに叩き込まれた演技の鉄則を、改めて自分に言い聞かせた。

 カノプス的言動の特徴を簡潔に言えば、それは『いちいち大仰で、言葉の尻に何かを匂わせたがる』ってところだ。漫画やRPGの幕間で思わせぶりにフハハと笑う悪のラスボスみたいに。


「ああ、いや。ちょっとした気がかりが幾つかあってね……」


 だから、別に具体的なことを言う必要はない。極端に言えば、それっぽければそれでいい。だから俺はそれっぽく格好をつけて、中身のない言葉を口にした。

 さあ、これは正解か不正解か――平静を装うその裏で息を呑む俺に、果たしてアズエルは微笑んだ。頬に手をやりながら、ミステリアスに。


「気がかり、ですか。本当かしら?」


 瞬間、心臓が跳ね上がる。もしや疑われているのか。俺は自分がカノプスを演じられていると思っていたけど、本当は下手も下手だったんじゃないだろうか。不安と焦燥がごちゃ混ぜになるかたわらで、俺は必死にポーカーフェイスを保ち続ける。

 アズエルが一歩こちらへ踏み込んできた。顔と顔とがやたら近くなって、心臓がイヤな高鳴り方をする。そしてまた妖艶な唇がうごめいて、


「ねえ、先ほど立ち聞きしたのですけど――カノプス。わたしではない女にご執心だそうですね?」


 ……へ?


「なんでも、商品として仕入れた小娘に手を出そうとされたとか……わたしがここにいますのに。どうしてそんな意地悪をされるのです?」 


 俺はアズエルの媚びたような声音を聞きながら耳を疑って、それからやっぱり自分の耳はシロだと思い直して、最後にやっと彼女の言葉を理解して、硬直した。いくらなんでも予想外の展開が過ぎる。あんたらそういう関係だったのかよ! 


 ……妙なことになってきたから、いったん落ち着いて整理してみよう。

 まず第一に、どうもカノプスとこの女はそういう関係らしい。マフィアのボスとその愛人ってところか。

 第二に、今この俺に注がれているこの焼け付くような視線からして、アズエルはおそらくカノプスの浮気(?)を疑っているようだ。語り口から察するには、倉庫でアイリスがやらかしたアドリブが原因だろう。あれが人から人へと最悪な伝わり方をして、よりにもよってこの女の耳へと辿りついてしまったらしい。

 第三に、俺が偽物だとバレてないのは非常に幸運だ。だけどこの下世話極まる誤解をうまく片付けないことには、俺たちは捜査を続行できない。

 このハプニングをどう切り抜けたものか思案する俺の喉に、冷たいものがふたつ触れた。ひとつは艶っぽい褐色の指で、もうひとつは刃物の切っ先だ。妙な興奮と怖気とが同時に神経を走って、頭がパンクしそうになる。

 アズエルは俺の首を責め続けながらだんだんといやらしくまとわりついてきて、思考がだんだんと飽和してくる。俺の体とアズエルの肢体とが徐々に密着していく。いい匂いがする。刺すような痛み。やわらかい。

 やばいやばい、色々な意味で!


「ねえ。?」


 正直、俺はもう限界だと思った。

 だって考えようにも頭が動かないんだ。俺はそれくらいにこういうオトナな局面に免疫がなくて、だからいつもみたいに諦めかけて――しなだれかかってくるアズエルの向こうから、アイリスが俺を見ていることに気がついた。

 訴えるような、伝えるような。そんな思いのこもった眼差しで、アイリスはただ俺を見ていた。

 瞬間、俺の脳裏にあの白い肌と、刻まれた痛々しい傷の数々が去来して。

 思考を覆い隠していた何もかもが吹っ飛んだ。


 俺はバカか。俺は何をやってるんだ。

 アイリスが言っていたじゃないか。作戦実行にこぎ着けたのは、俺が信頼されてるからだって。ナイトラスも、ウロギリさんも、レオナルドも。もしかしたらアイリスも。みんな俺を信じてくれて、だから俺はカノプスの偽物としてここにいる。

 果たしてどんな理由なのか、レオナルドは俺を見込んで捜査局に協力することを決めてくれた。アイリスは俺の命を救ってくれた。その全部を、こんな取ってつけたようなエロ展開のせいで無駄にしていいわけがない。

 小さく息を吸って吐く。深呼吸にはまるで足りないけど、それでも効果はきっとある。少なくとも頭はもう冷えた。

 さあ、どうやって切り抜けようか。俺だって伊達にオタク野郎をやってきたわけじゃない。嘘をつくときのテクニックぐらい、あらゆる漫画にゲームにアニメに映画に、耳にタコが出来るぐらいに教えられてきた。こういう時のセオリーは、真実と嘘とを織り交ぜることだ。

 俺が今持っている情報で、なおかつカノプスが知っていておかしくないこと。口にして自然なこと。それをなんとか選び取って、このマヌケな王手をかわすんだ。


「……か」


「か?」


 訊き返してくるアズエルから、そっと距離をとる。俺は自分の考えが間違っていないことを祈りながら、その切り札を口にした。


「――確認だよ。あの娘を、捜査局が送り込んだスパイではないかと疑ってね」


 それは我ながら、かなりギリギリのロジックだった。言うまでもないが、現実として捜査局のスパイは他でもないここにいる。ある意味これは自白ですらある。

 だからこそ。俺たちにとっての致命的な真実は、奴らに対しては現実味のある嘘として機能するはずだ。連中だって捜査局の存在は警戒しているから、この言い分には充分な説得力が生まれてくる。


「納得してもらえたかな?」


 どうかこれで納得してくださいお願いします。余裕綽々を演じる一方で心の底では神に祈りながら訊くと、アズエルは安心したように息を吐いて、


「そうでしたか。わたしとしたことが、ひどい誤解を……」


 その見た目のアダルトさとは対照的な、子供みたいな素直さで詫びてくれた。

 ……どうやら、騙し通せたらしい。と思いきや、アズエルは突然呆気にとられた表情になって――急に、ぐっと顔を近づけてきた。


「どうした?」


 返事はない。アズエルは顔を至近距離に寄せたまま、ただ俺の目をじっと見ている。さっきまでの色っぽい雰囲気はまるでない。だったらどういう意図なんだ。

 思考に警鐘が鳴り響き、今まで一度として気がつかなかったリスクに思い至る。すなわち、今この瞬間にアズエルが覗き込んでいるもの――――俺の目だ。

 俺のこの肉体は、カノプスに奪われてしまった元の体とほぼ同一だ。だけど厳密に言えば生まれた世界が違っているから、決して細かな差異がないわけじゃない。だから、もしも俺とカノプスの瞳にそれぞれ微妙な色味の違いがあって、それがこの女にはわかるとしたら――!


「――いつもながら、すてきな瞳ですね、カノプス。


 けれど俺の危惧は見事に外れて、アズエルから返ってきたのは攻撃でも敵意でもなく、ただただ組織のボスに対する、拍子抜けするぐらいの愛嬌だった。

 ……切り抜けた、のか?


「では、わたしはこれで。お時間をとらせて、申し訳ありません」


 アズエルはその言葉だけを残して、俺たちが今来た方向へと去っていった。その姿が見えなくなり、さっきの扉が閉まる音が通路に響いたところで、


「死ぬかと思った……!」


 全身から力という力が抜けて、俺はへなへなとその場に崩れ落ちた。


「お、お疲れさま……」


 なんとも言えない表情でねぎらいの言葉をかけてくれるアイリスもまた、疲れ切った様子である。そりゃそうだ。いつ落っこちてもおかしくないギリギリの綱渡りを間近で見せられていたんだから、ある意味俺以上に気が気じゃなかっただろう。

 ともあれ、おそらくこの作戦最大の障害はなんとか乗り越えた。俺はふらつきながらなんとか立ち上がって、今しがたアズエルが出てきた場違いな扉をくぐった。



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