#18 レプリカ作戦開始

 そういうわけで、ついに。

 俺にも年貢の納め時がやってきた。


 具体的には、捜査局の会議室に集った顔ぶれを見てもらえばわかりやすい。

 まず、無理矢理上座に座らされた俺の隣にはナイトラスが圧倒的なスケール感で腰掛けている。プラモ換算で俺が百分の一、向こうは六十分の一くらいはあるだろうか。他の面子はみんな標準的人間サイズなので、このロボ図体は否応なく目立つ。

 対面を見ると、そこでは恰幅のいい白髪のおじいさんがうつらうつらと船をこいでいる。仕立ての良いスーツに片眼鏡をかけた彼は遺物課アーティファクトをまとめる責任者で、みんなには『教授』と呼ばれているそうだ。

 彼の居眠りを見越してよこされたのか、教授の隣には同じ遺物課に属するマリナ先輩が座っていて、見るとニコニコと笑いながらこちらに手を振ってくれた。ちょっとうれしい。

 遺物課について説明しておくと、彼らは主に異世界の間で横行する違法取引や密輸、盗難事件などを取り扱う部署らしい。レオナルドが取り扱っていた密輸品やエーテルジャムなども元々は彼らの管轄だったわけだな。

 そしてもう一人、黒い山羊頭の獣人こと『キャプテン』。筋骨隆々な体躯に分厚い鎧をまとった彼は強行班クリティカルという特別なチームの代表だ。なんでも部署間の垣根を越えて戦闘力に優れる職員をつのって登録し、状況に応じて戦闘要員として駆り出すんだとか。

 ナイトラスたち風紀課、そして遺物課に強行班。ここに集った面々はいずれも、カノプス逮捕を狙うレプリカ作戦において重要なファクターを担う人々である。

 そこにカノプスの偽物である俺が加わるとくれば、あとの説明は無用だよな。

 お察しの通り、この会議はレプリカ作戦決行を控えてのブリーフィングだ。つまりは今日この本日が、レプリカ作戦の決行日というわけなんだ。


 ここにきて、俺は緊張の極致にあった。

 振り返ってみれば自業自得なんだけど、思えば俺は今まで作戦決行が現実にやってくるって事実をロクに考えていなかった。もちろん何度か脳裏をよぎることはあったけど、俺はそのたびに「どうせ先のことなんだから今考えてもしゃあない」と思考を止めて、真剣に考えるのを後回しにし続けてきたんだ。

 そして今。俺の双肩には八月末の夏休み課題よろしく積もり積もった恐怖だとか責任感だとかが一気にのしかかっていた。率直に言って吐きそうだ。


「――さて。これまで何度も念を押してはきましたが、念には念をでもう一度おさ

らいを。本作戦の最大目的は、観行くんを組織の首魁であるカノプスに偽装して送り込み、組織の決定的な内部情報を入手してもらうことです」


 語り始めたナイトラスにいきなり名前を呼ばれ、俺は慌てて背筋を伸ばした。


「具体的には、カノプスの組織の実質的な活動拠点。あるいはエーテルジャムの製造拠点。どちらかにつながる情報が入手できれば満点だね」 


 ナイトラスはそう言って、「任せたぞ」とばかりにロボハンドで背中を叩いてきた。物理的に重い期待が背中に染みる。ここまで来たからにはやるしかないが、胃がキリキリしてきた。


「どちらも、現在のカノプスの組織体制を成す心臓部ですからな。一方だけでも突き止めることができれば、奴の築いた王国を機能不全に追い込めるでしょう」


 てっきり居眠りしているものだとばかり思っていた教授がヒゲを弄びながら応じて、ナイトラスは深くうなずいた。


「……ただ、問題点がひとつ。たとえ我々が首尾よく情報を入手できたとしても、いずれは『もう一人のカノプス』、つまりは観行くんの存在が露見するということです。カノプスが同時に二箇所に存在していたという矛盾は誤魔化せませんから、確実にバレると考えたほうがいい」


「そこで強行班の出番か」


 デスメタル系バンドのボーカルみたいな重苦しく枯れた声がした。いったい誰だと見回してから、それがキャプテンのものだと気づく。


「ええ。強行班には観行くんの情報収集が終了次第、ローンニウェルにおける組織の拠点に突入をお願いします。そして我々は、あえて捜査に失敗する。これまでと同じようにね」


 ナイトラスが言う「これまで」とは、つまり捜査局がカノプスに対して喫してきた敗北の日々のことだ。

 これまでカノプスの組織に敢然と立ち向かってきた捜査局ではあるが、得られる収穫は芳しくなかった。せいぜい手入れのたびに拠点のひとつが潰れ、十数人の構成員を逮捕できる程度だ。


 もちろん、それが無意味というわけじゃない。剣と魔法のファンタジーに大人げなく近代銃器を持ち込むような悪党が捕まったなら、現地の人々の生活は確実にマシになる。


 だけどマクロな視点で言えば、それはあくまで無数に存在するカノプスの組織の一部を潰したというだけにすぎない。世界をまたいで存在する犯罪組織は相変わらず悪行を繰り返し、今日もまたどこかの異世界で世界観が狂わされていく。


「傍目にはいつも通り、トカゲの尻尾を一本切り落とした程度のことにしか見えないでしょう。しかし、そのどさくさで観行くんの存在はうやむやになる。我々の方も手に入れた情報を検分するだけの時間的猶予が稼げるわけです」


 そこから先はスピード勝負だ。決定的な情報を得た捜査局がカノプスを捕まえるのが先か、それとも向こうが俺の存在に気づくのが先か。ここまでくれば俺の手が及ぶ領域じゃないんだけど、できることなら前者であってほしいものだ。


「……これは言いたくて言うわけじゃないんだが」


 言って、キャプテンはじろりと俺に目を向けた。人間とはつくりが異なるブラウンの瞳からは感情が読み取りにくく、どうしても理解より恐怖が先に立つ。


「早々にこちらの仕掛けがバレてしまった場合も、強行班は突入する。むろん、そうならないことを祈ってはいるがな」


 やけに意味ありげな言い方で締めくくったキャプテンは、どうしてか未だに俺を見ている。その威嚇じみた態度に、なんとなく思い当たるふしはある。

 要は、信用しかねているんだろう。拉致同然に連れてきたズブの素人が、本当に捜査局の目的を遂行することができるのか。気持ちはよくわかる。俺だって未だに自分で自分が信用ならない。


「強行班はあまり作戦立案に関わっていないもんでな。いくつか確認させてくれ」


 キャプテンはナイトラスへと疑わしげな視線を移して、


「疑うわけじゃないんだが、本当にあるのか? やつの本拠地を特定する証拠なんて都合のいいものが」


「実在しますわよ」


 自信ありげに微笑んで答えたのはマリナ先輩だった。今日は芋ジャージではなく、ゲームでおなじみの海賊みたいなフロックコートをまとっている。


「あくまで、我々遺物課の調査から割り出した試算ですが……カノプスの組織が取り扱う密輸品の数は極めて膨大ですわ」


 マリナ先輩が指揮者めいた優雅な動作で会議室前方のスクリーンを指さすと、何らかの分析結果とおぼしきグラフがそこに投影される。

 次いで照明がゆっくりと落とされて、グラフの詳細が明らかになっていく。どうやら捜査局が把握している異世界間密輸品の実数と、そこから予測される全体数の相関図のようだった。

 どう背伸びしたって俺には正確な意味はわからないんだろうが、万とか千とかいう数字くらいはわかる。実際の量をを想像すると気が遠くなりそうだ。


「本来は、ここに異世界麻薬エーテルジャムも含まれます。合計すればゆうに東京都ふたつ分くらいの流通量にはなるでしょう」


「ここまでの物流を、それも異世界間という特殊な経路を辿って。かつ秘密裏に定期的に巡らせるならば、必ず文書やデータのやりとりが必須なのですよ」


 マリナ先輩の言葉を教授が補足した。


「さらに付け加えるならば。ローンニウェルはかの世界における一大流通拠点でもあります。目的のデータが存在する可能性は極めて高いかと」


「これまでの潜入捜査や強行突入では見つからなかったはずだが」


 キャプテンはぶるると鼻を鳴らしながら、さらに疑問を呈してきた。決行当日になってケチをつけすぎじゃないかという気もするが、それだけこの作戦への期待も大きいのだろう。

 風紀課のロボ上司はもっともな疑問だと頷いて、


「……それは、観行くんに説明してもらいましょうか」


 俺に、話を振ってきた。


 たちまち部屋中の視線が俺へ集中して、息が詰まりそうになる。なんで今ここで俺に発言させようとするんだ、この人は。ただいるだけの置物みたいな扱いでよかったのに!

 とはいえ、無言で通すわけにもいかない。俺はカノプスになりきるために叩き込まれた予備知識を必死に頭から引っ張り出して、拙いながらも言葉に換えた。


「ええと、その! 当該情報が、組織のいち構成員レベル……つまり潜入捜査員では立ち入りが不可能な区域にあると考えられていて、それらは捜査局の突入時にはいち早く隠滅されてしまうから……でしたっけ?」


 何でもカノプスの組織は病的なほどにセキュリティ意識がしっかりしているそうで、捜査局が入り込もうものなら即座に証拠を隠滅するメソッドが確立されているらしい。嘘か真か、捜査局の潜入がバレた瞬間に建物ごと自爆された例もあったという。そういうところはステレオタイプな悪の組織っぽいな。


「そこで、観行くんの存在がカギになるわけです。組織の首魁たるカノプスであることは、同時に最高級のクリアランスを保持しているも同じ。我々の捜査が及ばなかった領域にも立ち入ることが出来る」


 俺の言葉を継いだナイトラスの言葉に、キャプテンもいよいよ納得がいったらしい。分厚い両手を打ち鳴らして、にっこりと微笑んだ。


「なるほどな。少年の責任は重大ってわけだ」


 どうやらキャプテンが俺に抱いていた不信感は多少和らいでくれたらしい。責任者たちは互いにうなずき合って、「この場はお開き」の空気を作りつつある。



 ……つまり、とうとう本番というわけだ。

 それを悟った瞬間、俺の両肩にのしかかっていた責任やら危機感やら恐怖心やらの重みが明らかに倍加した。頭がぐわっと重くなって、目が回りそうになる。

 だけど、もう後戻りなんてできはしない。

 覚悟を決めてやり抜くしかないんだ。

 理想の異世界転生を手に入れるために。


 どうにもならなくなってしまった、俺の人生を埋め合わせるために。




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