#14 ローンニウェル大追跡
「――待ってたわ。レオナルド」
アイリスの名誉のために言っておくと。
彼女は日頃の態度からは想像もできないほどに親しげに呼びかけて歩み寄った。
だが、何がそんなに恐ろしかったんだろうか。その『レオ』のあたりで男――レオナルドは素早く俺たちに背を向けて、脱兎のごとく逃げ出した。
呆然とその背中を見送っているうちにレオナルドの姿はたちまちどこかの脇道に消えて、俺はそこでようやく彼の正体に思い至る。
「……もしかして、あれがその……『協力者』ってやつ?」
そもそもが捜査協力者との打ち合わせに来たわけなんだから、アイリスが声をかける相手もイコールなんだろうとは思うのだが。
「そうよ」
アイリスはとても苦々しくうなずいてくれたけど、それにしちゃ向こうの信頼が薄いように見える。
というか、ぶっちゃけて言おう。賭けてもいいが、レオナルドは絶対にこの女の子を見て逃げた。
「アイリスさんが怖くて逃げたように見えたんだけど」
俺がものすごく素直かつ冷静な感想を述べると、アイリスはきっと俺を睨みつけて、
「行くわよ!」
逃げたウサギを全力で狩るライオンの迫力で駆けだした。
行くわよって、俺も走るのか? 訊いている間に置いていかれそうだったので、俺もまた百獣の王に付き従うネコくらいの意気込みで走り出す。
「言っておくけど、わたしは怖がられてないから! あれはぜったい、向こうに後ろ暗いところがあるから逃げてるの!」
俺の言葉で何か傷つくものでもあったのか、アイリスは十メートルくらい距離を開けてついていく俺の耳が痛くなるほどの大声で主張してきた。初対面からして車で人をはねた女が何を言っているんだ。
いや待て。アイリスが怖かろうが何だろうが、聞かされてた話と何か違うぞ。俺たちがここに来た理由はそもそも――
「後ろ暗いもなにも、向こうは俺たちと待ち合わせてたんじゃないのかよ! それがなんで今逃げてるんだ!?」
アイリスはしばし押し黙った。イヤな沈黙だ。早くも息が切れてきたので俺が倒れるか止まるかする前に白状してくれないものかと思っていると、
「捜査協力者のくせにこちらからの連絡にルーズなヤツだから、彼がいつも通る場所で待つことにしたの!」
アイリスときたら、信じられないことを一息に言いやがった。全身から一気に力が抜けて、危うく転びそうになる。
「それ、待ち合わせじゃなくて待ち伏せって言うんだよ!」
ああもう何なんだこれ。ついさっきまでのシリアスが何だったんだというくらいにバカ全開の展開だ。こんなグダグダで本当にカノプスが逮捕できるのか?
俺が心中で頭を抱えている間にアイリスはレオナルドの姿をとらえたらしく、ぐっと追走のペースを上げた。元々ついていくのが精一杯だった俺はたちまち置いていかれてしまう。
いい加減帰りたいと思い始めたところで、聞き覚えのある喧噪が近づいてきた。誰のものとも知れない売り文句やら値切り交渉やら怒鳴り声やら。ついさっき通った市場の方に出つつあるのだ。
そして、追いかけっこはついに市場の混雑へと突入した。アイリスもレオナルドも人混みを通り抜けるためにペースを落とし、俺にもなんとか人並みに揉まれながら追随していく。
それにしても、よっぽどアイリスに捕まりたくないんだろうな。レオナルドはときどき必死の形相でこっちを振り向いては、そのたびに道行く人々を押しのけてかき分けてまで逃れようとしている。
しかしローンニウェルの人々は気性が荒いのか、押しのけられた何人かは逆にレオナルドに掴みかかってその場に引き留めていた。
それでもレオナルドはなんとか妨害を振り払って、また通りの反対側へと逃れようとする。けれど彼の背後数メートルにはすでに暴走機関車を擬人化したような銀髪の少女が猛然と迫っていた。
数秒後には劇的な逮捕かと思ったその瞬間、俺はあっと息を呑んだ。
まさにレオナルドが引き留められているその地点めがけて、商人らしきおっさんが荷車を引きながら爆走してきたからだ。荷台には幾つもの木箱が積まれていて、一見すればかなりの重量があるとわかる。
もっとも、いくら殺人的な勢いとは言っても、周囲の人々がそれに巻き込まれることはない。みんなこの市場に慣れているんだ、いち早くおっさんの襲来に気づいては邪魔にならぬよう道を空けてやっている。
けれど気づいていない奴らがいた。レオナルドの横暴に抗議する人々や、そこから逃げようともがいているレオナルド。それから、レオナルドだけを見て突撃するアイリスだ。
おっさんも、レオナルドも、アイリスも、数秒後に迫る危険に気づいていない。何しろ周囲は360度すべてが雑踏と喧噪だから、何かに気をとられるとすぐに状況が見えなくなる。全体が見えているのは、とっくの昔に追いかけっこから取り残されていた俺だけだ。
「おい、ちょっと、アイリスさん! 危ない――――!」
果たして、俺が慌てて呼びかけたその声は届いたのか届かなかったのか。どちらにしても時はすでに遅かったようで、叫んだ次の瞬間には衝突と横転と崩壊のごく短い交響曲が異世界の空の下に響き渡った。
俺は思わず顔を背けた。それまでの活気に満ちた喧噪が、しだいに困惑と驚きの色に塗り替えられていく。きっと酷いことになっているに違いない。なんせ重量級の荷車が何人も通行人とぶつかったんだ。怪我人だって出たかもしれない。
俺は目を背けたい気持ちと必死に戦いながら人混みをかき分けて、なんとか事故現場へとたどり着いた。
けれど、驚くべきことに――そこでは、誰も傷ついてはいなかった。
もちろん、壊れるものはしっかりと壊れていた。おっさんは荷車を破壊され呆然としていたし、荷車に積まれていた木箱も地面に散乱して中身をぶちまけている。サツマイモと人参を掛け合わせたような紫色の根菜が、ついさっき森で見たバッタの唐揚げが、パステルカラーの果物が、香港映画みたいに次々と地面を転がっているありさまだ。魚なんて気の毒に、土にまみれてビチビチと跳ねている。
にもかかわらず、人は一人として傷ついてはいない。苦しげに肩で息をするレオナルドに、瞠目して立ち尽くすアイリスに、それから彼らを取り囲んでいた人々。彼らに衝突し怪我を負わせるはずだった荷車は、今や粉々に破砕された瓦礫や木片となって空中をふわふわと漂っていた。よく見れば、ぼんやりとした翠色の光を帯びて。
「……ったく」
苛立たしげに吐き捨てるレオナルドの体もまた、同じ翠の光を帯びていた。ならば、荷車を粉々にして宙へ浮かせているのは彼の能力によるものか。
レオナルドは疲れきった様子で長く息を吐く。すると空に舞っていた瓦礫や木片はゆっくりと地面へ降下して、穏やかな風が吹いた。
レオナルドはそれから呆然とするおっさんをすれ違いざまに一瞥し、
「……壊しちまって悪かった。だが、道はゆっくり歩け」
そんな格好つけた台詞を残し、また脱兎のごとく逃げはじめる。
俺はごめんなさいごめんなさいと詫びながら荷台の残骸とかわいそうな商品たちをまたいで、やっとのことでアイリスに追いついた。
「なんだったんだ、今のアレ」
「彼の能力よ。衝突の寸前で荷車を粉々に破壊して空中へ連れ去ることで、大事故を防いだ……んだと思う。行くわよ!」
答えると同時に、アイリスはまたレオナルドを追って走り出す。置いていかれるのもイヤなので、俺も渋々その背を追った。
アイリスの解釈通りなら、レオナルドはあの能力で街の人たちを助けたってことだよな。おっさんの荷台は粉々にぶち壊してしまったけど。
しかし、そうやって他人を助けるような奴を無理矢理追い回すのって、なんか気が引けるというか……
「ねえ、だんだん追いかける俺たちが悪者みたいに思えてきたんだけど!」
「いいも悪いもない。あいつはレプリカ作戦に協力するって約束したんだから」
そういう事情もあったのか。だけど、ついこの間に追い回される側をさんざん演じた人間としては、やっぱり逃げる側に感情移入したくなるんだよな。
しばらく複雑な葛藤を抱えながらのマラソンを続けていると、急にレオナルドの動きが止まった。
どこかで道を間違えたのか、見ればレオナルドは袋小路に追い詰められていた。左右は背の高い家屋に挟まれて、向こう側はと言えば数メートルはある塀に塞がれている。こんなところに迷い込むなんて、鬼ごっこには致命的すぎるミスだ。
「まったく。さんざん手こずらせてくれたわね……」
息を切らせ、拳をぽきぽき鳴らしながら、悪党みたいな台詞を吐いてアイリスが迫る。レオナルドは苦笑いしながら一歩また一歩と後ずさり、突如として不敵な笑みを浮かべた。
「そうだな。そろそろ追いかけっこも終わりにしよう」
言うなり、俺たちの背後から猛烈な突風が吹き荒れた。
台風みたいな風圧に思わず体勢を崩す俺の視界に、またも翠の光がゆらめく。翠の光は吹き荒れる風とともに袋小路の奥に集積し、レオナルドの足元にまばゆい翠の旋風を形作る。
レオナルドはやおら旋風に足をかけ――その体が、はるか上方へと飛翔した。
「はっはっはァ――――じゃあな!」
いきなり重力から解き放たれて飛び立ったレオナルドは、その勢いで塀を軽々と飛び越える。そのままひらひらと手を振りながら、レオナルドは袋小路の向こう側へと消えていった。
「ああもう!」
アイリスは苦々しく吐き捨てながら追いすがる。どうやって越えるつもりだと訝っていると、なんとアイリスは壁を駆け上がっては蹴りつけて跳び、さらに対面の壁を蹴ってはまた跳び上がり、ついには自らの身体能力だけで塀を越えていった。
「ついてきて!」
その上、これがさも当然の芸当であるかのように向こう側から呼びかけてきやがるので、俺は思わず大声でツッコんだ。
「壁キックなんかできるかよッ!」
いくらなんでも身体能力の基準がおかしい。あいつどう見ても地球人じゃないだろ。仮に地球人で通すとしても、怪しい組織に養成された暗殺者とかサイボーグとかいう設定でもないと説明がつかんぞ。
いつまで経っても俺が壁キックでついてこないことにしびれを切らしたのか、そもそも不可能だと気づいたのか、アイリスは「そこで待ってて!」とだけ言い残して、またレオナルドを追いかけていった。
一人取り残されると同時に、両肩にどっと疲れが降り注いできた。それから、無理をしてでもついていったほうがよかったかなという後悔も。
だが、もともと遠野観行はただの人間だ。捜査局の局員でも物語の主人公でもなんでもない。捜査局が測定した能力のレベルはたったの1で、要するに筋金入りの役立たずなのだ。
だから、俺があの二人についていけるはずなんて初めからなかったのだ。みじめな気持ちにはなるが、これが厳然たる真実だ。
「そうだよ。あんな超人についていけるかっての……」
俺はどうしたって越えられない高い壁に寄りかかりながら息を整え、路地の向こうに広がる街の景色を臨んで……妙な既視感を覚えた。
そう遠くない昔に、一度ここに来たことがあるような――いや、そんなわけがないから、ゲームかアニメか何かで見たことがあるってことか。
この世界も俺の知る物語の舞台だったりするんだろうか。けれどローンニウェルという地名には覚えがない。これは確実に言えることだ。これまで俺がプレイしてきたどのゲームにも、読破してきたどの漫画にも、アニメにも、小説にも、そんな名前の街はなかったはずだ。
だったらこのデジャヴはなんなんだろう。スマホでも持ってれば街の名前で検索して一発なんだけどな。そもそも異世界に電波って入るのか。
城壁の街。ローンニウェルという知らない地名。謎の既視感。この街に来てから見聞きしたいくつかの事柄を頭の中に並べてみるけれど、それらは符合しそうで符合しない。決定的なピースが欠けた不良品のパズルがごとく。
現地の人間であるレオナルドに尋ねでもすればわかるだろうか。そう考えるや、頭の中のパズルに翠色の風を操るレオナルドの姿がぴったりとはまり込んだ。
そして、頭の中に散在していたそれらがついに一本の線で――いや。
ひとつの物語で繋がった。
「ああ、もう! いい加減に観念しなさいって言ってるでしょう!」
アイリス=エアルドレッドは本日何度目になるかもわからないその文句をレオナルドの背に向けて叫んだが、両者の距離は一切縮まりはしなかった。それどころか、あの出来損ないのキリストみたいな男は声をかけるたびにこちらへ向けておどけてくる始末だ。
言ってしまえば、レオナルドは灰色の人間だった。捜査局への協力者とはいえ、その立場は明らかに法を侵す者の側だ。
しかし、だからこそ、レオナルドはレプリカ作戦の協力者として――カノプスの組織への窓口として必須なのだった。
だからひとつふたつの微罪には目をつぶるつもりでいたが、今やアイリスにとってのレオナルドは下手な犯罪者より憎たらしい仇敵となっていた。
そんな相手にここまで手こずらされている悔しさに歯噛みする。単純な体力脚力では明らかにこちらが勝っているはずなのだ。事実、直線に差し掛かるそのたびにアイリスは難なく距離を縮め、あと一歩という距離まで追いすがってきた。
だが、そうするたびにレオナルドは裏道に入っては何度も角を曲がって身を隠し、アイリスの目から逃れようとする。アイリスも伊達で捜査局に勤めているわけではないからすぐに見つけはするのだが、結果的にはそこで差が広がってしまう。
要は土地勘の差だ。アイリスがこの街を知らない異邦人であり追跡者でもある以上、どうしてもこちらが後手に回らざるを得ない。
――これが生まれ育ったあの街なら、わたしが負けるなんてありえないのに。
悔しさのあまり思わずそんなことを考えてから、しまったと自分を呪う。
あの街に暮らしあの日々を送ったのは、もう遠い昔の話でしかない。だから確かに別れを告げたはずなのに、しまい込んだはずの想い出はどうしてか何かの拍子に蘇ってくる。
(……きっと、甘えが残っているせいだ)
そうだ。気を引き締めなければならない。でなければカノプスの逮捕にはたどり着けない。あの異世界転生なんてものを望む俗物――もとい、カノプスに肉体を奪われた気の毒な少年がやっと捜査局に協力する気になったというのに、レオナルドを逃してはそのチャンスを無駄にすることになりかねない。
そのためにも、まずは情けなく逃げ続けるこの捜査協力者を捕まえる……!
アイリスは決意を込めて地面を蹴りつけ、徐々に速度を上げていく。レオナルドはこちらが追いつきつつあることに気づいたようで、すぐさま裏道へと潜り込んだ。
そうすることはわかっていた。アイリスに単純な速力で追いつくしか策がないように、レオナルドには土地勘を活かした奇策しかない。風を操る能力もあるにはあるが、その差はアイリスの有り余る体力で容易に埋められる。
ならば、充分にやりようはある。こちらが後手なら後手で構わない。ただ先手との差を走力という力づくで埋めて、不利をひっくり返してしまえばいいのだ。
執念がたぎる。全身に熱がみなぎる。なんとしても捕まえてやるという使命感に燃えたアイリスは猛然と裏道へ飛び込んで……呆然と立ち尽くした。
「だああああアイリスさん! 早く! 早く捕まえて!」
これまでアイリスをさんざん駆けずり回らせた厄介な捜査協力者を、よりにもよって遠野観行が取り押さえて。
必死に逃げようともがくその体にしがみついているという、信じられない光景を目の当たりにしたせいで。
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