#19 遠野観行の心残り

 ……そうやって、格好良く決意を固めたというのに。

 三十分後の俺はといえば、未だに往生際悪くあーとかうーとか呻きながら風紀課の机に突っ伏していた。

 ああもうホント怖い。行きたくない。万一ミスったらどうしよう。後回しにしたい。せめてあと一日くらい待ってはもらえないだろうか。これは冗談抜きにアイリスに言ってみたのだが、もちろんあっけなく却下された。何もあんなゴミを見るような目で見なくてもいいだろうに。

 レオナルドの一件以降、また妙に態度が硬化してきてる気がするんだよな。もちろんこれまでも互いにぎこちない感じではあったけど、今回は遠慮がなくなっているというか。

 やっぱり、俺が即物的な理由で転生を望んでることが許せないんだろうか。または単純に俺という人間が生理的にムリなのか。女子はそういうとこ残酷だからな。

 理由はなんにしても、現実として机の向かいから銀髪の少女がこっちを見る目は未だに冷たい。その視線に「はぁ」という溜息がオマケについてきて、


「そう悲観することもないんじゃない? なんだかんだこうして作戦決行にこぎ着けたのは、あなたが役割を果たせるって見込まれてるからなのよ」


 今回もまた俺に同行するというアイリスから、意外に優しい言葉をかけられた。

 確かにそうかもしれない。自分と同じ顔をした――正確に言い表すとややこしくなるから、この表現で済ませる――男のモノマネについては自信も皆無というわけじゃない。何日も変装の達人から指導を受けてきたわけだし、そう簡単に見破られることもないだろう。


「そうだよな、うん。危ないことは危ないけど、それは失敗した場合の話だもんな」


 考えてみれば当然のことを自分の口から改めて述べてみると、暴れていた心臓が少しだけおとなしくなった。

 よし、ここからはプラス思考でいこう。成功した未来だけをイメージするんだ。

 レプリカ作戦が成功すれば、始まるのは二度目の異世界転生だ。希望した世界、優れた能力、バラ色の未来の三拍子が揃った。それだけを考えていれば、無用な緊張とはおさらばできる。


「成功すれば異世界転生、成功すればハーレムの主、成功すれば……」


 繰り返し呟いて自分に言い聞かせていると、肩にのしかかる不安がまた少し軽くなっていく。

 しかしこれは我ながら俗っぽいよな、という羞恥に呼応するように、向かいのアイリスが呆れたような溜息をついて、


「ねえ。これは否定とかじゃなく、ただの興味で訊くんだけど――」


「なに?」


「心残りとかはないの? あなたが生まれた、この世界に」


 暗い空色の瞳がまっすぐに俺の目をのぞき込んでくるものだから、俺はつい真面目に考えてしまう。

 心残り。この世界でやり残したこと。置いていけないもの。果たしてどうにもならなくなった俺の人生にそんな贅沢なものがあったろうか。

 そりゃ、父さんをはじめとする、数少ない知人の顔が浮かぶことは浮かぶ。だけど俺が異世界転生を望んだのは、そういう難しい問題の数々から逃げたいからでもあった。

 他に何かあるだろうか。この世界でまだ何か、俺にとって悔いみたいなものが、縁を切りたくないものがあるとすれば……


「……スクリアルワールド、ぐらいかな」


 しばしの沈黙をおいてやっと絞り出せたのは、そんな我ながらガキっぽい執着がひとつだけだった。

 スクリアルワールドってのは、簡単に言えば遊園地だ。

 スクリアル、つまりスクリーンとリアルを掛け合わせた造語を用いた命名からもわかるように、映画やらアニメやらアメコミやら、とにかくさまざまな物語の世界観をこの現実に再現するということが理念であり売りでもあるらしい。

 具体的には俺たちの親世代が熱狂した刑事モノ映画のセットそのままのアトラクションだとか、某お子様に大人気のアニメの世界を立体映像で演出して主人公になりきれるアトラクションだとか。老若男女を問わず大人気で、年中来園者でごった返しているという話だ。

 知ってるかな、と思ってアイリスを見ると、案の定頭上にハテナを浮かべている。やっぱりこういう分野にはどこまでも疎いらしい。


「遊園地だよ。関西の方にある、アメコミとか映画の世界観を再現してるってのがウリの。聞いたことない?」


 アイリスはふるふるとかぶりを振って、


「で。その遊園地が心残り?」


「ああ。ずっと前から行ってみたかったんだけどさ。一緒に行く友達いないし。かといって一人で行くのも恥ずかしいし……で、迷ってたら結局行けずじまい」


 何しろスクリアルワールドはさまざまな映画やアニメその他の世界観をまとめて味わえるテーマパークである。手軽な異世界と言い換えてもいい。

 フードメニューは捜査局ほどじゃないにしろ再現度の高いものが充実しているし、売店には劇中小道具のレプリカが満載だ。極めつけに園内のロケーションは何から何まで作品に忠実に再現されているという、まさにオタクやマニアの天国みたいな場所なんだ。かつての俺はこの遊園地こそ俺の居場所だと、死ぬまでに一度は行ってみたいと、常から思い続けていた。

 まあ、レプリカ作戦が成功しさえすれば俺はどこかの素敵な異世界に生まれ変わるわけだから、わざわざ別の世界の物語に浸る必要もなくなるんだけど。

 それはそれで寂しいな、という気もした。

 

 カフェから持ち帰ってきたブリトーをもっしゃもっしゃと頬張るアイリスを横目で眺めていると、枯れた音が響いた。


「よお」


 見れば廊下へ繋がるドアから、だらしない金髪の痩せこけた男が顔を出していた。あるいは落ちぶれたロックスター、アイリスに言わせれば出来損ないのキリスト。


「あ。レオさん」


 そう、俺の敬愛する主人公こと、風使いのレオ……の、数年後がそこにいた。

 ローンニウェルでの一件からいろいろあって、結局のところ捜査局は彼を改めて信用することにしたらしい。もちろん無条件にというわけではなくて、ある程度の検証は行ったうえでの話だ。具体的には何度も嘘発見器やテレパスにかけて、カノプス側に寝返っていないことを確かめたという。嘘かまことか、カフェで聞いた噂によれば自白剤まで使ったとかいう話だ。

 まあさすがに自白剤ってのは噂の尾ひれだろうけど、一度捜査局内ですれ違ったときのレオナルドの憔悴ぶりといったらそれくらいにはひどかった。何しろ屈強な捜査員ふたりに挟まれ腕を掴まれ引きずられて、さながら黒服に連れ去られる宇宙人だったからな。

 それに比べると、今日のレオナルドは随分としっかりしている。ふらつくことなくちゃんと立っているし、ローンニウェルで中毒症状を起こしたあのときに比べれば血色もいい。服装はなぜか薄汚いままだが。

 その変貌ぶりにはアイリスも感心したようで、


「はいふはほほひはっははへ」


 と、人類にはとうてい理解できない言語で感想を述べた。口の中のものくらい飲み込んでから喋ればいいのに。


「『だいぶまともになったわね』とか、そういうことを言ってんだと思います」


「よくわかるな」


 レオナルドは呆れたように笑って、俺も苦笑した。

 なんだかんだでこの謎の少女との付き合いも長くなってきてるからな。普段の言動やら何やらと照らし合わせれば、これぐらいは難なく察せてしまう。

 別にアイリスだけに限った話でもないのだが、これだけ長いこと捜査局のお世話になっていればそれなりの情だって湧く。だから彼女の同行は正直、心配だ。

 もちろん彼女がとんでもなく強いことはわかっちゃいるんだけど、それでも俺が潜入するのは悪党のアジトだ。万が一正体がバレて囲まれたりしたら、さすがのアイリスも太刀打ちできないんじゃないだろうか。

 こういう時、「俺が守る」なんて言えたらどんなにいいだろうか。だけど現実はそうじゃなく、俺は何者でもない一般人で、彼女を守れるほど強くない。

 それは今に始まったことじゃないし、いちいち気にしても仕方ないんだけどな。


「それで。あなたがここに来てるってことは――もう、『荷物』の準備はできたわけ?」


 ブリトーを嚥下したアイリスの問いに、レオナルドは快く頷いた。


「ああ。おまえらさえ良ければいつでも送れるぜ」


 俺を置いてきぼり気味に進行するその会話を耳にして、俺は前もってナイトラスに聞かされていた今後の予定を思い出した。


「確か……レオさんの闇商人としてのルートを生かして、俺たちを潜入させるとかいう話だっけ」

 これまでも何度か話題に上がりはしたんだけど、不思議と具体的な話は聞いてないんだよな。


「ああ、顔が利くからな。悪い顔だがよ」


「でも、荷物ってのは? 俺たちとは別口で何か送るってこと?」


「……あれ、聞いてないのか?」

 レオナルドは何やら疑わしげにアイリスへ目を向けた。アイリスはぷいと顔を背けた。なぜだろうか、イヤな予感がする。

 何しろアイリスには前科がある。こいつは俺が捜査局に連れてこられたあの日も、大事な説明を適当に省いて俺をビビり倒させやがったんだ。

 まさか今回も横着して何か黙っているんじゃないだろうか。訝る俺にレオナルドは笑いかけて、ぽんと肩へ手を置いた。


「まあ、心配すんな。とっておきの方法で送り届けてやるさ」


 そんなレオナルドの頼もしい一言で俺は安心して、なんだかんだでレプリカ作戦に挑む心の準備もできたのだけど。


 その結果として、見事に騙されてしまったことだけはお伝えしておこう。

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